第20話 復讐の獣たち(後)
『清水が防火シャッタをRPGで吹っ飛ばした! まずい、奴ら逃げるよ!』
一ノ瀬からの悲鳴のような警告を聞き、誠一は即座に枠だけになったくぐり戸から生徒ホールに顔を出した。
清水と大河原の姿はなく、軍人のような男が煙の中をこちらに走ってくるのが見えた。清水の後を付いていくつもりだろうが、こいつまで通すわけにはいかない。
誠一はMP5を男に向けて引鉄を引いた。男は慌ててハードケースの山の陰に飛び込む。
『あんたは清水を追って! そいつは私がどうにかする!』
生徒ホールの向こうの西階段から銃声と発砲炎が瞬く。一ノ瀬の銃撃だ。
誠一は携帯に「了解」とだけ返し、生徒ホール側のくぐり戸の反対側にある特別教室棟渡り廊下への扉を開けると、渡り廊下に飛び込んだ。
扉のすぐ右手にある教室棟との間の防火シャッタは、蛇腹の下半分が脱落していた。残る上半分もくの字にひしゃげ、レールから外れて揺れている。廊下の床には、生徒ホールのカーペットに染み込んだ血を吸った靴跡が残されていて、逃げ出した清水と大河原が廊下を左手のほうへと駆けていったことを示していた。
誠一はMP5を構えて、照明が落ちた薄暗い廊下を小走りに進む。清水をここで逃すわけにはいかないという思いだけが、満身創痍の身体に活力を与え、清水を殺すまでは手足を動かせることを保証してくれている。
ふと疑問が浮かんだ。
清水はどこへ逃げようとしているのだろうか? 彼女は生命線である人質を捨てて逃げ出した。人質がなければ、政府に用意させた飛行機で高飛びすることなど不可能だろう。
そこまで考えて、誠一は一つの可能性に思い当たった。
計画の失敗を悟った清水は、誠一たちに殺されるくらいなら刑務所送りになったほうがマシと考え、警察に投降しようとしているのかもしれない。清水は高校二年生なので、まだ十八歳になっていない。少年法で守られた彼女は、絶対に死刑にならない。それどころか、数年もすれば刑期を終えて娑婆に出てくるだろう。
「逃がさない。必ず追い付き殺してやる」
誠一は決意を新たにし、廊下の角を曲がる。そして、手にしていたMP5短機関銃が猛烈な力で弾き飛ばされた。
曲がり角の死角で大河原が待ち伏せていたのだった。
左手の一振りだけで誠一のMP5を廊下の隅まで弾き飛ばした大河原が、右手とスリングだけで保持したPKM機関銃の銃口を誠一に向けようとする。誠一は腰の拳銃を抜くのを諦め、PKMの長い銃身を両手で掴むと、銃口が自分に向くのをぎりぎりのところで防いだ。
次の瞬間、凄まじい銃声が耳元で鳴り響いた。左耳が激痛と耳鳴りに塗り潰される。顔の横十数センチのところにある銃口から、発砲炎とともに次々と機関銃弾が吐き出される。秒速八百メートルで飛翔する「死」が顔の十数センチ横を駆け抜けていくのを、発砲炎の熱に焼かれる頬で感じる。
「いい加減くたばりやがれ……!」
大河原は左手でも機関銃を握り、力任せに銃口を誠一に向けようとしてきた。
力比べで大河原に勝てるわけがない。誠一は右手で銃身を押さえたまま、機関部に吸い込まれていく弾帯を左手で掴んで思い切り引っ張った。給弾不良を起こしたPKM機関銃が発砲を停止し、弾帯の途中から外れた機関銃弾とリンク部品が床に散らばる。
誠一は腰のブローニング・ハイパワー自動拳銃を抜き、大河原に向けて発砲した。機関銃に比べれば軽い発砲音がして、PKMをバットのように振りかぶった大河原の肩に穴を開けた。
しかし、大河原は拳銃弾を浴びてもなお動きを止めず、PKMを誠一に叩きつけてきた。ブローニングの二発目は壁の表面を削る結果に終わり、たたらを踏んだ誠一に大河原がその巨体をぶつけてくる。熊に体当たりされたような衝撃とともに、誠一は容易く吹っ飛ばされた。
後頭部から床に着地し、ブローニングが手から離れる。大河原は肩を撃たれているにもかかわらず、誠一を踏み潰そうとするかのように大股で迫って来る。
誠一は床の上で身を捻って大河原の足を躱し、跳ねるようにして立ち上がった。そこへ、大河原の右拳が顔目掛けて飛んでくる。誠一はそれをぎりぎりで躱したが、続く左拳に顔面を捉えられ、ふらついたところに蹴りが飛んできた。左足を軸に身体を回転させるようにして繰り出された大河原の右足の勢いは尋常ではなく、直撃すれば無事では済まないことが瞬時に分かった。
しかし、誠一は敢えて蹴りを回避せず、その足を正面から両腕で受け止めようとした。運動量を受け止めきれずよろけるが、そこが壁際だったことが誠一に味方した。誠一は右肩を壁にぶつけることで体勢を崩す寸前でどうにか耐え、大河原の重い蹴りを受け止めることに成功した。
驚愕の表情を浮かべる大河原。
誠一は、掴んだ大河原の右足を思い切り持ち上げた。バランスを崩し倒れる大河原。その隙を見逃さず、誠一は倒れた大河原の頭を蹴り抜いた。確かな感触が上履き越しに伝わってくる。誠一はさらに大河原の顔面を踏みつけようと右足を上げたが、目にも留まらぬ速度で動いた大河原の足に軸足を絡めとられ、誠一はその場に倒れた。
「俺の得意技は寝技なんだよ」
大河原が、背後から誠一の首に太い腕を回し、締め落としにかかる。誠一は渾身の力で身を捩るが、完全に技が決まっていて逃れられない。気道と動脈が塞がれ、目の前が暗くなってくる。
誠一は手を後ろにやり、大河原の左肩を叩きまくった。数回目で、突き立てた親指がぬるりとした感触の穴に入るのが分かった。さっき九ミリ弾を叩き込んでやった銃創だ。
背後から呻き声がして、大河原の腕の力が緩む。その隙に、誠一はさらに後頭部で大河原の顔面を打ち据えた。
拘束が完全に解け、誠一はぐるりと身体を捩って大河原と正対した。
「俺の得意技は嫌がらせなんだよ」
床に転がっていたPKMの弾を拾い、尖った先端を大河原の肩の銃創にぶち込む。大河原は野太い叫び声を上げ、馬乗りになっていた誠一を弾き飛ばした。
身体を揺するような動作だけで軽く一メートルは吹っ飛ばされた誠一は、床の上を数回転した後、すぐさま立ち上がった。大河原も立ち上がり、肩から血塗れの小銃弾を抜く。
「まさか正体不明の敵がお前だったとはな、佐々木。お前みたいなヘタレが――」
「俺とお前ってそんな仲だったっけか? 悪いが清水を殺しに行かないといけないんでね。付き合ってる暇はないんだ」
「……清水様のところへは通さない」
誠一はポケットからMP5の弾倉を抜き、右手に順手に持った。銃もナイフもなく、武器になりそうなのはこれしかなかった。柔道の有段者に格闘戦を挑むなど狂気の沙汰だと自分でも分かっているが、大河原を排除しなければ清水の元へは辿り着けないのだ。これで戦うしかない。
相対する大河原は両手を胸の前で構える。
「お前を殺して清水も殺す」
「やれるものなら、やってみろ」
誠一は大河原に飛び掛かった。
ずっしりと重い金属製の弾倉が大河原の顔面に叩きつけられ、大河原の右フックが誠一の顔を直撃する。首が折れそうな衝撃に耐えた誠一は次の攻撃を大河原に叩き込み、大河原も当然反撃を繰り出してきた。殴打の応酬が続き、二人の顔はすぐに血塗れになった。
体格は大河原が圧倒的に勝っているものの、毎朝の運動部顔負けのトレーニングで鍛えられている誠一は、大河原の猛攻にも辛うじて食らいついていけた。だが、どうにか食らいついているだけで、どちらが優勢かは火を見るより明らかだった。格闘技の経験の差はどうしようもなく、攻撃と防御を繰り返すごとに誠一は劣勢に追い込まれていく。そして、ついにふらついたところを大河原に掴まれた。
まずい、と思ったときには視界が反転し、背中から固いリノリウムの床に叩きつけられていた。柔道の投げ技を決められたのだ。息が詰まり、溢れ出た涙が視界を歪める。
「やはり死ぬのはお前のほうだったみたいだな」
大河原が馬乗りになり、首を絞めてくる。また肩の銃創に指を突っ込もうとするが、両腕の上に膝を乗せられていて動かせない。滲む視界の中で、血だらけの顔に凄惨な笑みを浮かべた大河原の勝ち誇った顔が見えた。
清水まであと一歩まで迫ったのに、ここまでか。クソ、クソ、クソ……
遠のく意識の中で、銃声が聞こえた。
大河原の笑みが凍り付き、分厚い胸板から赤い染みがワイシャツに広がっていく。
また銃声。
大河原の胸に二つ目の穴が空き、首を絞めてくる力が抜ける。さらに三つ目の穴が加わったところで大河原は崩れ落ちた。
誠一は自分の首にかけられた大河原の手を払い除け、大きく息を吸い込んだ。あと少しで沈んでいたであろう意識が急速浮上してくる。
自分の身体の上から大河原を退かし、荒い息をしながら上半身を起こす。壊れた防火シャッタの前で、銃口から硝煙を立ち昇らせるAK‐47自動小銃をこちらに向けていた一ノ瀬が、その場に膝をつくのが見えた。
誠一は立ち上がり、よろよろと一ノ瀬のほうへ向かう。一ノ瀬は全身血塗れで、腹部からは夥しい量の血を流していた。
「大丈夫か」
誠一は、一ノ瀬の小柄な体を壁にもたれさせる。一ノ瀬は震える唇を小さく動かし、「何発か食らった」と呟くと、目を開いた。そして、手当てしようとする誠一の腕を掴んだ。
「私のことはいい。清水を殺すんでしょ。行って、誠一」
一ノ瀬が、血を失い青白くなった顔を誠一に向ける。今にも死にそうな怪我を負っているにもかかわらず、その目は復讐の完遂を求めて爛々と輝いていた。
「分かった……死ぬなよ、七海」
誠一は立ち上がり、一ノ瀬に背を向けて走り出した。全身が軋んでいるが、まだ動ける。
大河原に弾き飛ばされたMP5短機関銃を拾い、ポケットから弾倉を取り出して装填する。引鉄を引けば、数発の銃弾が連続して発射された。よかった、壊れてはいない。ブローニング・ハイパワー自動拳銃も拾い、ベルトに挟む。
清水のものと思われる一対の赤い靴跡を追う。靴跡は真っ直ぐ地学室前の東階段に向かっていき、さらに階段を上へと続いていた。どうやら清水は、警察に投降するよりも先に、追ってくる誠一たちを待ち伏せて殺すことを優先したらしい。清水の性格の悪さが、今は有難い。
誠一はMP5を構え、靴跡を追って階段を上る。靴跡は四階を超え、屋上のドアの前で途切れていた。
誠一は迷いなくドアノブを捻った。
今朝は閉まっていたドアは易々と開き、湿り気を帯びた新鮮な空気が鼻腔に残っていた硝煙の臭いを押し流す。雨はもうやんでいた。空に浮かぶ雨雲は薄くなり、オレンジがかった光の筋が雲間から斜めに遠くの地表に降り注いでいる。
誠一は、室外機のタワーや太陽光蓄電設備が林立する屋上を、MP5を構えてゆっくりと進む。まだ屋上の床に残る雨水が跳ね、小さく水音を鳴らす。
誠一は慎重に、絶好の遮蔽物と化した設備の列を一つずつクリアリングしていく。清水も間違いなく銃を手に待ち構えているはずだ。少しでも反応が遅れたら、清水ではなく自分が死ぬことになる。誠一は、冷や汗が頬を伝い落ちるのを感じた。
その時。
上空の雲が途切れ、雲間から夕陽が姿を現した。辺りが一気に明るくなり、室外機や蓄電設備の影が長く伸びる。その影の中で、何かが動いた。
誠一は、動いた影のほうへ銃口を巡らせた。同時に、室外機の陰から、清水が長い黒髪をなびかせて飛び出す。
誠一は、清水がワルサーの狙いを定める前にMP5の引鉄を引いた。連射された九ミリ弾に身体を貫かれた清水が衝撃で後ろに倒れ、その際に反射的に発砲した三十二口径弾が誠一の左肩を撃ち抜いた。
誠一は屋上全体を覆っている水溜りの中に背中から倒れた。雨上がりの雲が、オレンジ色の空の下を流れていくのが視界いっぱいに広がる。
すぐさまMP5を握った右手を床について上半身を起こす。数メートル先で、血の混じった水溜まりに倒れた清水が、ぎこちない動きで銀色のワルサーを持ち上げてこちらに銃口を向けようとしているのが見えた。
誠一は右手だけでMP5を構えて発砲した。連射の反動で銃口が上がっていき、着弾の水飛沫が一直線に清水のほうへと向かっていく。射線と清水が交差し、血飛沫が舞うとともに彼女の手からワルサーが吹っ飛んだ。
誠一は立ち上がり、左手でポケットから最後の弾倉を取り出そうとしたが、左手を動かそうとした瞬間に激痛が肩に走り諦めた。弾の切れたMP5を投げ捨て、ベルトからブローニング・ハイパワーを抜く。
右手にブローニングを握り、清水に銃口を向けながらゆっくりと近寄っていく誠一。
身体中から血を流しながらもまだ生きていた清水が、荒い息をしながら誠一を見上げる。
「あなたの勝ちよ。さあ、殺しなさい」
「言われなくてもそのつもりだ」
誠一は、清水に向けたブローニングの弾倉が空になるまで、繰り返し引鉄を引き絞った。




