敵の手の中で・陽ちゃんの闘い
どうしよう。
「陽を離せ!手を出すなぁっ」
どうしよう、どうしよう!
眠っていたはずの人たちが、所長さんに群がって。
寄って集って、押し倒して。人集りのせいで、もう、所長さんの姿を見ることもできない。
わたくしの、せいだ。
「まずは、お前さんからだよ」
わたくしが、人質になどならなければ。
「最期くらいは一緒にいさせてやろう。どうせ忘れるがな」
最期なんて、そんな。
わたくしを捕らえていた手が離れたのを見て、所長さんに駆け寄った。所長さんに群がっていた人たちは、壁際に戻っている。また眠ってしまったようだ。
倒れている所長さんは、激しく震え滝のような汗を流している。まるで重病人だ。
何をされたのかまではハッキリとは見えなかったが、ロクでもないことは確かだろう。
「所長さん!しっかり、気を確かに!」
背中に手を添えて呼びかけると、声が届いたのか、うっすら目を開けてこちらを見てくれた。でも。
目が合った所長さんの口から溢れたのは、身を切り裂かれるような哀切を纏った咆哮だった。
「何をしたのです、この人でなし!」
受け入れろとか勝手なことを言う、おそらくはお兄様方が追っていたであろう気味の悪い男。
こんなやつに負ける気はない。
「人でなし?まあ、間違ってはいないな」
途端に男の輪郭が崩れ始めた。黒っぽい蛸のような虫のような足が無秩序に伸びる。
「儂はヒトなどではないよ、お嬢さん」
それなら。
「所長さん」聞こえていないかもしれないけれど。
「龍三さん、これ、お借りします」一応、断っておこう。壊してしまうかもしれないし。
龍三さん愛用のステッキ。長さはちょっと足りないが、重さと強度は十分。
「人でないというのなら」
ステッキを手に立ち上がる。
邪魔な下駄を脱ぎ捨て木綿の足袋で、決意が揺らがぬよう、力を込めて床を踏みしめた。
「遠慮など、いたしません。」
ぎり、と精一杯の怒りをこめて、男だったモノ、眼前の敵を見据える。
「痛い目をみたくなければ、大人しくしていろ。」
そう言いながら、敵はこちらに足を伸ばしてきた。
腰を落とし、集中する。
視覚が研ぎ澄まされ、全てが止まるほどに遅く見える。
空気が粘性を帯びて音が遠ざかる。
押し寄せるいくつもの足。捕まらないことを念頭に、まずは回避に徹する。
ステッキは腕巻きにして、意図を悟られないよう、切っ先に見立てた石突を下げておく。
敵はこちらを侮っている、初手で決めなければ。
わたくしの狙いはただひとつ、その間合いを測る。
「この、ちょこまかと!」
わたくしを捕らえると決めたのだろう。
いくつもの足が一斉に引かれたその瞬間に、一息に間合いを詰めた。
利き足の踏み込み、それに乗せた体重、利き手の送り出し、全てが過去一番に噛み合わさる。
「っッきいいいぃぃーーー!!!」
ごん
抉るように突き出したステッキが、敵の真ん中を捉えた。
そのまま、背後の蓄音機ごと貫き通す!
「ぐぅ」敵の目が驚愕に染まる。
その背後、バラバラになりながら吹き飛んだ蓄音機の機関部の中で、突きを受けても唯一形を保っていた筒。
音の源であろうその筒が、何かに叩きつけられて弾けた。
見えない壁でもあるのだろうか。
ぱし。
卵の殻が割れるような音がした。




