第13話 交渉
清水麗華は、警察の交渉人からの電話全てに、「交渉はしない。要求に従え」という定型文だけ返して切っていた。
どうせ「期限の時間を延ばせ」だとか「人質を何人か解放しろ」とか言ってくるつもりだったのだろうが、交渉というのは互いが互いの求めるものを手に入れたいときに、妥協点を探るためにするものであり、一方的に差し出させることが出来るときにするものではないと清水は考えていた。
三百人の人質の生殺与奪を握っているのは平山高校を占拠している解放機構のほうであり、政府は要求に従わざるを得ないのだから、解放機構側から交渉に応じる必要などないのだ。
二時に設定した最初の期限には、政府は「時間が足りなかった」とか何とか言って、カネも飛行機も用意しないだろうと清水は予想している。
だが、その直後に、十人――あるいはそれ以上――の生徒が窓際で撃ち殺される様子がテレビで生中継され、その悪夢が十分ごとに繰り返されれば、政府は血相を変えてカネと飛行機の確保に奔走するだろうことも、予想していた。
電話番をする清水は、生徒の犠牲に狼狽えた政府が「カネと飛行機と囚人解放の準備ができました」と降伏を宣言するまでは、まともに取り合うつもりはない。まして、何の決定権もない警察の交渉人ごときを相手にすることなどあり得なかった。
「議長代理、田中が戻ってきません。無線にも応答しない」
校長室から持って来させた革張りの椅子に腰掛ける清水に、萩生田が報告した。
近隣住民の通報で来てしまった消防隊と、それを自動小銃で追い払った結果、大挙して押し寄せてきた警察への対応で手一杯だったので誰もが忘れていたが、約四十分前の連絡を最後に、田中は無線での呼び掛けに応答せず、教室棟三階に戻って来てもいなかった。
「スプリンクラと防火シャッタの電源を入れに、職員室へ行ったのだったかしら」
「はい。無線では、すぐに戻ると言っていたのですが」
「そう……まあ普通に考えて、正体不明の男子生徒に襲われたんでしょうね。本当にやってくれる」
いつも通りの冷たい声に若干の熱が籠るのを確かめ、萩生田は清水の様子を窺った。だが、怒りのような感情を僅かに覗かせた清水だったが、すぐに元の冷たい無表情に戻った。
「これ以上の人員損失は、計画遂行の妨げになりかねないわ。残念だけど田中は死んだと思って諦めるしかないわね。無線の周波数もまた変えないと」
「捜しに行かなくてよろしいのですか?」
「死体を? もう死んでると思うけど。それとも、あなたはまだ生きてると思ってるの?」
清水は、どこか馬鹿にしたような口調で萩生田に聞き返した。萩生田は俄かに沸き起こった苛立ちをおくびにも出さず、冷静に「田中ではなく敵のことです」と応じた。
「田中を含めれば、既に五人が謎の敵の手に掛かって殺されています。早く捜し出して始末しなくては」
「敵は、各個撃破と罠で我々の戦力を削り取ることに成功したわ。こっちが捜索に人を割けば、また各個撃破されかねない。かといって、校舎内を隅から隅までローラー作戦するには時間も人も足りない。面倒は御免よ」
「それはそうですが……しかし、校舎内に誰かも分からない敵がうろついているのは、やはり不味いのでは? 見つけ出して殺さないと、次は何をされるか分かったものじゃない」
清水の楽観的な姿勢に不安を隠そうともしない萩生田に、清水は冷笑の眼差しを向けた。
「それは大丈夫じゃない? 敵は一人だけで、こっちはまだ十二人もいる。賢い敵のことだから、まさか一人でこっちの本丸に突撃してくることはないでしょう。もししてきたら儲けものね。人数差で容易く捻り潰せる」
「いい? わたしたちは、最悪この教室棟三階だけしか確保できていなくても、人質がいる限り無敵なの。つまり、この際、謎の男子生徒は放置で構わないってことよ」
清水は、既に仲間が四人――死亡が完全に確定したわけではない田中も含めれば五人――も殺されているのに、なおも自信満々に講義でもするかのような調子で言い放つ。
萩生田としては、各個撃破されないように三人ないし四人程度の班を組んで校舎内の「消毒」に乗り出し、不確定要素を取り除いて今後の計画遂行を万全なものにしたかったが、清水にその気がない以上、さらに意見するのは無意味を通り越して危険だと判断して言葉を飲み込んだ。
中東で戦闘員をやった経験のある萩生田も、「後改」を恐れる点は他の党員と変わらなかった。
「麗華お嬢様、同志が殺されているのですよ!」
だが、黙った萩生田に代わり、二人の会話を後ろで聞いていた古元が声を張り上げた。清水の目が面倒そうに細められる。
「五人もの同志を殺されたのに、報復するどころか放置するのですか!? 我々の崇高な解放闘争を邪魔立てするのみならず、同志の命すら奪った敵を許すことなど、あってよいのですか!? 再考を強く求めます!」
古元が、古の学生運動の資料映像よろしく、やけに演技っぽい調子でまくし立てる。露骨に鬱陶しそうな表情を浮かべる清水だったが、流石に解放機構創設時からの古参の意見具申を無視することはできず、大きく溜息を吐いた。
「そうね、分かったわ…………それじゃ、敵のほうから出てきてもらいましょう」
清水はそう言って、机の上に置いたトランシーバを大儀そうに持ち上げた。
*
『聞いているのは分かってるわ。銃と一緒にトランシーバも持ってったことには気づいてる』
『怯えるのは分かるわ。わたしたちが、あなたのやったことを怒っていると思っているんでしょ? たしかに、怒っていないと言ったら嘘になるわ』
『でも、わたしたちの目的は、あなたに報復することじゃない。もっと大きな目標のために動いているの』
『だから、わたしたちは、あなたがこれ以上犠牲者を出さないために、そして何よりあなた自身が犠牲者にならないために、提案したいことがあるの。お互いにとって悪い話じゃないと思うわ。聞いてくれるかしら?』
トランシーバから聞こえてくる清水の猫撫で声は、優しく聞こえるように最大限配慮されているようだったが、多少の雑音では隠し切れない殺気が含まれていた。容姿端麗学業優秀、カリスマ性も兼ね備えた彼女だが、演技の才能には恵まれなかったらしい。
「このクソ女、何を抜け抜けと」
一ノ瀬が吐き捨てる。誠一も同意見だった。
『お願い、聞いてるなら返事をして。わたしは、あなたを殺したくはないの。話し合えば、きっともう誰も犠牲にならずに済むわ。でも、返事をしてくれなければ、わたしは仲間にあなたの捜索と殺害を命じなくてはならない。だから応えて』
清水の声が途絶え、トランシーバは再び沈黙した。こちらの返事を待っているのだろう。
「何が『殺したくないの』よ、白々しい。殺したくて殺したくて仕方がないくせに」
一ノ瀬が怒り心頭といった様子で、誠一が床に置いたトランシーバに手を伸ばす。それを見た誠一は、慌ててトランシーバを手に取った。
「おい、どうするつもりだ?」
「貸して、もう我慢できない。あのサイコ女に言い返すのよ」
「冗談だろ。せっかく一ノ瀬の存在はまだバレてないってのに、自分から『もう一人います』って教えてやるつもりかよ」
「じゃあ、あんたが話しなさいよ」
一ノ瀬はそう言って、誠一を睨みつけた。
さっきから思っていたが、解放機構が絡んだときの一ノ瀬は沸点が液体窒素並みに低いようだ。短機関銃一丁で特攻しようとしたり、何のメリットもないのに清水からの無線に応答しようとしたりと、怒りに任せた考えなしの行動が目立つ。
「あのクソ女に言われっぱなしでいいの? だとしたら、とんだ腰抜けね」
ムカつくが無視しようと考えていた誠一だったが、そう言われれば返答するしかない。それに、一ノ瀬と共に無謀な復讐を実行に移している自分も大概なのだ。今さら「冷静になれ」などと言うつもりは一切ない。
誠一は少し考えてから、トランシーバのPTTボタンを押し込んだ。
「……あんたの言う犠牲者ってのは、お前らテロリストのクズどものことを言ってるのか?」
挑発的な誠一の台詞に、一瞬の間をおいて清水が応じた。
『そんなに怒らないで、落ち着いて? わたしの大切な仲間もそうだし、このままいけば死んでしまうことになる、あなたや哀れな生徒たちもそうよ』
「死んでしまうだと? お前らが殺すんだろうが」
挑発して清水を怒らせようと思いついた誠一だったが、清水の声を聞いて、早々に自分のほうが苛立ち始めてしまっていた。これでは、清水に口を滑らせるどころか誠一のほうが余計なことを口走りかねない。
一方、清水は寒気のする猫撫で声を保ったまま、さらに話しかけてきた。
『そうね、本当はしたくはないけれど、手を下すのはわたしたちよ。それは間違いない。でも、その責任の一端はあなたにもあるのよ』
「バカバカしい。お得意の責任転嫁か?」
『違うわ、事実よ。あなたが派手に暴れてくれたせいで、計画が少し――いえ、だいぶ狂ってしまったの。本当は、警察が来るのはもっと遅い予定で、わたしたちは準備万端の態勢で交渉に臨む予定だった。でも、あなたに仲間を何人も倒されて狼狽えているところに警察が押し寄せてきてしまって、当然わたしたちは準備も何も済んでいなかった。だから、不本意だけど、わたしたちは要求を通すために、少々手荒な手段に頼らざるを得なくなってしまったわ。このまま政府が要求を呑まなければ、残念だけど人質の生徒が何人も死ぬことになる。この本来必要のなかった犠牲は、あなたの責任よ』
「悪いがその手には乗らない。元から手荒な手段を取るつもりしかなかったんだろうが」
物分かりの悪い子供に言い聞かせるような口調で話す清水に、誠一はぴしゃりと言った。
相手に少しでも自分の責任もあると誤認させて罪悪感を抱かせ、有利に話を進めようとでもしたのだろうが、これで納得するほど誠一は愚かではない。
清水も、誠一が流されなかったことを悟ったらしく、『売り言葉に買い言葉で、本題から逸れてしまったわね』と話題を切り替えようとしてきた。誠一のほうにも問題があると言わんばかりの物言いに、さらに苛立ちが募る。
だが、冷静さを欠けば向こうの思う壺だと、誠一は盛大に舌打ちをして苛立ちを紛らした。
『本題に入るわね。端的に言うと、あなたがわたしの要請に従ってくれさえすれば、命と安全を保障してあげるって話よ』
清水が、溢れ出る殺意を隠したつもりの猫撫で声で言う。誠一は鼻で笑った。
「笑わせるな。投降したら、いわゆる人道的な扱いを受けられるとでも言いたいのか? そんなの、五歳児でも信じないね」
『そうじゃないわ。あなたには、ただ黙ってこの学校の敷地から出て行ってほしいの』
清水の、それだけは嘘偽りなさそうな声音がトランシーバから聞こえ、誠一は一ノ瀬と顔を見合わせた。
「つまり……どういうことだ? あっちから閉じ込めておいて、出て行ってほしいだと?」
「意味が分からない。でも、どうせロクでもないこと企んでるに決まってる。信じられないね」
PTTボタンを押していないため二人の会話は届いていないとはいえ、誠一がすぐに応答しなかったことで清水はこちらが戸惑っている感触を得たらしく、間もなくして『混乱するのも無理はないわ。でも、きっとお互いの利益になる話よ』と重ねた。
『あなたには、すぐにでも学校を出て行ってもらいたいの。そうすれば、あなたはもうこれ以上危険な目に遭わずに済む。学校を出たら、そのまま家族の待つお家に帰れるわ。わたしたちも、あなたの相手をしなくて済む。ウィン‐ウィンだと思わない?』
清水の胡散臭いことこの上ない提案に、誠一は呆れたように笑い、PTTボタンを押した。
「こっちが知らないと思って喋ってるのかもしれないが、お前らが上から見張ってることは分かってんだ。のこのこ出て行って撃ち殺されるほど、俺は馬鹿じゃない」
『あなたは撃たないと約束するわ』
「テロリストの約束を、信じられると?」
『信じるしかないわ。あなたには、わたしの提案を受け入れて自分の足で学校から出ていくか、全てが終わった後に死体袋に入れられて学校を出るかの二択しかないのよ』
清水が、多少の威圧感を声に乗せて言った。それまでの優し気な声音との対比で、こちらを怯えさせ判断を急がせようという魂胆なのだろう。だが、ここ数時間で多数の死線を潜ってきた誠一と一ノ瀬に対して、その程度の脅しが通用するはずもなかった。
「清水はこう言ってるけど、どうする?」
一ノ瀬が、肩を竦めて誠一に聞いてきた。誠一が「腰抜け」でないか暗に確かめているようだったが、いくら家族の死から三年も逃げ続けてきた誠一とはいえ、ここまで来て逃げ出すほど意志薄弱でも愚かでもない。
「当然、信じないし、提案も受け入れない。俺には家で待ってる家族なんかいない。奴らを皆殺しにするまで、たとえ出て行ってくださいって土下座されたって居座ってやるよ」
誠一の返事に、一ノ瀬が口角を上げた。
「そう来なくちゃ。――誰が引っかかるか、バカ女」
そう言って、一ノ瀬はトランシーバに向けて中指を立てた。相当に頭にきているようだ。誠一も、清水のくだらない猿芝居に付き合わされたことと、こんな見え透いた罠に引っかかると思われたことに腹が立っていた。
このまま何も返さず無視しても良かったのだが、しかし、せっかく向こうからコンタクトを取ってきてくれたのだから利用しない手はない。
誠一は「どうせだから、少しでも時間稼ぎさせてもらうぞ」と呟いて、再度トランシーバのPTTボタンを押した。
「もちろん提案を受け容れる。俺は生きて家に帰れれば、それでいいんだ。十分後に校舎の外に出るから、頼むから撃たないでくれよ」
心にも思っていないことをトランシーバのマイクに吹き込む。
『……十分後? 悪いけど、すぐに出てきてほしいのだけれど』
「いや、そうしたいのは山々なんだけどな、恥ずかしい話、ズボンが濡れてしまっているんだ。人道的見地から少しだけ待ってくれないか? 頼むよ」
言ってしまってから、流石に適当過ぎたかと思った誠一だったが、少しの間の後に清水から『五分で着替えて昇降口から出ていきなさい』と応答があった。ひとまず、提案を受け入れたと信じさせることには成功したようだった。
「随分とみっともない嘘ね」
「これから殺す女にどう思われようと構わないからな。そのおかげで五分稼げたんだぞ。どうする、作戦会議にでもあてるか?」
「それもいいけど、まず武器の確認をしよう」
「そうだな。弾の残りとかも把握しとかないとだしな」
清水とのやり取りを終えた誠一と一ノ瀬は、休むことなく次の行動に移った。
二人が、これまでに殺した敵から奪ってきた銃器を床に並べていく。
モスバーグM500ポンプアクション散弾銃。チューブマガジンの中に残っていた分と銃床にホルダで取り付けられた予備弾を合わせて、ショットシェルは残り十発。
UZI短機関銃。弾は、三十発入り弾倉が一本分。
ミニUZI短機関銃。UZIと同じ三十発弾倉が四本。
グロック17自動拳銃。十七発入りの弾倉が三本。銃弾は9x19mmパラベラム弾で、UZIやミニUZIと同じものだ。
「こうして見ると壮観だな。これだけあれば勝てそうな気がしてくる」
「楽観的すぎない? 銃はあっても、弾が足りないんじゃない。それに、敵はもっと強力な機関銃やロケット砲まで持ってるんでしょ」
「なら、それも奪ってやるまでだ」
誠一がモスバーグM500散弾銃とミニUZI短機関銃、一ノ瀬がUZI短機関銃とグロック17自動拳銃を取る。二人にメインとバックアップの武器が行き渡り、ひとまず体裁は整った。UZIとミニUZIは弾倉が共用できたので、ミニUZIの弾倉は一ノ瀬にも分けた。
だが、一ノ瀬が言うように、本格的な銃撃戦になったらすぐに撃ち尽くしてしまいそうである。多少武器が手に入ったからといって、無暗に特攻すれば犬死することには変わりはないだろう。
携帯はやはり圏外で、電話を掛けることもネットでニュースを調べることもできない。
小さい窓からは、校庭の向こうに集結したパトカーの赤色灯の瞬きが見えるが、警官は校門の外から遠巻きにこちらを見ているだけで、突入してくる兆しはない。
部室にはテレビもラジオもないので、今どういう状況なのかが全く分からないのだ。トランシーバをいじくれば警察とのやり取りも可能なのかもしれないが、操作方法が全く分からない。
武器も体調も現時点で取り得る限りでは最高の状態だったが、状況が何も分からないのに次の行動を決めるような博打はできない。何人かテロリストを殺すことに成功したとはいえ、不利な状況に変わりはないのだ。無謀な行動をして死んでしまっては、復讐の完遂という二人の目標が永遠に達成できなくなってしまう。
「状況が知りたい。テレビはないか?」
「部室にはないよ。一番近いところで、多分用務員室か事務室にはあるんじゃない?」
「じゃあ、そろそろ休憩は終わりにするか」
誠一の提案に、一ノ瀬も頷いて立ち上がった。
誠一はミニUZI短機関銃をスリングで肩に下げ、予備弾倉をブレザーのポケットにねじ込む。モスバーグM500散弾銃は、いつでも撃てるように手に持つ。
一ノ瀬も、UZI短機関銃を持ち、グロック17自動拳銃はスカートと背中の間に挿し込んだ。
「残り十二人だ。腕が鳴るな」
「警察より先に皆殺しにするのは骨が折れそうだね」
誠一と一ノ瀬は部室を出た。敵の気配を聞き逃すまいと尖らせた聴覚に、バタバタというヘリコプターの音が響いてきた。




