2.1 はじまりの星と、ガチガチを解(と)く魔法
雪を踏みしめるサクッ、サクッという音とともに、ヒカリはアルコの後を追いました。
風が木々を揺らすたび、枝に積もった雪がチラチラと光の粉のように舞い落ちていきます。
半日歩いたあと、アルコが指揮棒で指し示した森の奥。
「ヒカリ、見えてきましたよ。ここが、かつて王国の奏者たちが音を磨いた『王国管弦楽団の練習場』です」
そこに佇んでいたのは、長い年月を眠り続けてきたかのような、静かな古い石造りの教会でした。重厚な木の扉をゆっくりと押し開くと、ヒカリは思わず「わぁ……!」と息を呑みました。
そこは、外の寒さを忘れてしまうほど温かな光に満ちた空間でした。
高天井に飾られた巨大なステンドグラスから、夕陽と雪の照り返しが混ざり合い、パステルブルー、琥珀色、アメジスト色の幻想的な光の束となって聖堂全体へ降り注いでいたのです。
「やあ、アルコ。ずいぶんと可愛らしい客人を連れてきたのう」
聖堂の奥、やわらかなパイプオルガンの影から、ゆっくりと姿を現したのは一人の老人でした。
白いフサフサの髭をたくわえ、とんがり帽子をかぶった老エルフ——教会の守り人であり、300年もの間、第一バイオリンを奏で続けている老奏者『バルタザール』です。その背中には小さな古いバイオリンが背負われていました。
「バルタザール様! こちらは彼方の世界から導かれたヒカリです。いま、まさに『音紡ぎの第一律』を学んだところですよ」
「ほう、ヒカリちゃんとな。……ふむ、良い目をしている。だが、胸の奥のトニカ(心音)が、まだ少し『間違えること』を怖がって震えておるな」
バルタザールは好々爺とした笑みを浮かべ、ヒカリの前に歩み寄ると、その琥珀色のバイオリンを愛おしそうに眺めました。
「ヒカリちゃん。そなたは『きらきら星』という曲が好きかね?」
「えっ……うん! 初めて弾いたとき、すごく綺麗で大好きだった」
「フォフォ、そうかそうか。わしも大好きなのだよ。わしが若かりし頃……今から260年以上昔、おぬしのフランスという国でな、この曲のもとになる『お母さん、聞いて』という歌が生まれたのだ」
「えっ!? 260年……? そんなに昔なの!?」
「そうとも。その後、かの天才モーツァルトという人物が、1780年代に12の素晴らしい変奏曲(レパートリー)に仕立て上げ、世界中に広まった。300年バイオリンを弾いてきたわしだがね、この『きらきら星』ほど、シンプルで、かつ完璧なトニカ(我が家)を持つ曲はないと思っておるよ」
「きらきら星の……トニカ?」
ヒカリが首をかしげると、バルタザールは優しく頷き、教会の床を指さしました。
「さあ、ヒカリちゃん。『きらきら星』のトニカの見つけ方を教えよう。トニカとは、曲がどんなに冒険しても、最終的に絶対に帰ってくる『我が家の安心感』のことじゃ。目を閉じてごらん」
ヒカリが目を閉じると、バルタザールが静かに語りかけます。
「『きらきら星』は、あの【ラ】の音から始まるじゃろう?
【ラ・ラ・ミ・ミ・ファ・ファ・ミ】……と、音は一度空高く駆け上がっていく。だがな、メロディの最後……【レ・レ・ド・ド・シ・シ・ラ】と流れて、一番最後にどこへ着陸する?」
「あっ……最後の音も……【ラ】の音だ!」
「そう! それじゃ! どれほど高く跳び上がろうと、どんなに遠くへ旅をしようと、最後にドッシリと腰を下ろして『ただいま』と言える音。それが、曲のトニカ(イ長調の主音・A)なのじゃよ。最初と最後に『我が家』が待っていると分かっていれば、途中で音が高くなろうが、多少指が滑ろうが、何も恐れることはないのだ」
ヒカリはハッと胸が熱くなりました。
(最初も『ラ』で、最後も『ラ』……。帰ってくる場所が、ずっと決まってたんだ!)
「さあ、ヒカリちゃん。その『我が家のラ(トニカ)』を信じて、弓を走らせてごらん!」
ヒカリは教会の中央、眩しい光の輪が落ちる場所に立ちました。
教えられた通りに深く息を吸い、胸の奥のトニカを確かめます。
澄み切った「ラ」の音色を響かせたことに勇気づけられ、次はいよいよ大好きな『きらきら星』のメロディへと挑もうとしたヒカリ。しかし――ふと、弦を押さえようとした左手の指が、迷ったように空中で止まってしまいました。




