↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノエル王国の魔法のバイオリン  作者: Hamin
第5章 荒野の果てに

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/39

s5 小さな教会で聴いたある曲の旋律

:::::::::::::::::::::::::::::::::


琴葉(ことは)の脳裏(のうり)に蘇(よみがえ)ったのは、昔(むかし)、旅先(たびさき)の小さな教会(きょうかい)で聴(き)いたある曲(きょく)の旋律(せんりつ)だった。


高い天井(てんじょう)、ステンドグラスから差し込む七色(なないろ)の光の帯(おび)、パイプオルガンの地鳴(じな)りのような重低音(じゅうていおん)と、空気(くうき)全体(ぜんたい)が震(ふる)える神秘的(しんぴてき)な余韻(よいん)。そこで光音(ひかり)と聴いた讃美歌(さんびか)——『アメイジング・グレイス(驚(おどろ)くべき恵(めぐ)み)』。


この曲の作者(さくしゃ)であるジョン・ニュートンは、かつて惨虐(ざんぎゃく)な奴隷貿易(どれいぼうえき)に手を染(そ)め、人間(にんげん)としての道を外(はず)れた男だった。しかし、嵐(あらし)の海で激(はげ)しい死(し)の恐怖(きょうふ)に直面(ちょくめん)したとき、神(かみ)の無償(むしょう)の愛(あい)(グレイス)に触(ふ)れ、奇跡的(きせきてき)に命(いのち)を救(すく)われた。


『過(あやま)ちを犯(おか)し、迷(まよ)い子(ご)となっていた私を、神の慈(いつく)しみ(恩寵(おんちょう))が救い出してくれた——』


過ちを犯したのは、自分も同じだった。

我が子を愛するあまり、自分のプライドでガチガチに縛(しば)りつけ、追(お)いつめてしまった愚(おろ)かな母親(ははおや)。けれど今(いま)ならわかる。人は過ちを自覚(じかく)し、心を無(む)にするとき、深い赦(ゆる)しと救いに包(つつ)まれるのだと。この曲が何百万人(なんひゃくまんにん)もの心を揺(ゆ)さぶり続けてきたのは、完璧(かんぺき)な人間の歌だからではない。深く傷(きず)つき、過ちを認(みと)めた人間が、ただ一筋(ひとすじ)の光(愛)に救われた感謝(かんしゃ)の叫(さけ)びだからだ。


(光音……お母さんも、今、祈(いの)りを込(こ)めて歌うわ)


琴葉(ことは)は静(しず)かに息(いき)を吐(は)き出し、心を「無」にした。

評価(ひょうか)されたいという欲(よく)も、失敗(しっぱい)への恐(おそ)れも、すべて削(そ)ぎ落(お)とす。ただ、ヒカリへの愛と感謝だけを心に残(のこ)して。鍵盤(けんばん)に音を置(お)く。


ぽろん——。


一音目(いちおんめ)が鳴(な)り響(ひび)いた。

濁(にご)りのない、透(す)き通(とお)った水滴(すいてき)のような音がリビングに広がる。


『荒野(あらの)の果(は)てに』、そして——。


『アメイジング・グレイス』の優しい旋律も、琴葉の指先(ゆびさき)から溢(あふ)れ出していった。

右手の不器用(ぶきよう)さも、左手のもどかしさも消(け)し去(さ)っていた。上手(うま)く弾(ひ)こうとする「自我(じが)」を捨てたとき、音楽は言葉(ことば)を超(こ)えた一つの「意思(いし)」となって空間(くうかん)を満(み)たし始めたのだ。


鍵盤に撒(ま)いた松脂(まつやに)の粉(こな)が黄金色(こがねいろ)の光の粒子(りゅうし)となって舞(ま)い上がり、部屋中(へやじゅう)に百合(ゆり)と星屑(ほしくず)の甘い香(か)りが満ちていく。旋律が高まり、琴葉の意識(いしき)が「無」の領域(りょういき)へ深まると同(どう)時(じ)に、目の前の暗い空間が波打(なみう)つ鏡(かがみ)のように揺(ゆ)らぎ始めた。


光のヴェールの向(む)こう側(がわ)に、広大(こうだい)な『異世界(いせかい)の風景(ふうけい)』が映(うつ)し出される奇跡(きせき)が起きた。


そこは、巨木(きょぼく)がそびえ立ち、空に二つの月が浮(う)かぶ幻想的(げんそうてき)な森だった。

その中央(ちゅうおう)で、ヒカリが立っていた。ヒカリは琴葉が買ってあげたヨーロッパ製(せい)のバイオリンを裸(はだか)で抱(かか)え、見たこともない民族衣装(みんぞくいしょう)を着た温かな眼差(まなざ)しの老人(ろうじん)や、耳の尖(とが)った小さな仲間(なかま)たちに囲(かこ)まれていた。


ヒカリの表情(ひょうじょう)には、あの怯(おび)えたような影(かげ)は一切(いっさい)なかった。

弾(はじ)けるような笑顔(えがお)で、自由奔放(じゆうほんぽう)にバイオリンを掻(か)き鳴(な)らし始めた。その音色(ねいろ)は、次元(じげん)の壁(かべ)を越えて琴葉のピアノの音と溶(と)け合(あ)い、違う曲なのに見事(みごと)なアンサンブル(二重奏(にじゅうそう))を奏(かな)でていた。


(届(とど)いた……! 光音(ヒカリ)、あなたは今、こんなにも輝(かがや)いているのね……!)


「琴葉! 一体(いったい)どうしたんだ!?」


ドタバタと激しい足音(あしおと)が響き、リビングのドアが跳(は)ね上(あ)がった。

心配(しんぱい)して会社(かいしゃ)を早退(そうたい)してきた夫(おっと)が、息を切らし、目を見開(みひら)いて立(た)ち尽(つく)していた。


夫の目にも見えていた。ピアノから立ち上る光の粒子と、星空(ほしぞら)の部屋を満たす幻想的な花の香り、そして空間に浮かび上がるヒカリの楽しそうな姿が。


琴葉は鍵盤からそっと手を離(はな)し、涙で濡(ぬ)れた顔で夫へ微笑(ほほえ)みかけた。


「あなた、大丈夫(だいじょうぶ)よ……。光音はね、今、とても素敵な場所にいるの」


琴葉は震(ふる)える夫の手を握(にぎ)りしめ、光の中に映(うつ)る娘(むすめ)を指(ゆび)さした。


「あの子はね、自分の本当(ほんとう)の音を探(さが)すために、魔法(まほう)の世界へ旅立(たびだ)ったの。私(わたし)たちは、警察(けいさつ)を呼(よ)ぶ必要(ひつよう)はないわ。ただ、わたしたちはこのピアノを通して、あの子がいつでも帰ってこられるように『愛の音』を響(ひび)かせ続(つづ)ければいいの」


光の中でヒカリがふと振り返り、琴葉と夫に向かって、嬉(うれ)しそうにバイオリンの弓を大きく振(ふ)った。

二つの世界を繋(つな)ぐ音律(おんりつ)(ハーモニクス)の余韻が、夫婦(ふうふ)の心を温かく満たしていった。



「ちょっと応援してみようかな」と思っていただけましたら、ぜひ☆印で評価していただけるとうれしいです。

感想や、誤字・脱字などのご指摘も大歓迎です!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。