3.1 ベルノ村、忍び寄る「急かし魔」 舞い散る光の粉
寒風を突き抜け、果てしない白銀の世界を進む旅は、ヒカリにとって驚きの連続でした。
「ほらヒカリ、あの結晶のついた枝は『氷樹の芽』だ。焚き火にくべると温かい香りが漂うんだよ」
先頭に立つ元冒険者のホリーは、王国の北部地図を広げながら、吹雪の合間を縫って的確なルートを指し示します。彼女の長年の勘と知識は実に見事なものでした。
「よし、トナカイの『ルード』も荷崩れを起こしてないな。ヒカリ、寒かったら俺のコートをかけるか?」
ヒカリの横を歩く剣士カイルは、大きな体で北風を遮ぎながら、常にヒカリの安全に気を配ってくれていました。荷物を大量に背負った大きなトナカイのルードも、「ブルル」と鼻を鳴らしてヒカリを元気づけるように足元を歩きます。頼もしい仲間の存在が、ヒカリの凍りつきそうな心を何度も温めてくれました。
数日後。幾重もの危険な雪道を越えて辿り着いたのは、深い雪の中、赤と白の飾りが彩る木組みの家々が並ぶ、美しい『ベルノ村』でした。
ヒカリの斜め後ろを、トルトルと愛らしい音を立ててついてくる影がありました。ガチガチ・ゴーレムが浄化されて生まれた、手のひらサイズの石の人形——『ゴレム』です。
丸っこいグレーの鉱石でできた身体に、つぶらな翡翠色の結晶の目。短くて太い手足を一生懸命に動かして雪に埋もれて歩く姿は、まるで小さなペンギンのようです。ヒカリが演奏すると、ゴレムの胸の鉱石が「ぽわん」と温かいオレンジ色に光り、嬉しそうに短い腕をパタパタと振ります。その愛くるしさに、ヒカリはすっかり夢中になっていました。
「フォフォフォ、ゴレムはすっかりヒカリちゃんになついたようじゃな」
なんと、ゴレムの口から渋い老人の声が響きました。
元々バルタザールが呼び出した魔物のコアだったゴレムは、古代魔法のルーンでバルタザールと繋がっており、遠く離れていても「魔法の通話機」としてバルタザールの声をヒカリに届けることができるのです。
「えへへ、可愛い相棒ができて嬉しいよ、バルタザールさん!」
その時、村の大きな広場から賑やかな音が聞こえてきました。子供たちが「冬の収穫祭」に向けて、木琴や縦笛の合奏練習をしていたのです。その輪の中心で、自分より大きな小太鼓と鈴を抱えてテンポを取っているのは、小人の少年・トリルでした。
「いち、に、さん、はいっ! いいぞみんな、その調子!」
トリルが元気よく太鼓を叩くと、ゴレムが目を輝かせました。ゴレムが「ズン! ズン!」と足踏みをすると、その重厚で心地よい石の共鳴音が、トリルの小太鼓の低音と完璧に溶け合います。
「うわぁ、すごい! この子、おいらの太鼓とピッタリ息が合うぞ!」
トリルとゴレムは一瞬で意気投合し、顔を見合わせて楽しそうに音を響かせました。
しかし——木枯らしがピュッと吹き付けた、その時です。
収穫祭が目前に迫るベルノ村の子供たちの心には、「練習を早く終わらせなきゃ」「本番で失敗したらどうしよう」という焦りが募っていました。寒さに震えた一人の女の子が笛のペースを速めると、隣の男の子も「遅れちゃダメだ!」と焦って手を速めます。
「みんな、落ち着いて! テンポがどんどん走ってるよ!」
トリルが必死に太鼓を叩いて抑えようとしますが、一度崩れた演奏の調律は元に戻りません。
その様子を観察していたホリーが、厳しい表情で呟きました。
「……まずいね。収穫祭の『奇跡の魔法』が発動する前に、人々の『焦り』が村の空間の調律を狂わせている。この異常なテンポの乱れは、ただの練習不足じゃない……魔物を引き寄せる前兆だ!」
ホリーの予言通り、村に漂う焦燥感に引き寄せられ、空が鉛色に濁っていきました。
『ヒャッハッハ! そうだ、もっと速く! 間に合わないぞ、遅い遅い遅ォい!!』
時計の針のような鋭い爪を持った黒い旋風が舞い降りました。村の焦りを糧にして居着いていた魔物——『焦りの風魔・プレストチェイサー』です!
プレストチェイサーが黒い風を吹きかけると、子供たちの手と息が完全に暴走し、恐ろしい猛スピードで楽器を鳴らし始めました。
「指が止まらないよぉっ!」
「苦しい……! 誰か助けて……!」
「下がってろ、ヒカリ!」
カイルが素早く背中の大剣を抜き放ち、プレストチェイサーへと飛び込みました。
「ハアッ!」
鋭い一閃が魔物を捉えたかに見えました。しかし、プレストチェイサーは異常な速度で旋風となり、カイルの剣筋をあっさりと回避します。
『甘い甘い! 遅すぎるぞ、剣士!』
「くっ……素早い! それに……なんだこの風は!?」
カイルは顔をしかめました。魔物が巻き起こす黒い風は、刃を弾く強圧であると同時に、聴く者の耳と神経を狂わせる狂乱のビートを刻んでいたのです。カイルの踏み込みや剣を振るうタイミングまでが、その異常なテンポに惑わされ、攻撃の軸がガタガタに乱れてしまいます。
「カイル、深追いするな!」ホリーが叫びます。「あの魔物は物理的な攻撃を嫌って音速で回避する! だけど、根本にある『焦りの風』を鎮めない限り、カイルの剣じゃ捕まえきれない!」
「待って、みんな! おいらの太鼓に合わせて!」
トリルが必死に太鼓を叩きますが、プレストチェイサーが鋭い爪を振り下ろそうと迫ります。
「やめてっ!!」
ヒカリが飛び出し、バイオリンを構えました。
ヒカリは弦に弓を当て、激しい風に抗うように弾き出しました。しかし、プレストチェイサーが巻き起こす黒い突風と、カイルの剣が空を切る風圧が入り交じり、ヒカリの耳に異常な速さのビートを叩き込みます。
「速い……! 指が、全然追いつかないっ!」
ヒカリの指先は空回りし、弓は弦の上をツルツルと上滑りして、かすれた音しか出ません。魔物の吹き荒らす風にあおられ、テンポはどんどん速くなっていきます。
「ヒカリちゃん、焦っちゃダメだ! 敵のペースに乗せられてるぞ!」
トリルが叫び、小太鼓を「タタタンッ!」と強く叩きました。
「おいらの太鼓を聴いて! どんなに風が吹いても、おいらのリズムは絶対に揺るがないから!」
シュッ! と擦れた弓から『星晶の松脂』の粉が舞い上がり、光の中からアルコの声が響きます。
『ヒカリ! 魔物の高速に騙されてはいけません。あなたの一番安心する心臓の鼓動(モデラート)を思い出すのです!』
「トリルくん! わたしの音と、あなたのリズムを合わせよう!」
ヒカリはトリルの太鼓に合わせようと、負けじと力いっぱい弓を握りしめました。カイルが必死に魔物の攻撃を剣で受け止めて時間を稼いでくれている間に、もっと大きな音で、この荒れ狂う風の音をかき消さなきゃ!
しかし、弦に弓を押し付けた瞬間、ギギッ! ギーッ! と、まるで悲鳴のようなノイズが響き渡ります。逆に弱く弾こうとすれば、今度はヒュルヒュルと音が擦れ、黒い風に完全に飲み込まれてしまいます。
「どうして!? 力を入れてるのに、全然いい音が出ないよ!」
『ヒャッハッハ! 力みすぎだ小娘! そんなガチガチの腕で、俺の風を斬れると思ったか!』
プレストチェイサーが嘲笑い、カイルを弾き飛ばしながら、さらに風圧を強めました。




