4.3 空間の『音の壁』を破壊、怨霊たちが蠢く激戦地へ
「温かい……。私、ずっと……こんな風に抱きしめてほしかった……! 痛くない音で、私の名前を呼んでほしかった……!」
ぽろぽろと、ノワールの紫水晶の瞳から大粒の涙が溢れ出ました。
彼女の手から氷のバイオリンが滑り落ち、雪原に触れた瞬間にキラキラとした光の粒子となって霧散していきます。全身を覆っていた毒々しい漆黒の羽は、夜明けの美しい朝焼けのようなグラデーションへと変わり、彼女はボロボロと泣きながら雪原に膝をつきました。
「やったねヒカリ! 彼女の閉ざされた心に、君の『心音』が届いたんだ!」トリルが小太鼓を叩きながら歓喜の声のをも上げます。
ノワールは顔を真っ赤にし、涙を袖で拭いながら「ふ、ふん! 今日のところは、あなたの音に見逃されてあげるわよ……!」と素直になれない声で呟き、ソリから降りたヒカリへ手を伸ばそうとしました。
——まさに、その瞬間でした。
ズズズズズズズズズ……!!!
大気を引き裂くような異様な不協和音が、地底から湧き上がりました。雪原全体がまるで巨大な生き物の背中のように激しくのたうち回り、亀裂が走ります。
「な、何事だ!?」ルードが耳を極限まで立て、氷の角を警戒で跳ね上げました。
見上げると、朝陽の差していた空が、まるで薄いガラスのようにパリンッ! と音を立てて砕け散っていきます。その亀裂の奥から溢れ出たのは、視界を焼き尽すほどの銀色と瑠璃色の眩しい光の螺旋。大気が渦を巻き、激しいオゾンと焦げつくような鉄の匂いが充満しました。
「まずい……! ノワールが放った狂気の極大不協和音と、ヒカリの放った極限のクレッシェンド……あまりにも強大な二つの音波が正面衝突して、空間の『音の壁』を破壊してしまったんだ!」トリルが青ざめた顔で叫びます。
「音の壁……!?」
ヒカリたちが息を呑む目の前で、空間の亀裂が巨大なブラックホールのように口を開けました。そこは、過去・現在・未来のあらゆる時代で放たれた音の破片が嵐となって吹き荒ぶ、危険極まりない『時を駆け抜ける音のトンネル』でした!
「キャアアアッ!?」
突風のような強力な音響磁力が巻き起こり、氷の装甲を失って無防備になったノワールが、真っ先に宙へと引きずり込まれました!
「助けて……吸い込まれる……!」
「くっそー! 伝説の勇者のソリ引きをナメるなよッ!」
ルードが疾風のごとく雪原を蹴り、宙を舞うノワールの下へ跳躍しました! 立派な結晶の角でノワールの服の裾を間一髪で捕らえます。しかし、次元の穴が放つ強烈な引力には抗えず、ルードもノワールもろともトンネルの闇へと滑り落ちていきます!
「ルード! ノワール!」
「ヒカリ、一緒に行くよ! 2人を見捨てるわけにはいかない!」
トリルが背中の小太鼓を強く締め直し、ヒカリの手をぎゅっと握りしめました。
ヒカリは大切なバイオリンを抱きかかえると、腹の底の丹田に力を込め、意を決して時空の裂け目へと飛び込みました!
グワアアアアン……!
全身の皮膚が引っ張られるような重圧感と、耳を塞いでも頭の中に直接響いてくる巨大な旋律の嵐! 光と闇が目まぐるしく交錯するトンネルの中、これまでの優しい子守唄やクリスマスのうたとは根底から異なる、壮絶な響きが渦巻いていました。
嵐のように荒れ狂う弦の激動。雷鳴のように打ち鳴らされるパーカッション。勇壮で、どこか恐ろしいまでの緊迫感を孕んだ、戦火の疾走感——。
《♪ Gloria in excelsis Deo……!(いと高きところには栄光、神にあれ……!)》
「この激しい音は……!? 鼓膜が、全身が震えてる……!」
ヒカリが叫ぶと同時に、トンネルの壁面から、かつての戦場で放たれた鋭い矢のような音符の嵐や、巨大な氷の刃が次々と襲いかかってきました!
「気をつけて、ヒカリ!」トリルが激しい時空の風の中で叫び返します。「トンネルの先は、失われた古代の戦場……怨霊たちが蠢く激戦地『荒野のはてに』の領域だ! そこで待ち受ける音楽の試練を乗り越えなきゃ、ぼくたちは二度と元の世界へ戻れない!」
「荒野のはてに……!」
襲い来る音符の刃を避けるため、ヒカリはバイオリンのネックを強く握り直しました。
手に残る木の温もり。丹田に落ちた重心。弓全体を長く走らせる確かなタッチ、そして烈風の聖域——『魔法の弦縛り』の感覚は、すでにヒカリの血肉となり、その心音に深く刻み込まれています。
時空の嵐の向こう側、未知なる危険な戦いと、命を燃やすような熱い旋律に向かって、ヒカリたちの旅はさらなる次元へと一気に加速していくのでした!




