1.2 白猫アルコとの出会い「王国を救うのは君の音色です」
「……ううっ…寒い……」
頬を刺すような冷気と、顎に当たるサラサラとした感触に、ヒカリはゆっくりと目を開けました。
「え……?」
目の前に広がっていたのは、見渡す限り、どこまでも続く白銀の世界。空は重たい灰色で、そこからチラチラと美しい雪の結晶が舞い降りています。
けれど不思議なことに、足元の雪はほんのりと淡いパステルブルーに輝き、風が吹き抜けるたびに「シャラン……♪」と、まるで小さな鈴が鳴るような心地よい音が響いていました。
「わたし……どこに来ちゃったの……?」
コートの襟を閉じて、呆然とするヒカリの目の前で、サクッ、サクッと雪を踏みしめる小さな足音が近づいてきました。
「おや、無事に着地できましたね。ようこそ、光の芽吹きし者よ」
「ひゃああっ! ね、猫が喋った!?」
そこに立っていたのは、エンジ色の立派なシルクの蝶ネクタイを首に巻いた、フワフワの白猫でした。二本足でピンと背筋を伸ばし、足には小さな革のブーツを履いています。丸い大きな瞳は、宝石のエメラルドのようにキラキラと輝いていました。
「猫ではありません。『アルコ』とお呼びなさい。元・宮廷音楽家であり、あなたを導くメンターです」
アルコは胸元から小さな銀の指揮棒を取り出すと、まるで貴族のように優雅に一礼しました。そのしぐさがあまりにも格好良く、ヒカリは思わずパニックになるのを忘れて見とれてしまいました。
「アルコ……? ここはどこなの? 夢……だよね?」
「いいえ、夢ではありませんよ。ここは『ノエル王国』。かつては人々の歌声と美しい合奏に満ちあふれていた国です」
アルコは指揮棒を空中にかざし、クルリとひと回ししました。すると、何もない空間に黄金色の光の粒子が集まり、ヒカリの体がほんのり温まりました。そして、まるで小さなプラネタリウムのように綺麗なホログラムが浮かび上がりました。
「『ノエル』とは、古い言葉で【光が生まれ、新しい喜びが訪れること】を意味します。人々が救い主の命の誕生に感謝し、互いを思いやる心から生まれたのが、この国なのです。そして、この国で最も大切で特別な日が……『クリスマス』なのです」
「クリスマス……?」
「ええ。この国でのクリスマスは、ただプレゼントをもらう日ではありません。国民全員が王城に集まり、音を重ね合って世界を光で満たす、1年に一度の最高のお祭りなのです」
しかし、アルコが指揮棒を少し傾けると、黄金色のホログラムに黒いモヤがかかり、バリバリと嫌な音を立てて砕け散りました。
「ですが……今、この国は『不協和音の呪い』に侵されています。王様が完璧な演奏者を求めたことで、人々は『あいつは上手い、あいつは酷い音だ』と言い合い、音を間違えることを恐れ、歌うのをやめてしまいました。人々の心が離れ離れになり、空気が衝突し合う『不協和音』が生まれたことで、王国の心は凍りつき……このままでは、クリスマスが永遠に訪れなくなってしまうのです!」
「クリスマスが……来なくなっちゃう!?」
「そうです。世界は暗闇に包まれ、あなたも元の世界へ帰れなくなってしまいます。……ですが、ヒカリ! 諦めるのはまだ早いですよ」
アルコはヒカリの目の前に歩み寄ると、ヒカリが大事に抱きしめていたバイオリンを、指揮棒でそっと指し示しました。その瞳には、熱い期待の光が宿っています。
「あなたの奏でたあの『ラ』の音……恐れも偽りもない真っ直ぐな響きが、次元の扉を押し開きました。この凍てついたノエル王国を救い、失われたクリスマスを取り戻せるのは——他でもない、あなたのその音色なのです!」
「ええっ!? わたしのバイオリンで……!? む、ムリだよ! 私、バイオリン下手だし、レッスンがつまらなくてサボってたんだよ!?」
ヒカリは思わず両手を振って後ずさりしました。けれど、アルコはフッと優しく微笑み、首を振りました。
「下手? いえいえ、違いますよ。あなたはただ、『音楽の本当の魔法』をまだ知らないだけです。……ヒカリ、あなたはなぜ、あの時『ラ』の音を鳴らしたのですか?」
ヒカリは少し戸惑いながら、自分の指先を見つめました。
「なぜって……あの古い楽譜に、ポツンとひとつだけ『A』って書かれた『ラ』の音符が、すごくキレイに光ってたから。ただ……どんな音が鳴るのかなって、鳴らしてみたかったの」
「それですよ!」
アルコは嬉しそうにパッとヒゲを揺らしました。
「『どんな音がするんだろう?』というその純粋なワクワクこそが、すべての音楽の原動力なのです! 良いですか、ヒカリ? 『ラ』の音(A音)は、アルファベットの最初であるように、すべての音楽の『始まりの音』。オーケストラが音を合わせる時の基準であり、人間が生まれた時にあげる最初の産声の高さでもある……『命の出発の音』なのです!」
「命の……出発の音……」
「宮廷の音楽会も、楽譜のメロディも、美しい音の出し方も……すべてはこの『ラ』の音から始まります。このコードから始まる魔法と言っても構いません。ぼくと一緒に、冒険のステージをひとつずつクリアしていきましょう。音を奏でる喜びを取り戻した時、あなたは必ず、誰よりも素晴らしい魔法使い……いいえ、バイオリン奏者になれます!」
アルコの言葉を聞いていると、さっきまでの不安が、ふしぎと胸の奥で「ドキドキする期待」へと変わっていくのをヒカリは感じました。
「音楽の魔法……。わたしにも、できるかな?」
「もちろんです! さあ、凍った涙を拭いて楽器を構えなさい。ノエル王国を救う、最高の音楽レッスンの始まりです!」
アルコが指揮棒を高く掲げると、降り積もった雪の中から、固められた場所ができ、光り輝く『最初の楽譜』が宙に浮かび上がってきました。ヒカリの胸の奥で、小さな冒険のトビラが開いた瞬間でした。




