第18話:レスリング・ベア
木漏れ日が差し込む、王都近郊の深い森。
セラ、レオ、そして仕立て師のルーチョの三人は、クエストの標的を求めて森の奥へと進んでいた。
「あら、さっそくお出ましね!」
ルーチョが指さした先、藪の中から姿を現したのは、丸太のような牙を持つ巨大な猪、ワイルドボアだった。
ワイルドボアは鋭い蹄で地面を荒々しく蹴ると、標的をセラに定め、凄まじい勢いで突進してきた。
「よし、いくよーー! ルーチョ!」
セラは身構え、突進してくる猪を待ち構える。
猪が眼前に迫った瞬間、セラの格闘本能が無意識のうちに右腕を振り抜く。
完璧なタイミングで放たれたカウンターのラリアットが、ワイルドボアの太い首へ直撃する。猪は悲鳴を上げる間もなく宙を舞い、地面に突っ伏してピクリとも動かなくなった。
「あ……。やば、つい反射的に……」
セラが肘をさすりながら苦笑いする。レオは額を押さえてため息をついた。
「……お前なぁ……。戦い方とか、立ち回りを見せてあげないと……」
「だって、突っ込んでくるんだもん! つい体が動いちゃって……」
ルーチョは倒れたワイルドボアをまじまじと見つめ、ため息混じりに肩をすくめた。
「ウッフフ! とんでもないパワーね!! でも、今の一瞬じゃ、セラちゃんが求める理想のドレスのイメージが全然わからないわ……。もっとこう、じっくり、ねっとり、絡み合うような戦いが見たいのよ!」
「わかった、次は気をつける! もっとアタシっぽいムーブを見せるから!」
セラが拳を握り直したその時、森の奥から空気を震わせる大きな唸り声が響いた。
のっそりと現れたのは、ワイルドボアの数倍の巨体を持つ、黒い剛毛に覆われた森林熊、フォレストベアだった。その鋭い爪は岩をも切り裂くと言われている。
「うわ、なんか、でっかいのが来た! ちょうどいいじゃん!」
セラはフォレストベアの前に立ちはだかり、手招きをして挑発する。
「さあ、おいでクマちゃん! アタシの技を、たっぷり味わっていってよね!」
フォレストベアが二足で立ち上がり、巨体を揺らして襲いかかってくる。
セラは素早いステップで熊の爪撃をかわすと、その側面に回り込んだ。
「まずは、立ち技から!」
セラは踏み込み、熊の脇腹へ鋭いエルボーバットを叩き込む。そしてそのまま回転し、強烈な逆水平チョップを胸板に叩きつけた。バシィィン、と鋭い衝撃音が森に響き渡る。
熊が怯んで前かがみになった隙を見逃さず、セラは相手の懐に深く潜り込んだ。その巨体の胴をがっしりと抱え込み、背筋のバネを使って一気に持ち上げる。
「よおぉぉーーーっとぉ!」
見事なボディスラムで、セラは自分より遥かに重いフォレストベアを地面へ叩きつけた。
近くで観察していたルーチョは、目を輝かせて手に持ったメモ帳に素早くペンを走らせる。
「す、素晴らしいわ……!! 軽業師のような身のこなし、踊り子のような回転、屈強な戦士のような荒々しい格闘! ……見えてきたわ!!」
しかし、フォレストベアも森の王者。すぐに起き上がり、怒り狂って今度は四つ足で突進してきた。
「よし、それじゃあフィニッシュね!」
セラは真っ向から熊の突進を受け止めた。熊は巨体を押し込もうとするが、セラはどっしりとふんばり、ビクともしない。
スクラムのような体勢から、エルボーで熊の顔面をカチ上げて上体を起こさせる。そして、熊の太い胴体を自身の両腕でがっちりとクラッチした。
「はあああぁぁぁ!」
相手を抱え込み、全身の力を込めて絞め上げる。プロレスの技名で言えば、ベアハッグ(熊殺し)だ。
「本物の熊を相手にベアハッグ」という、プロレスラーの夢ともいえる光景に、セラは全身で喜びを感じていた。一方でフォレストベアは苦しげに喘ぎ、肋骨を軋ませて悶絶している。
熊の全身からふっと力が抜けた瞬間、セラは更に深く腰を落とし、斜め後方をちらりと見た。
「これで、決まりーーぃ!」
セラは、超高速のブリッジの反動を利用し、熊の巨体を抱きかかえたまま、後方へとダイナミックに反り投げる。
美しい放物線を描き、フォレストベアは脳天から地面へと墜落した。
地面が激しく揺れ、土煙が舞う。
完璧なフロント・スープレックス。フォレストベアは完全に失神していた。
「……完ッ璧! 決まったね!」
セラがふぅと息を吐き、ポーズを決めると、ルーチョはメモ帳を放り出して、ぴょんぴょん飛び上がった。
「ビューティフォー!!! ワンダフォー!!! なんて優雅で、ダイナミックな動きなのかしら! 最後の技の瞬間、貴女のパッションとバイブレイションが、完ッ璧に伝わったわッ……!!!」
ルーチョの顔は熱に浮かされ、陶酔に満たされている。
「ああ、ダメ! このインスピレーション、一瞬でも早くカタチにしなきゃ、消えちゃうッ! ワタシ、今すぐ店に戻るわ!」
「え? あ、ちょっと……ルーチョ!?」
「あとはお任せするわね! じゃあ、最高の服を仕立てて待ってるから、後で店に来てちょうだい! チャオ!!」
ルーチョは飛ぶように街へと走り去り、あっという間に見えなくなってしまった。
「……行っちゃった、な」
レオがルーチョの去っていった先を眺めて言う。
「うん……。変わった人、だったね……」
残されたセラとレオは、顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。
*
ワイルドボアとフォレストベアの毛皮を手際よく剥ぎ取り終えた頃には、森はすっかり夕暮れの茜色に染まっていた。
二人は近くの開けた場所で小さな焚き火を起こし、一息つくことにした。
「ふぅ……。久しぶりに、レオと二人きりだねぇ」
セラは、パチパチと爆ぜる火を見つめながら、膝を抱えて微笑んだ。
この世界に転生してから、ゴブリンとの戦いを皮切りに、コボルトとオークの集団との戦い、赤鬼ウィロムとの激闘、ギルドへの帰還、王宮への招待と、目まぐるしい日々が続いていた。
「ああ。ここ最近は、王様とか王妃様とか、すごい人たちばかりと話してたからな。なんか、こうしてセラと普通に話すのが新鮮だよ」
レオは照れくさそうに笑いながら、火に薪をくべた。
「なあ、セラ。俺……今日、王都で色んな人たちが、自分の力を活かして働いているのを見てさ。改めて考えたんだ」
「んー? 何を?」
「うん。なりゆきではあるけど、俺はセラと一緒に戦ってきて、それなりに役に立てていたのかもしれない。だけど、俺は全然強くないし、セラみたいな戦い方はできない。でも、俺の伸び縮みする闘気や、気配を察知する力は、何かに活かせそうな気がするんだ」
レオは真剣な目付きで、セラを見つめた。
「俺、剣士に憧れてたんだ。子どもの頃から、なんとなく。剣を強さの象徴みたいに思ってたんだな。でも、セラや、王都の人たちを見ていたら、そうじゃないのかもしれない、って、思い始めた」
レオは、王都に来てから人知れず悩んでいた。赤鬼討伐の英雄としてもてはやされるのが、本当は恥ずかしくて仕方がなかった。すごいのはセラだ。自分は平凡な冒険者でしかない。
だが、レオはただ自分を憐れんでいるだけではなかった。セラは強い。王も王妃も、ルーチョも、街で出会う人々も。誰もが与えられた条件で、たどりついた場所で、戦っているのだ。王都の多様な人々と自由な気風は、レオに新たな選択肢をもたらしていた。
「クエストをもらう時に、冒険者ギルドで聞いたんだ。王都には、偵察や情報収集に特化した『星の探索者』っていう組織があるらしい。セラとひと通り王都を回ったら、そこに行ってみようと思ってる」
セラは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに満面の笑みを浮かべ、レオの肩をパシッと叩いた。
「え、すっごくいいじゃん、レオ! アタシ、それいいと思う!」
「え? 反対……しないのか?」
「するわけないでしょ! レオの勘とか、敵を探す力とか、あのゴムみたいな闘気って、絶対もっと役に立つって!」
セラは満面の笑みで、相棒の決意に応じる。
「お互いに、自分の『テッペン』を目指す、ってワケだね。アタシは全力で応援するよ! そんで、絶対負けないよ!!」
セラの曇りのない励ましに、レオの胸のつかえがすっと消えていく。
「ありがとう、セラ。嬉しいよ。俺、強くなって、いつか、セラの戦いをもっとサポートできるようになってみせる」
「約束ね! アタシは、とりあえずは……そう、大闘技場でチャンピオン、だね!」
それが“とりあえず”なのか、とレオは苦笑する。
「ああ、約束だ」
二人は固く拳を合わせ、これからの未来に向けて、新たな誓いを交わした。
「でも、少し意外だったな。セラなら、『自分の信じた道をまっすぐ突き進めー!』とか、言いそうだなって」
「えー、そんなこと言わないよー。レオは、何かを諦めたわけじゃない。やり方を変えてみるだけじゃん。道なんて、どう歩いたっていいんだよ」
セラはけらけらと笑い、腕を頭の後ろに組みながら言う。
「実はさー、アタシ昔は“アイドル”になりたかったんだよ。ちょっと恥ずかしいけど。“アイドル”ってゆーのはさ、アタシのいた世界のお姫様みたいなもんでさ。キラキラしてて、かわいくって――」
森の中には夕闇が迫り、二人の他愛ないおしゃべりは、街に着くまで続いた。
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