朝日が照らす帰り道
龍三さん視点からのスタートです。
何時の間にか、見慣れない場所に立っていた。
足元は白から黒まで、濃淡の違いしかない無数の石で埋め尽くされていた。
背後には枯れた芦原、どこかの河原だろうか。
霧の立ち込める水面。
重く垂れ込めた鈍色の空。
一面の灰色。
味気ない風景。音もなく吹き付ける風。
ずっと、寒くて昏い。そう思った。
帰りたい。
どこへ?どうやって?
何も思い出せず、途方に暮れて立ち尽くすしかなかった。
☆
熱も汗も引いたというのに、数矢さんの表情は険しい。所長さんの右手を取りながら、教えてくれた。
「使われたクスリに、血の巡りを悪くするものが入っていました。手足の冷えはそのせいでしょう。汗が出ないのは水分を摂れていないからではないかと。」
思わず、空いていた左手に触れる。冷たい。
あんなに、熱いほどだったのに。
「わたくし、湯たんぽ、用意してきます。お湯、残ってますし。」涙を拭って立ち上がる。
「いえ、それは私が。陽さんはここにいてください。」
「何か、させてください。」
「貴方の存在が、一番必要なのかもしれません。」
「でも」
「あれだけ貴方を放そうとしなかったのです。お願いします。」
「わかり、ました」
その場にすとんと腰を下ろし、もう一度所長さんの左手をとる。それをそのまま抱きしめた。
布越しでも分かる冷たさに、ゾッとする。
涙を流し続けるわたくしに遠慮してか、数矢さんは湯たんぽを用意したあと帳場に戻っていった。
溢れる涙は頬を濡らし顎を伝い、胸に抱いた所長さんの左手にも振りかかる。
お願い、目を、覚まして。
わたくしは、ここにおります。
やがて空が白み始めた頃。
抱いていた指先が、ぴくりと動いた気がした。
睡魔を振り払って、所長さんの手を握り直す。
少し、ほんの少しだけど、温かみが戻っていた。
期待をこめて顔を見れば、瞼が震えている。
押し寄せる安堵。声をかけたいのに、喉も口も動いてくれない。代わりにとばかり、握る手に力を込めた。
それに応えるように、瞼が持ち上がっていく。
枯れたと思っていた涙がまた溢れた。
そんなわたくしを気遣ってか、こちらを見る瞳が揺れている。涙が止まらないのなら、せめて笑顔でいよう。
見つめ合った一瞬の後、わたくしの手の中の左手が引かれ、右手が差し伸べられた。
逆らうことなく、その胸に身を寄せる。
良かった、温かい。
もう、きっと、大丈夫。
☆
色の無い河原に、どれくらい立ち尽くしていただろうか。
不意に、左手の指先が温かいことに気づいた。
ここに来て、初めての感覚。それをきっかけに辺りが色づいていく。
霧が晴れ、雲が散って現れたのは、朝とも夕ともつかない紫色の空。
輝く水面の向こうには、太陽が。
空の色は徐々に、紫色から澄んだ青に変わっていく。
方角は見当もつかなかったが、これは朝日だ。
懐かしい、日の光の色。帰るべき場所は、あそこだ。
何時の間にか閉じていた瞼を開けると、見慣れた奥の間の天井が見えた。温かさにつられて見れば、俺の左手を抱いた陽が、泣きながら微笑んでいた。どれだけ泣いていたのだろう、目元が腫れてしまっている。
虚無の淵に沈む俺を引き揚げ、笑顔で迎えてくれるその姿に、愛おしさが溢れ出す。
もっと、近くに。そう願って繋いだままの左手を引き、右手を伸ばして抱き寄せた。
ああ、温かい。
その瞬間、帳場の戸が勢いよく開けられた。
「温かい、じゃありません!さっさとこの水飲んでください!」
「また寝るなら、陽ちゃんは放してやってくれ。あとが大変だ。」
いつもの2人の声に、帰ってこられた、それを実感する。
たが陽は譲りたくない。そのまま抱き込もうとしたら、強引に陽を引っ張り出されてしまった。
むぅ、と口を尖らせていると、俺も引き起こされて口に吸い飲みが突っ込まれた。
「さっさと飲む!」
逆らっても仕方がないので、何やら甘じょっぱいそれを、大人しく啜る。飲みきったところで、もう一つ吸い飲みを突っ込まれた。こちらは普通の水だった。
「それ飲んだら、寝ててください!」
「理性が飛んでる時は、油断も隙もねぇな。」
何を言われているかはよく分からなかったが、寝てろと言われれば確かにまだ眠い。
言われるがまま横になると、すぅと意識が遠のいた。
もう、あの殺風景な場所に戻ることはない、ぼんやりとした確信はある。
その確信に背中を押された気がして、俺は睡魔に白旗を揚げることにした。




