第14話 禁止空域
清水は相変わらず革張りの椅子で踏ん反り返っていた。
厄介な男子生徒との交渉が成功したとはいえ、警察に包囲された状況は依然変わらないというのに、泰然とした態度を崩さない彼女は確かに大物ではあった。
清水敏文という男の下に生まれなければ、きっと一般社会で成功をおさめられただろうにと、萩生田は彼女を憐れに思った。この計画が成功するにしろ失敗するにしろ、彼女はもう一生日陰で生きていくしかないのだ。
「まさか本当に逃がすおつもりですか?」
余計な思考を頭から追い出すべく、萩生田は分かり切ったことを清水に尋ねた。
「まさか。わたしがそんな人道主義者に見える?」
「いいえ、全く」
しかし、余計なことを考えていたせいで口を滑らせ、萩生田は「しまった」と思った。だが、清水は気にした様子もなく、萩生田に「見張りの銃手に警戒を強めるよう伝えなさい」と何食わぬ顔で指示を出した。
「校舎を出る者は、見つけ次第直ちに射殺していいわ。誰何もわたしへの確認も不要よ」
当然のように騙し討ちを指示する清水に、萩生田は「了解しました」とだけ応じて、彼女の前から退出した。
*
約束の五分が過ぎたが、男子生徒が校舎内から出てくることはなかった。
騙したはずの男子生徒に騙されたことにようやく気付いた古元が、「捜索隊を抽出して殺しに行くべきだ」としつこく清水に訴えている。
その古元の低く擦れた声を、菅野のヒステリックな高い声が遮った。
「大変です、ヘリがこの学校に向かってきているようです!」
「詳しく説明しなさい」
古元の直談判にうんざりした様子だった清水が、渡りに船と言わんばかりに菅野の叫び声に反応する。
「マスコミのヘリが、警察の制止も無視して飛行禁止空域に入ってきたらしいです」
菅野の報告を受けて、清水は口が横に裂けたかのような凄惨な笑みを浮かべた。
「わたしたちの力を見せつける、良い機会よ。要求に従わなければどうなるかデモンストレーションしてやりなさい」
溜まったフラストレーションを解放する絶好の機会だ。萩生田は頷き、部下たちに「対空戦闘用意!」と声を張り上げた。
戦闘員らは事前の計画通り、生徒ホールに積み上げられた箱の中から、長さ一メートル近い金属製の筒と弾頭を取り出していった。
*
「明日の朝刊はオレの写真が載るぜ! いや、それどころじゃねえ。こりゃ今年の毎朝報道大賞も間違いなしだ!」
毎朝新聞社で記者をしている有田は、興奮を隠そうともせずに上機嫌に言った。
土砂崩れで通行止めになった高速道路を空撮するために自社ヘリコプターで飛び立った彼だったが、都立平山高校がテロリストに占拠されたという速報を聞いて、すぐに目的地を変更したのだ。
新しい目的地は当然、平山高校である。
「まずいですよ。警察と航空当局から、物凄い警告が飛んできてます。これじゃ逮捕されますよ」
操縦席の機長が、ヘッドセット越しに有田に抗議する。だが、カメラの準備をする有田は一切聞く耳を持とうとしなかった。
「うるせえな。空の上にいるってのに、どうやって逮捕するんだよ。戦闘機でも飛ばしてくるってか?」
「着陸したときにですよ! こんなことしたら――」
「ガタガタうるさいんだよ! 写真さえ撮れれば、あとのことは考えなくていい。こっちには報道の自由があるんだ、逮捕なんかされるかよ」
「そりゃ、あなたは大丈夫かもしれませんよ。でも、私は免許取り上げられたら終わりなんですよ」
「そん時はオレが守ってやるよ。だが、今ここでオレの指示に従わなかったら、お前はクビだ。ドローン全盛の今時、次のヘリパイの仕事なんか見つからねえだろうな」
ほとんど脅迫といっていい有田の台詞に、機長が息を呑む。
「さあ、分かったら黙って平山高校に飛ばせ」
「……了解です」
機長は渋々、有田の言う通りに平山高校へ機首を向けなおした。ヘリコプターは、航空当局と警察からの制止と警告を無視し、一直線に平山高校を目指して突き進む。
数分後、ヘリは飛行禁止空域に設定された平山高校から半径五キロの範囲に侵入し、徐々に高度を下げ始めた。
「あと三分程度で平山高校です」
「分かった。もうこの際だ、屋上に手が届くくらいまで高度を下げろ。絶対にテロリストどもの顔を写真に収めてやるぜ」
有田が、さらに滅茶苦茶な指示を出す。
機長は半ば自棄になって操縦桿を倒した。機体ががくんと揺れて、高度が一層下がる。
「いいぞ、分かってるじゃねえか。その調子で頼むぜ」
だが、有田はビビるどころか、楽し気な声をヘッドセットのマイク越しに機長に届けた。
数十メートル下を、家々の屋根が過ぎ去っていく。前方に、薄っすらと煙を吐く四階建ての建物が見えてきた。あの建物こそが、解放機構を名乗るテロリストが占拠した都立平山高校だ。
「もう火はほとんど消えたみたいだな」
有田はぼそぼそと呟きながら、一眼レフの望遠レンズを機窓の強化ガラス越しに平山高校に向ける。シャッタを切る音はターボシャフトエンジンの轟音に遮られて一切聞こえないが、恐らくメモリカードを使い尽くす勢いで写真を撮りまくっていることだろう。
ヘリコプターはみるみるうちに平山高校との距離を詰め、ついに生徒玄関前のタイル敷きになっているエリアの上空で静止した。校舎との距離は二十メートルと離れておらず、望遠レンズには校内の貼り紙の文字すら写るほどだ。
大きいほうの建物の三階だけ、窓に目隠しの布が貼ってあり、中の様子が見えない。そこが、テロリストが人質とともに立て籠もっている場所だと思われた。
有田は、酷く損傷した小さい建物の三階部分から、大きい建物にレンズを移す。
ふと、ファインダの隅で何かが動いた。反射的に、レンズを動きがあった方へ向ける。直後、屋上のドアが開き、黒い戦闘服を着た男たちが出てくる瞬間をファインダ越しに見て、有田は強く撮影ボタンを押し込んだ。
毎秒数枚の連写速度でシャッタが切られ、ファインダ内の光景が紙芝居のように次から次に切り取られていく。
「よしっ!」
十代の若者から初老までの男たちの顔を写真に収め、有田はカメラを構えながら思わず口元を緩めた。
彼らがなぜ屋上に出てきたかなどということを、撮影に夢中の有田が考えることはなかった。
続々と屋上に出てきた男たちが、手にしていた筒を肩に乗せ、その先端を真っ直ぐにヘリコプターへと向けた。
そうなってようやく、有田はレンズの向こうの彼らが何をしようとしているのか察して、「ヤバい避けろ!」と叫んだ。
だが、高度を下げすぎたヘリコプターが取り得る回避運動は非常に限られていて、鈍重な民間用ヘリコプターでは最早どうすることもできなかった。
一人目のRPG‐7対戦車ロケット弾発射器の後方から、バックブラストの猛烈な爆煙が噴出する。同時に、先端に取り付けられていた弾頭が猛然と飛び出し、幸運にも機首の数十センチ先を掠めて空中を飛び去っていった。
だが、幸運はそれきりだった。
一人目に僅かに遅れて、二人目がRPG‐7を発射した。二人目が放った弾頭は煙の尾を引きながら、高度を上げようとするヘリコプターとの距離を一瞬のうちに詰め、テールロータにぶつかって起爆した。テールロータと垂直尾翼が紙細工のように易々と吹き飛ばされる。
テールロータを失ったことでメインロータが生み出す回転力を打ち消せなくなり、水平方向に回転を始めたヘリコプターに、三人目の戦闘員がRPG‐7を発射した。テールロータが吹っ飛ばされた直後に発射された三発目の弾頭は、回転する機体の中央に吸い込まれるように飛んでいき、側面のスライド式ドアをぶち破って機内に飛び込んだ。そして、有田の眼前で遅れて信管が作動し、弾頭は起爆した。
ドアとコクピットの風防が吹き飛び、機内から炎が噴き出す。完全に制御を失ったヘリコプターは、電撃殺虫器に吸い寄せられ感電死した不運なハエのように、煙を吐きながら墜ちていった。
*
墜落し、炎に包まれるヘリコプターを見下ろしながら、萩生田は「まるでブラックホーク・ダウンだな」と呟いた。
「何です? それ」と尋ねる伊瀬に、萩生田は答える。
「知らないか? 解放機構風に言えば、アメリカ帝国主義がアフリカの小国で敗北する映画だ。まあ、普通にアクション映画として面白いから、高飛びした後で見てみるといい。第三世界でもネットフリックスは見れるだろう」
萩生田は、生き残った乗員が這い出してこないことを確かめると、炎上するヘリコプターから視線とAK‐47自動小銃の銃口を外した。そして、「戻るぞ」と言って、戦闘員らを引き連れて校舎内へと戻っていった。
*
「ブラックホーク・ダウンを思い出すな」
用務員室に移動した誠一は、「速報」のテロップを付けて繰り返し流されるヘリコプター撃墜の様子を眺めながら呟いた。一ノ瀬が「何それ」と聞いてくる。
「ソマリアで米軍のヘリが撃墜される戦争映画」
「へえ」
二十インチの液晶テレビは、どのチャンネルにしても、ヘリコプターが撃墜される映像を流している。大きくなるヘリコプターの音を聞いたとき、警察のヘリコプターだと思ったのだが、テレビによればあれは新聞社のものだったらしい。
「新聞屋のクズを殺すなんて、連中もたまにはいいことするじゃん」と一ノ瀬は言っていたが、彼女はマスコミに対して相当恨みがあるようだ。誠一も、家族の葬式会場にまで入って来ようとしたマスコミに対して少なからず怒りを抱いていたので、その気持ちは分かった。
テレビが言うには、警察は平山高校を包囲したものの、その後特に動きはないらしい。
規制線のすぐ後ろから撮られた映像には、月山市どころか東京中から集められたのかと思うほどのパトカーの群れと、機動隊の装甲バスが映っているが、ヘリコプターを撃墜するほどの火力と人質の存在を前にしては何も出来ないのだろう。
誠一たちが警察を呼び寄せたのも、突入して助けてもらうためではなく、解放機構の連中がこの学校から逃げられなくするためなので、二人は別にそれで構わなかった。
『午後二時になりました。先ほどから、にわかに現場の警察官たちが慌ただしく動き始めていて、正式発表はありませんが、午後二時頃に解放機構側から何らかのアクションがあるのではないかと思われます……あっ、校舎三階の窓を覆っていた目隠しが外されていきます! 中には多くの人が見えますが、彼らが解放機構のテロリストなのでしょうか!?』
平山高校の前の民家に早くも橋頭保を築いた関東テレビのキャスターが、二階のベランダから平山高校を眺めながら、煽り立てるような口調で叫ぶ。
画面が教室棟三階へと寄っていき、小さいテレビ画面いっぱいに、ガラスのなくなった窓が映し出された。窓の中には、横一列に並ばされた十人の男女の腰から上が見えていて、誠一たちは彼らの顔に見覚えがあった。
先生方だ。
『久保さん。彼ら、本当にテロリストでしょうか? 全員顔が強張っていて、何か怯えているように見えるんですが』
右上のワイプの中で、スタジオの司会が聞いた。
『すみません、肉眼ではそこまで見えなくて……』
カメラ目線に戻ったキャスターが、さも深刻そうな顔をしながら間抜けなことを言う。
『久保さん、カメラのズーム映像を見て――』
次の瞬間、緊張感の欠片もないテレビのやり取りが、壮絶な銃声によって遮られた。テレビのスピーカーからではなく、廊下を反響してきた生の音だった。
何事かと、咄嗟に銃を手に取る誠一と一ノ瀬。
唯一の入口ドアに散弾銃を向けた誠一に、一足早く状況を理解した一ノ瀬が「テレビ!」と言った。誠一は一ノ瀬の言う通り、テレビに目を向けた。
撮影してから放送までにいくらかの遅れがあるテレビは、今まさに銃声の原因を映していた。
窓際に並べられた先生方が、胸や腹から血飛沫を上げて崩れ落ちていく。
窓枠の中から全ての先生方が消えるのに、三秒とかからなかった。間もなくして映像がスタジオに切り替わり、絶句する司会の顔が大写しになった。
「まさに処刑だな」
誠一が呟く。大して悲しみは感じなかった。先生方とは大した交流がなかったし、少なくともあの十人については今後永久にその機会は失われた。
だが、解放機構に対する怒りは沸々と湧き上がってきていた。奴らは、高見沢駅で百六十七名もの人間を殺しておいて、それだけでは殺し足りないと言わんばかりにまだ殺しを続けているのだ。
「やっぱり、解放機構の連中は一人残らず殺さないとダメね」
一ノ瀬が、テレビを睨みながら言った。誠一も同感だった。




