7.1 王の涙からの、聖夜の光響祭
図書妖精ルノアから授かった『恩寵の演奏レシピ』を胸に抱き、ヒカリと仲間たちは王宮の前に辿り着いていました。
しかし、立ち塞がったのは雲を突くような黒鉄の城門と、威圧的な赤い制服を着た精鋭衛兵隊でした。冷たいサーベルが触れ合う『ガチャ・ガチャ』という重金属音と、焦げ付いた鉄と硫黄の臭いが殺気となって空気を凍りつかせます。
「止まれ! 何者だ!」
強大な大斧を構えた衛兵隊長ランスが、地鳴りのような声で一歩踏み出しました。
その時、ヒカリの前に進み出たのは王国剣士のカイルでした。カイルは静かに剣の鞘を鳴らし、かつての戦友をまっすぐに見つめます。
「……久しぶりだな、ランス」
「カイル……!? 隊を脱走した裏切り者が、なぜこんな子供を連れて戻ってきた!」
「裏切りじゃない。俺はこの国の本当の危機を救いに来たんだ」
カイルはかつて同じ赤い制服を着て背中を預け合った友に向かい、剣を地面に突き立てて片膝をつきました。
「ランス、お前も気づいているはずだ。王様が狂気に囚われ、この国から歌も笑顔も消えた。俺はこの少女ヒカリの音色に救われたんだ。あの子のバイオリンには、凍りついた心を溶かす本物の奇跡がある! かつての友として頼む……俺の命と引き換えにしてでも、通してくれ!」
「カイル……お前がそこまで……」
ランス隊長の苦い葛藤の瞳が揺れ、やがて固い決意とともに大斧を下げました。
「……行け! 責任は俺が取る。だが急げ、王様の闇はもう限界だ!」
門をくぐり抜けた城内は、迷宮のように入り組み、影に取り憑かれた近衛兵たちが刃を光らせていました。ここで躍動したのが、クリスマス学者のホリーでした。
「みんな、私についてきて! この城の設計図は頭の中に完璧に入っているわ!」
ホリーは分厚い古書を抱え、胸の鐘のペンダントを鳴らしながら先頭を走ります。
「この先の大廊下は罠だらけよ! 壁の隠し扉から『古の聖歌隊専用の抜け道』へ入るの!」
ホリーの見事な案内で追手をかわしつつ、どうしても塞がれた狭い回廊では、ヒカリが走りながらバイオリンを構えました。
——シャリーン!
突き抜けるような清らかな一音が暗い回廊に弾け飛ぶと、百合の花のような甘い薫香が広がり、迫る影の近衛兵たちの足を止めます。愛の音波に触れた兵士たちは刃を落とし、ポロポロと涙を流して正気を取り戻していきました。
ホリーの導きによって辿り着いた最深部。高さ5メートルを超える黒鉄の扉を開けると、そこは光の届かない極寒の『玉座の間』でした。
部屋の奥、巨大な黒水晶の玉座に座っていたのは、この国の主・グランディス王でした。
「消えよ……! 私の前に汚らわしい音を立てるなァァッ!」
グランディス王が咆哮すると、黒い衝撃波が走り、石畳がバチバチと跳ね上がりましました。ヒカリはバイオリンを構え、母の温もりを胸に『アメイジング・グレイス』を奏で始めます。黄金の光が溢れ出そうとした——その瞬間でした。
「ぬるい! ぬるいのだよ、そのような偽りの愛などォッ!」
グランディス王の瞳が血のように赤く輝き、部屋中の絶望と狂気を集約させた漆黒の暴風が巻き起こりました。ズドォォン! と音を立てて絶望の重圧が押し寄せ、ヒカリのバイオリンの弓が弾き飛ばされそうになります。
「きゃああっ……!」
「ヒカリちゃん!」
圧倒的な闇の魔力に圧殺され、ヒカリは膝をつきました。ノアールも魔法の盾を破られ、仲間たちが吹き飛ばされます。光の粒子は黒い煙に呑み込まれ、グランディス王の圧倒的な絶望が場を支配し、勝ち誇ったように見下ろしました。
「ハハハ! 見たか! 孤独こそが絶対! 人間の言葉も、絆も、私のこの深き傷と絶望の前には無力なのだ!」
絶体絶命の闇の中。ヒカリは泥と煤に汚れながらも、必死に立ち上がりました。
「……無力じゃない! 王様、あなたは本当は……すごく寂しく、悲しいだけなんでしょう!?」
「何だと……!?」
「私の音を聴いて! 絶望の奥にある、あなたの本当の声を……私に届けて!」
ヒカリは倒れそうな身体を支え、魂の叫びとともに再び弓を弦へと叩きつけました。
重圧を撥ね退けるように紡がれたのは、極上のレガート。
なんと美しい恵みの響きでしょう。どんな暗闇にいても、この音はあなたを諦めない……
カイルの誓い、ホリーの導き、そしてお母さんの愛の記憶が、ヒカリのひとつの音に集約され、七色の圧倒的な光の柱となって立ち昇りました。王が放つ黒い暴風を押し返し、光の波がグランディス王の胸を力強く貫きます。
「う……うあぁぁぁ……っ! 温かい……心が……溶けていく……!」
旋律が王様の深い孤独を抱きしめた時、黒水晶の玉座が砕け散り、王を縛っていた暗雲が眩い星屑となって消え去りました。
大粒の涙を流しながら膝をついたグランディス王は、憑き物が落ちたような穏やかな表情で、小さく震えるヒカリの手を優しく包み込みました。
「ありがとう、勇気ある小さき奏者よ……。私は……失うことを恐れるあまり、自ら心を閉ざしていたのだな」
「王様! それなら……みんなで心を重ね合わせる、最高の聖夜・クリスマスを開きましょう!」
ヒカリが満面の笑みで提案すると、カイルやホリー、仲間たち、そして駆けつけた衛兵たちからも割れんばかりの歓声が上がりました。
こうして、ノエル王国史上最も美しいクリスマス祭——『聖夜の光響祭 〜ルミナス・シンフォニア〜』の幕が上がろうとしていたのです。




