第24話:魔将の罠
東の廃村に向け、王都アストラムから出発した先遣隊は、総勢三十名ほどの少数精鋭で構成されていた。
内訳は、傭兵が六割、騎士団が三割、魔法師団が一割。
騎士団は機動力に長けた軽騎兵で、情報収集と王都への迅速な伝令を主目的としていた。魔法師団は野戦経験があり、支援や回復魔法に優れる者たちが選抜されていた。
戦力の主軸となる傭兵団は隊長のライサはもちろん、なんと団長であるコルダ王自らがお忍びで出陣していた。
「おいおい、セラよ。その新しい衣装、本当に目立つな。まるで歩く篝火ではないか」
馬上のコルダ王、いや、虎の覆面をつけた傭兵が、セラの姿を見てニヤリと笑った。
「プロレスラーは、目立ってナンボだからね! それより、王様が自ら視察って、さすがに危なすぎない……?」
「ハッ、心配無用。いつものことよ。だが、戦場では油断は禁物だぞ。お前の強さはよく知っておるが、集団戦では予想外のことも起きる。周囲の兵たちと息を合わせ、臨機応変に立ち回るのだ」
「わかってる! ライサにも言われたし、うまくやってみせるよ!」
隣を走るライサが金色のたてがみを揺らしながら、頼もしそうに頷く。
何度か小休憩を挟んだだけの強行軍の末、部隊は瘴気だまりが観測された廃村に到着した。そこは、荒れ果てた石造りの民家が立ち並び、禍々しい紫色の霧が低く立ち込める、不気味に静まり返った場所だった。
(――いたぞ……。敵の部隊だ……!)
偵察に出ていた兵が小声で合図を送る。廃村の広場に、十数体のゴブリンと、棍棒を手にした数体のオーガが屯していた。
部隊を木陰に潜ませ、四方に偵察を出して周囲を索敵し、たっぷり半刻ほど様子を窺った後、攻撃の命令が下った。
「よし、周囲に敵影はない。不意打ちで一気に叩き潰すぞ! 突撃ーーッ!」
コルダの号令と共に、先陣を切って軽騎兵たちが突入した。二騎の騎兵が馬上槍でゴブリン数匹を貫き、そのまま戦場を駆け抜けていく。
セラも号令と同時に地を蹴り、敵のオーガの懐へ電撃のように素早く滑り込む。
オーガは棍棒を振り上げることもできず、あっけなくセラに足を取られ、そのままバックドロップで後方へ放り投げられる。
着地点にはライサが走り込んでおり、地面に転がったオーガに大剣を振り下ろす。
すかさず、別の傭兵がセラの死角から迫るゴブリンを槍で貫き、背後では魔法師団の魔術師が【ステラアロー(星光矢)】を放って敵の動きを牽制する。
騎兵による鋭い先制攻撃と、傭兵団の近接戦、魔法師団の遠隔魔法が首尾よく噛み合い、わずか数分で敵の小部隊は壊滅した。
「ふぅ、案外あっけなかったねぇ!」
セラが息を整えながら拳を解く。
しかし、ライサは周囲の霧を見つめ、耳を鋭く動かしていた。
「いや、おかしい……。手応えが軽すぎる。きっと、本隊は別に――」
ライサが言い終わるより早く、廃村の広場の向こうから、馬のものと思われる悲痛な鳴き声が響き渡った。
「そういえば……最初に突撃して向こうへ走り抜けた騎兵の奴らはどこに――」
突然、何の前触れもなく、廃村を覆っていた紫色の霧が爆発的に膨れ上がり、広場の先の大地が真っ二つに裂けた。裂け目から溢れ出す濃密な黒い瘴気の中から現れたのは、黒い獅子の頭、巨大な山羊の胴体、尻尾が蛇の醜悪な合成獣キマイラだった。
さらに、そのキマイラの傍らに、漆黒の翼と捩じれた太い角を持ち、地の底から這い出てきたような昏い闇を纏った大男が浮遊していた。
「フン。見事な戦いぶりではないか、人族の戦士たちよ。褒めてやろう」
大男が放つ強烈なプレッシャーに、騎士たちの乗る馬がパニックを起こしていななき、周囲の空気が凍りついたかのように一瞬で重くなる。
「こやつは……魔神将、ドラウグ!」
コルダが苦々しくその名を叫んだ。ドラウグは魔王軍の幹部クラスの将軍だ。何の考えもなくこんな場所にいるはずがない。ウィロムの仇をおびき寄せるために、自らこの廃村に瘴気だまりをつくり、罠を張って待ち構えていたのだ。
「ほう。コルダが来ておるのか。これは当たりかもしれんな。キマイラよ。奴を狙え。逃げられぬようにな」
ドラウグの指示に、キマイラが地面を足で掻く。その口元には、小さく爆ぜる炎がのぞいている。
「おのれ、ハメられたか! 全員、即座に撤退だ!」
コルダがよく通る声で、素早く指示を出す。
「騎士団は退路を確保し王都へ伝令! 魔法師団は防御壁を展開しつつ後退! 傭兵団が殿を務めるッ!」
その時、退却を開始しようとする先遣隊を見渡していたドラウグの赤く光る目が、ある一点でピタリと止まった。
その視線の先にいたのは、炎のように鮮やかな赤とオレンジの闘衣を纏った、セラだった。
「……おお、やはり現れたか! 燃えるような赤い皮膚、溢れ出るおびただしい魔の力! 我が同胞ウィロムを討った【オーガの女王】だな!?」
セラは、きょろきょろと周りを見る。そして、どうやら自分のことを言っているようだと気が付いた。
「カチン」と頭の中で音がする。とてもそんな状況ではないのだが、ふつふつと、たぎるように怒りが湧いてくる。
(オーガ、って言った? オーガの、女王? アタシに……?)
この世界に来てしばらく忘れかけていたプロレスラーの舌戦魂に、これ以上ないほどの火がつく。
「……なぁんだとコラァァァァ!!! 超ッ絶美少女アイドルレスラーに向かって、豚だか鬼だかの女王だとぉぉーー!?!? ブチころがしてやるぞ、てめええぇぇぇぇッ!!!」
耳をつんざくセラの咆哮が、戦場の凍りついた空気を溶かした。
はっとなった兵士たちは、おのおのに与えられた役割を思い出し、弾かれたように行動を開始する。
セラの叫びを完全に無視し、ドラウグは狂喜の笑みを浮かべて急降下してきた。
「キマイラよ! コルダどもを蹂躙せよ! その赤き女王は、この私の相手だ!」
「王を守れ! キマイラはアタシたちで引き受けるぞ!!」
ライサもセラに負けじと闘志を燃やし、力の限りに叫ぶ。
キマイラが奇怪な咆哮を上げ、傭兵たちへと襲いかかる。ライサが誰よりも速く反応し、その機先を制しながら、セラに呼びかける。
「セラ、お前はその黒ずくめを頼む!」
セラは怒りに震えながら、広場の奥に倒れている馬と騎士を見ていた。あの大男がやったのか? まだ、助けられるだろうか。
「もちろん、アタシの獲物だ! ライサ、みんなを守って!」
キマイラの炎のブレスを魔法師団の防御壁でなんとか食い止め、爪と尾の猛攻を傭兵団が凌ぐ中、セラと魔将ドラウグは広場の中央で一対一で対峙した。
ドラウグは空中から降り立ち、セラの姿をまじまじと見つめた。
魔神の鋭い眼光に、わずかな驚きと、それとは別の、何か熱いものが混じり合った。
愚劣で醜悪なオーガの類だと聞いていたが、目の前に立つセラは、しなやかで引き締まった肉体を持ち、不死鳥を思わせる絢爛な紋様に彩られていた。まるで、古い絵画に描かれた邪神のように美しい。
「……これは、嬉しい驚きだな。野蛮なるオーガの女王と聞いていたが、なんと凛々しく美しい姿だ。その内に秘めし業火の如き魂、そして、その見目麗しさ……。お前、我が妃にならんか?」
「…………はあ?」
セラは思わず間の抜けた声を上げた。
「決めたぞ、クイーン・オーグレスよ。お前をここで殺すのは惜しい。我が軍門に降り、我が妃となれ! 魔王軍の将である我が妻となれば、この国の半分を欲しいまま、お前の自由にさせてやろうぞ!」
ドラウグは自信満々に両手を広げ、突然の一方的な求婚を突き付けた。
セラは一瞬呆気にとられたが、すぐに不愉快そうな笑みを浮かべ、拳を顔の前で構えた。
「さん、かい…………」
セラは絞り出すように言った。
「三回も、言った。アタシを……、オーガのなんたら、って……。絶対、許さない……。絶対に、絶ッ対に、ぶっ…………」
その先は、怒りのあまり言葉にならない。
「フッ、気の強い女は嫌いではない。ならば、力ずくで従わせてくれよう!」
ドラウグは背中から、闇を煮詰めたような漆黒の大剣を抜き放ち、禍々しい紫の炎を纏わせて振り下ろす。
放たれた黒い斬撃の波動が、地面を削りながらセラに迫る。
怒りに燃えるセラの体は、琥珀色より更に赤く、明るく、昇る太陽のように光り輝いている。
山をも穿つとされる魔神将の一撃を、セラは小さく「ていっ」と呟き、片手で難なく弾いた。斬撃が直撃した背後の石造りの民家が、爆音と共に砕け散る。
「“妃”がどうとか、“妾”がどうとかも、言ってた……?」
ドラウグは、驚愕の表情を浮かべた。我が斬撃をいともたやすく……。無意識に手を抜いてしまったか? いや、そんなはずは……と、自己問答を繰り返す。
「アタシ、アンタの嫁になるより、アンタをぶん投げる方が百倍好き」
セラの瞳は、地獄の炎のように無慈悲に燃えていた。
ドラウグは、この得体の知れない娘に、自らがいま感じている感情の名を知った。恐怖。五百年を生きた魔神将にとって、初めてのことだった。
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