3.3 スポット練習
『ヒカリちゃん! 止まってはいかん! 最初からやり直すのは絶対にダメじゃ!』
「えっ……!? バルタザールさん!? でも、間違えたのに最初からやり直さないの!?」
『ダメじゃ! 上手な演奏家は絶対に最初からやり直したりはせん。間違えた時に最初から通し直すのは、ヘトヘトに疲れるだけで、間違えた場所の「ヘタな癖」を強めてしまう一番もったいない練習なのじゃよ!』
「じゃあ……どうすればいいの!?」
『「スポット練習(部分練習)」じゃ! 壊れたのは曲全体ではない。【たのしくうたおう】の、あの指がからまった数音だけじゃ! 転んでスリ傷を負った「その場所だけ」を手当てするように、そこだけを抜き出して、ゆっくり正確に何度も繰り返すのじゃ!』
ヒカリの頭の中で、ハッと霧が晴れました。
「トリルくん、ゴレム! 止まらないで! つっかえたところのリズムだけ、ゆっくりちょうだい!」
「おうっ! 合わせるぞゴレム!」
「ズン、チャッ、ズン、チャッ!」
トリルの太鼓とゴレムの足踏みが、スポット練習のための正確なテンポを刻み直します。カイルが「ここは俺が死守する!」と大剣で魔物の爪を弾き飛ばして時間を稼ぎ、ヒカリは最初からやり直す焦りを捨て、つっかえた「あの2小節」だけに全集中しました。
(焦らない……指先を落ち着かせて……!)
1回目:♪ レ・レ・レ・レ・レ・ド♯・ド♯・ド♯〜(ゆっくり確認……)
2回目:♪ レ・レ・レ・レ・レ・ド♯・ド♯・ド♯〜(指がハマった!)
3回目:♪ ド♯・シ・シ・ド♯・シ・ミ〜〜(スムーズに越えた!)
たった数秒のピンポイント練習。間違えた場所が正しい音で上書きされた瞬間、ヒカリのバイオリンから爆発的な黄金の光が溢れ出しました!
「つながった……! メロディが変わっても、テンポは崩れない!」
「今だヒカリちゃん、一気に駆け抜けろ!」トリルが太鼓を激しく打ち鳴らします。
難所を突破したヒカリは、そのまま『ジングルベル』のクライマックス——【サビ】へと勢いよく飛び込みました!
♪ ド♯・ド♯・ド♯〜(ジ〜ン〜グ〜ル〜)
♪ ド♯・ド♯・ド♯〜(ベ〜ル〜 ジ〜ン〜グ〜ル〜)
♪ ミ・ミ・レ・シ・ラ〜〜〜!!(そ〜り〜の〜た〜び〜!!)
トニカAの圧倒的な透明感と共鳴、そして村人たちの低音合唱が完璧なハーモニーとなって響き渡った瞬間、黄金の光をまとったトナカイとソリが駆け抜け、プレストチェイサーを真っ正面から吹き飛ばしました!
『グギャアアアッ!? 移調と重力……そして部分練習だと……!? 焦らないなんて……あり得んんん〜〜ッ!』
『……ア……焦ラナクテ……イイノカ……。自分ノペースデ……進メバ……』
焦らせて自滅させる呪いを破られたプレストチェイサーは、憑き物が落ちたように穏やかな声を漏らすと、パステルカラーの粉雪となって弾け飛んだのでした。
光の粒子が収まった広場に、フワフワとした小さな風の精霊が舞い降りました。
時計の針のようだった爪は丸くなり、羽毛のような薄桃色の毛並みを持った、手のひらサイズの小さな風切り鳥の姿をしています。名前は『チェイ』。
「チェイ、チェイッ♪」
チェイは可愛らしく鳴くと、ゴレムの頭の上にちょこんと乗り、楽しそうに羽をパタパタとさせました。そしてヒカリを見つめ、「ぼくも一緒に旅に行って、この素敵な音楽を聴いていたいな……」とおねだりするように、ヒカリの肩へ飛び移ってそわそわと首をかしげました。
「すごいよヒカリちゃん! トニカAの響きも、おいらの叩くテンポへの合わせ方も、完璧だった!」
トリルが目を輝かせで駆け寄ってきました。
「なあ、おいらも一緒に連れてってくれ! ゴレムやチェイと一緒に、みんなの乱れたテンポを治したいんだ!」
「トリルくん……! うん、チェイも一緒に、みんなで図書館を目指そう!」
ホリーは満足そうに手帳を閉じ、カイルは剣を鞘に収めて「いい演奏だったぞ、ヒカリ」と温かく微笑みました。心強い仲間が増え、歓喜に包まれるベルノ村の広場。
しかし——ヒカリが安堵してバイオリンから弓を離そうとした、その時でした。
——ギギッ……。
ほんの一瞬、今まで出したことのないような、耳障りな「かすれたノイズ」が鳴りました。ヒカリはビクッと肩を揺らします。
「……え? いまの、いやな音……」
肩の上のゴレムの目が光り、バルタザールの声が少し厳しく響きました。
『ヒカリちゃん。見事な演奏じゃったが……激しい戦いの熱気で、そなたの弓が弦に対してほんの少し「斜め」に滑っておったぞ』
「えっ……? でもバルタザールさん、弓をまっすぐ弾く練習なら、今まで何度もやってきたよ?」
『静かな部屋で弾く時はな。じゃが、感情が爆発しそうな時や高度な曲を弾く時ほど、人は無意識に力んで弓を曲げてしまうものなんじゃ。基礎の基礎である「まっすぐな弓」。それをいかなる時も保ち続けることこそが、本当の試練なのじゃよ』
ヒカリは恐る恐る自分の弓を見つめました。
できていると思っていた基礎。それが、さらなる高みを前に再び立ちはだかります。
不安と、それを乗り越えたいという強いドキドキを胸に抱えながら、ヒカリ、トリル、カイル、ホリー、ゴレム、そしてチェイの一行は、次の目的地へと一歩を踏み出しました。




