8.3 新しい光、本当に大切なもの
ステージのほうから力強くも繊細なピアノの最終和音が響き渡り、直後に割れんばかりの拍手が沸き起こった。一つ前のプログラム——奏多先輩のピアノ・ソロが大成功を収めたのだ。
熱を帯びた拍手の余韻の中、舞台袖に下がってきたカナタ先輩が、出番を待つ光音に気づいてふわりと微笑んだ。
「光音ちゃん。いよいよ次だね」
「カナタ先輩……! 凄く素敵な演奏でした」
光音が目を輝かせて伝えると、カナタ先輩は少し照れたように首にかけたタオルを握った。
「ありがとう。……実はさっきの曲、光音ちゃんにエールを送るつもりで弾いたんだ。急な大トリで緊張してるだろうから、僕からの音楽のプレゼント。少しは力になれたかな?」
「プレゼント……!」
かつて、遠くから眺めてだけで胸を焦がしていた憧れの先輩。あの雪と絶望の異世界で「もう二度と会えない、夢も叶わない」と涙した日々を越え、光音は今、彼と同じ舞台の袖で言葉を交わしている。深い絶望から這上がり、自分の手で掴み取ったこの奇跡に、光音の胸の奥であたたかな勇気の炎が燃え上がった。
「はいっ……! 最高のプレゼントです。ありがとうございます、カナタ先輩!」
高橋先生も優しく微笑み、力強く頷いた。
「ええ。光音ちゃん、あなたの想いを乗せて、解き放ちなさい!」
ベルが鳴り、第2部の大トリが告げられた。
暗転したステージにスポットライトが差し込み、琴葉と光音が静かに立ち昇る。
客席には、祈るように見守るお父さん、佐藤先生、美緒ちゃん、結衣ちゃん、そして舞台袖からはカナタ先輩が温かい眼差しを向けている。
琴葉がグランドピアノの前に座り、光音と優しく目を合わせた。深く頷き合う二人。
ぽろん……。
琴葉がピアノで静かなイントロを奏で始めた。
曲は、クリスマス発表会のフィナーレを飾る『蛍の光(Auld Lang Syne)』。
光音は顎にあごあてを乗せ、澄んだ呼吸とともに弓を滑らせた。
——『ほたるのひかり まどのゆき……』に、スコットランドの原曲の歌詞が重さなる。
『懐かしい昔の日々のために、親愛なる友よ、
遠い昔の日々のために。私たちは心のこもった杯を交わそう、
懐かしい昔の日々のために。……』
美しいレガートの旋律が会場を満たしたその時、修平のパソコンからの合図でホール全体のスポットライトが静かに落ち、完全な暗闇が訪れた。
3台の大型プロジェクターが星空を映し出した。プロジェクションマッピングだ。ざわつく客席。だが次の瞬間、観客全員が息をのんだ。
光音が構えるバイオリンが、まるで水晶のように透き通り始め、内部から淡く温かな黄金とエメラルドの光を放ち始めたのだ。異世界の王様からのプレゼント。魔法で透明になったバイオリンから、音色の粒が溢れ出し、ホール全体へさあっと広がっていった。
そして、その光の粒子の星空の中に深い森が見えてきた。そしてトナカイがひくソリが浮かび上がる。子供達がざわめき立つ。
「サンタさんだ!」
会場の空気の中、光の霊たちが静かに舞い降臨してプレゼントを持ってきたのだ。
そして、荒野で光音のレガートに救われたあの古代の戦士たち、皮膚の痛みを癒された子供たちの無邪気な笑顔。ノエル王国の厳格な王様、そして、舞台の袖の影からは黒龍オブシディアンが静かに頭を下げ、白猫のアルコやゴレム、バルダザールまでもが、輝く光の霊となって光音たちの演奏を包み込んでいた。
異世界と現実世界、すべての魂が、光音の音色によってひとつに結ばれていく。
光音の指先を通して伝わる、バイオリンの心地よい微振動。
弦と弓が擦れ合う、絹のように滑らかな摩擦の感触。
会場全体を包む、甘い木々の薫香と百合の花のような柔らかな匂い。
音の波が客席の肌を撫で、すべての人の心根をじんわりと温めていく五感の歓喜。
客席の観客はだれ一人として声を出す者は居らず、うっとりとその光景に見惚れ、頬に一筋の温かな涙を伝わせていた。
『蛍の光』の最後の和音が伸びていく。ノエル王国の王様が杖を光音に向けるとバイオリンの色が変わる。
透明なバイオリンから解き放たれた無数の光の蛍たちは、旋律の消えゆく余韻とともに、天井の彼方へ、星空へとすうっと溶け込んで消えていった。
光と霊たちが織りなした奇跡の余韻の中、ホールは深く清らかな静寂と、あふれんばかりの愛の温度に満たされていた。
光音の演奏は、目に見える光ではありませんでした。
けれど、聴いた人の心の中に、一つずつ小さな光を灯していきました。
子どもにも、大人にも。
世界中の王様にも、名もない町の人にも。
その新しい光は、誰かに奪われることも、壊されることもありません。
本当に大切なものは、目に見えない。
"What is essential is invisible to the eye."
だからこそ、それは人の心のいちばん深いところに残るのです。
「本当に大切なものは目に見えない」――この言葉は、サン=テグジュペリの『星の王子さま』に登場する有名な言葉です。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない」とキツネが王子さまに教えたように、本当に大切なものは、目ではなく心で感じるものなのかもしれません。
この物語もまた、音楽や人とのつながりを通して、目には見えない「大切なもの」を感じていただけたら――そんな願いを込めて書きました。
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