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第5話:持たざる女

 差し出されたセラの右手を、少年剣士は戸惑ったように見つめ、それからおずおずと自分の右手を重ねた。

 セラが腕に力を込め、少年の体を軽々と引き起こす。

「……あ、ありがとう。助かった」

 少年は顔を少し赤くしながら剣を鞘に収め、頭を下げた。


「俺はレオ。オルトの街の駆け出しの冒険者だ。……あの、あんた、本当にただの素手なのか? 魔法のグローブとか、格闘家の闘気とかじゃなくて?」

「うん。素手。プロレスラーだって言ったじゃん。アタシは朱雀セラ。セラでいいよ!」

 先ほどの戦いが嘘のように、セラは無邪気で人懐っこい笑顔を浮かべている。

「プロレスってのはさ、世界でいっちばんかっこいい格闘技だよ。お互いの力をぶつけあって、技を受け切って、一番強くてすごい奴が勝つんだ。まあ、この世界にはないみたいだけどさ」

 セラは自慢げに鼻を鳴らし、破れたリングコスチュームの脇腹をパタパタとはたいた。

「ぷろ、れす……?」

 レオが不思議そうに首を傾げていると、馬車の陰から「おお、勇敢なる戦乙女よ!」と叫びながら、立派な外套を着た老商人が歩み寄ってきた。

「なんと素晴らしいお力か! 私は商人のマルコ。危うく全財産を失うところでした。命の恩人よ、心から感謝いたします!」

「いいってことよー。アタシもちょうど、この森で迷ってたところだし!」

 セラは人懐っこい笑みを浮かべ、マルコに提案した。

「実はアタシ、ここがどこだか、この世界のことも全然わかんなくて。もしよかったら、街まで乗せてってくれない?」

「オルトの街ですな? お安い御用ですとも! こんな荷馬車でよければ、ぜひお乗りくだされ!」

 マルコは喜んで快諾した。こうしてセラは、荷馬車の荷台にレオと並んで乗り込み、辺り一面を覆う深い森を抜けて街道を進むことになった。


 馬車がガタゴトと揺れる中、セラはレオとマルコを質問攻めにした。

「へえ、この世界はエアレンディアっていうんだね。で、今いるのがティグレスっていう国で、向かっているのはオルトっていう街。さっきの緑のチビがゴブリン、犬みたいなのがコボルトね」

「ああ。どっちも新米の獲物だが、群れると厄介なんだ。特にコボルトはそれなりに知性もあるし……って、そういえばあんた、さっき思いっきり引っ掻かれていたよな? なんで無傷なんだよ」

 レオは、セラの破れた衣装の隙間からのぞく、傷ひとつない脇腹を信じられないといった様子で凝視している。

「あー。アタシの特異体質? みたいなもん。どんなダメージも、三カウント……じゃなくて、三秒もあれば元通りになるんだよね。だから、心配いらないよ」

「そんな馬鹿な……。一流の治癒魔法の使い手でも、あんな一瞬で傷を完全に塞ぐことなんてできないぞ……」

 レオは絶句し、この風変わりな若い女が、自分の常識の外側にいる存在であることを改めて思い知っていた。

 セラはレオとの会話を続け、この世界の基本情報を頭に叩き込んでいく。

 剣士や魔法使いの戦闘スタイル、空気中に満ちる「魔素(マナ)」や、戦士たちが肉体に宿す「闘気(オーラ)」の概念。そして、モンスターを退治して生計を立てる「冒険者」の存在。

「生活費を稼ぐなら、冒険者ギルドに登録するのが一番だな」

 レオが自分の懐から、くすんだ銅色の小さな金属プレートを取り出して見せた。

「これがギルドの登録証だ。俺はまだ最低ランクのDだけど、あんたの強さなら、すぐにランクアップして金も稼げるようになると思う」

「へえ、面白そうじゃん。アタシもそれ、登録するよ」

「……ただ、ギルドに登録するなら、素手はやめておいた方がいい」

 レオは心配そうに、セラのリングコスチュームを見つめた。

「この世界じゃ、素手で魔獣と戦うのは、一部の偏屈な格闘家か、武器を買う金もない貧民だけだ。ギルドの受付でも登録を拒否されるか、変人扱いされるのがオチだぞ。オルトの街に着いたら、まずは適当な短剣でも買った方が――」

「んー。いやだねーー」

 セラはレオの言葉を遮り、不敵に笑った。

「アタシはプロレスラー、朱雀セラだよ。リングに凶器を持ち込むなんて、売れない悪役(ヒール)がやること。アタシはアタシのこのカラダひとつで、世界の一番てっぺんまで登りつめてやる」

 その力強い瞳に射抜かれ、レオはそれ以上言葉を続けることができなかった。


 やがて、馬車は森を抜け、頑丈な石造りの防壁に囲まれた街へと入っていった。

 辺境都市オルト。中世ヨーロッパを思わせる木造と石造りの家々が並び、街道には多くの人々や馬車が行き交う、活気に満ちた街だった。

 マルコに礼を言い、馬車を降りたセラは、レオの案内で街の中央にある大きな建物へと向かった。石造りの門の上に、剣と盾を交差させた紋章が掲げられている。

 ここが、冒険者ギルド、オルト支部だ。

 レオが木製のスイングドアを押し開けると、ムッとする酒の匂いが鼻をつき、喧騒が耳に飛び込んでくる。壁際には依頼の紙が何枚も貼られた掲示板があり、酒場のような大きな丸テーブルでは、思い思いの武器を携えた荒くれ者たちが大声を上げて笑っている。

 その視線が一斉に、入口のセラへと注がれた。

 赤とオレンジのド派手なリングコスチューム。肌の露出が多く、引き締まった手足をさらけ出した若い女。どう見てもこの殺伐とした空間に馴染まない、異質な存在だ。

「……おいおい、誰か踊り子を呼んだのか?」

「ギルドを酒場か何かと勘違いして、迷い込んだか?」

「おーい、こっちに来て踊ってくれ! お酌もたのむぜ!」

 周囲の下卑た笑い声が聞こえる。レオは身を縮めたが、セラは胸を張り、堂々とした足取りで受付のカウンターへと進んだ。

 カウンターの奥では、事務的な笑みを浮かべた緑の髪の受付嬢が、セラを見つめていた。

「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「新しく登録をお願いしたいんだけど」

「かしこまりました。では、こちらの用紙に、お名前と、職業(ジョブ)、それに、得意武器などをご記入ください」

 差し出された羊皮紙の用紙。

 セラは羽ペンを受け取ると、迷いのない力強い文字を書き込んでいく。


 名前:朱雀セラ

 職業:プロレスラー

 武器:なし


「……プロ、レスラー?」

 受付嬢が、聞き慣れない単語を何度か口の中で繰り返した。

「失礼ですが、これはどのような……。武器もお使いにならないということは、新しい魔法の系統か何かでしょうか?」

「ううん。武器も魔法も使わない。ただの素手の、うーん、格闘家、なのかな? って言えば通じる?」

 セラの言葉が響いた瞬間、ギルド内の談笑がぴたりと止まった。

 次の瞬間、テーブルを囲んでいた大柄な戦士が、ジョッキを叩きつけて大爆笑した。

「ぎゃははは! 格闘だとよ! あんな細っこい腕で、魔獣の皮が破れると思ってんのか?」

「武器も買えない貧乏人が、小銭欲しさにギルドに来たか! みじめなもんだぜ!」

 野次と嘲笑の嵐が、セラへと浴びせられる。

 レオは居心地悪そうに顔を伏せた。

 だが、セラは逃げなかった。

 ゆっくりと振り返り、野次を飛ばした大柄な戦士たちを、冷たい、極限の殺意を込めた瞳で射抜いた。

「おい、そこのデカブツ」

 セラの凛とした声が、ギルドの喧騒を圧した。

「そんなにアタシが気になるなら、今ここでシングルマッチでも受けてやろうか? アタシのデビュー戦の前座、お前でもいいぜ」

 不敵に笑うセラの立ち姿には、周囲の荒くれ者たちを沈黙させるに足る、圧倒的な覇気が満ちていた。

 異世界の街オルトで、朱雀セラの戦いのゴングが、今まさに鳴り響こうとしていた。

お読みいただきありがとうございます!

この作品を見つけてくださったこと。1話でも読んでくださったこと。本当に奇跡のように嬉しいです。

【ブックマーク】や【評価(★★★★★)】もどうぞよろしくお願いいたします!

( ͜ ★ ・ω・) ͜ ★

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