第2話:受けの美学
「ギギャアアアッ!」
耳障りな金切り声を上げながら、緑色の小鬼、ゴブリンが突進してくる。
まともにもらえば、並の人間なら吹き飛びそうだ。
だが、セラは動かない。
プロレスラー朱雀セラは、敵の攻撃に背を向けることを決して許さない。
(肉弾戦なら、逃げる理由なんてないね!)
セラは両足を肩幅に開き、重心を落とした。
前傾し、両腕を肩幅に広げて構え、下肢を踏ん張る。
直後、強烈なタックルが、セラの腹部へと容赦なく叩きつけられた。
ドンッ、と重く、鈍い衝撃音が響く。
セラの体は衝撃に耐えかねて、一歩、二歩、後ずさりする。
(ちっこいくせに、この馬鹿力がっ……!)
その瞬間、セラの脳内で何かが生まれた。
肉体の奥底、魂の領域から、未知の「システム」が急速に立ち上がる感覚。
(――ッ!?)
セラの肉体が、彼女自身の意思を超えて、自動的に防御反応を示している。
衝突のエネルギーが、セラの腕から背骨、腰、そして両足へと一瞬で伝播する。
筋肉が超高速で収縮し、バネのように衝撃を分散させているかのようだ。
セラの脳内に機械音が響く。
《システム起動……。スキル【超受身】が発動しました》
「ギ、ギギ……!?」
ゴブリンは目を見開いて硬直している。
確かにタックルが当たった感覚はあった。しかし、目の前の「獲物」は、数歩後ろへ退いただけで、顔色ひとつ変えず、不可解な笑みを浮かべている。
「……へえー」
セラは自分の腹部を軽く触り、具合を確かめた。
痛みはない。傷もない。血も出ていない。
ただ、激突した瞬間の感触は確かにあった。強烈な衝撃の波が体を駆け巡り、それが体内に吸収されたような感覚だ。
《解説:スキル【超受身】は、物理的な攻撃を受け流して衝撃を和らげ、身体へのダメージを最小限に抑える能力です》
受身。それは、プロレスにおける最重要技術だ。一歩間違えば命を落としかねない激しい投げ技や打撃から体を守り、損傷を最小限に抑えることで、過酷な試合の継続を可能にする。特にプロレスにおいては、仮に避けられるものであっても「避けずに受ける」ことこそが強者の証明であるとされ、受身の巧拙は、選手の強さそのものに直結する。
「どんな衝撃も逃がす受身……か。なるほどね、アタシ好みじゃん!」
「ギ、ギャッ!!」
獲物の異常性を本能で察知したのか、ゴブリンの顔が恐怖と焦燥に歪んだ。
腰に差していた短いナイフを素早く抜き放ち、狂ったようにセラの腹部へと突き刺す。
ドスッ、と鈍い音がした。今度の一撃は、肉弾ではない、鋭利な刃物による刺傷ダメージだ。
錆びた刃がセラの脇腹を浅く抉り、リングコスチュームの生地を引き裂いて、鮮血がドッと溢れ出た。
「ぐっ……あッ!」
焼けるような激痛が走る。
いかに【超受身】があろうと、刃物による肉体の切断や破壊そのものを完全に無効化することはできないようだ。
セラは苦痛に顔を歪め、片膝をつきそうになる。
「ギギッ、ギャハハッ!」
手応えを得たゴブリンが、勝利を確信して下卑た笑い声を上げた。
だが、その笑いは、再び凍りつくことになる。
(――熱い。)
痛みの直後、突き刺さった傷口の奥から、今度は脈打つような強烈な「熱」が湧き上がってきた。
カアァァァ……と、セラの傷口が淡い琥珀色の光を放ち始める。
その光に洗われるようにして、みるみるうちに出血が止まり、傷口が消えていった。
「え……?」
ゴブリンが呆然と見守る前で、セラの脇腹の裂傷が、まるで時間を巻き戻すかのように急速に消えていく。
時間にしてわずか二秒あまり。そこには、破れた衣装と付着した血痕だけが残り、セラの肌は何事もなかったかのように滑らかなままだ。
息をするたび、体を動かそうとするたびに、細胞が活性化するような感覚。
セラは立ち上がり、脇腹を軽く叩いた。痛みは完全に消え去っている。
《スキル【超回復】が発動しました》
《解説:スキル【超回復】は、身体へのダメージを三秒以内に自己回復する能力です。受けたダメージに応じて、回復後に身体が強化されます》
「ハッ……あははは! すっご! あっという間に治ってる!」
回復力。これもまた、プロレスにおける重要な能力のひとつだ。「受け」を基本とするプロレスにおいて、無傷の勝利はありえない。どんな大技を受けても立ち上がり、不屈の精神力と再起力で、絶望的な状況をひっくり返す。それこそがプロレスの醍醐味だ。
「……どんな攻撃も受けられる。食らっても三カウント以内に元通り……。これ、完璧じゃん!」
プロレスラーなら誰もが望む夢のような能力。セラは、この世界で自分が手にした恩恵に心から感謝していた。
事態を理解できずに立ちすくむゴブリンの頭をベアハンドで掴み、ギリギリと力を込めて絞め上げる。
「ねえ、小鬼ちゃん。凶器攻撃はよくないよぉ……」
セラは、薄ら笑いを浮かべながら、右腕を後方に大きく振りかぶった。
「もっとも、このセラちゃんには、効かないけどねー!」
そして、至近距離から全体重を乗せたラリアットを相手の首に叩き込み、ゴブリンの体ごと強烈に地面に叩きつけた。
ゴブリンはブクブクと泡を吹き、白目を剥いてぐったりとしている。
「……この世界には、ないのかもしれないけどさ」
セラは独り言のように呟き、半ば地面に埋まったゴブリンの肩口を踏みつけながら、言った。
「記念すべきデビュー戦だからね。カウントもらうよ」
(ワン、ツー、スリー)
「いよおっしゃああああーー!!!」
セラは両手を空に向かって掲げ、全力のガッツポーズで自らを祝福した。
打たれ強く、どんな攻撃も受け流す力。
傷を負っても回復し、強くなる体。
セラは自分の手が少し震えていることに気づいた。しかし、それは恐怖からではない。自らの身に宿った圧倒的な力と、これから出会う未知の世界への期待。武者震いだった。
「できるかも、しれない」
セラは拳を握り、タイトルマッチに挑むのを決めた日の心が燃えるような感覚を、そして、レスラーとしての長く苦しい研鑽の日々を思い出していた。
「この世界でも“強くて美しいプロレス”が……!」
静まり返っていた森の奥から、一陣の風が吹き抜けた。
ざわ、と波打つように、無数の枝葉が一斉に身を震わせる。
その風に乗って、金属が激しくぶつかり合うような音が、セラの耳に届いた。
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