第12話 それぞれの過去
特別教室棟四階の音楽室を出た後、誠一と一ノ瀬は体育館に移動していた。
警察が来たようだが、すぐに突入してくるとは思えないので、状況確認と回収した武器類の確認、そして何より休憩をしたかった。
田中は、誠一たちの捜索は中断されたというようなことを言っていたが、だからといって堂々と廊下に座り込んで休むなどあり得ない。できるだけ敵の拠点である教室棟三階から離れていて、かつ見つかりにくいところが良いと考えていたところ、体育館にあるアーチェリー部の部室を一ノ瀬が提案したのだ。
平山高校の体育館は教室棟と繋がっていて、教室棟一階と二階の廊下から体育館に直接行くことができる。
体育館は二層構造で、一階が武道場、二階が通常の体育館という構造になっている。武道場の中二階には運動部の部室が並び、一ノ瀬の所属するアーチェリー部の部室もその中にある。
帰宅部の誠一には縁のない場所で、来るのは初めてだったが、部室は予想以上に狭い部屋だった。部員が何人いるのか知らないが、全員入れるとはとても思えない。
「ミーティングは教室を借りてやるから、この部屋に全員集まることはないのよ。ここは道具置いたり、たまに着替えたりするのに使うくらいね」
一ノ瀬が持っていた合鍵で部室に入り、外から見えない棚の影に並んで座った二人は、ひとまず緊張を解いて一息ついた。箱で置いてあったスポーツドリンクを飲みながら、反対側の壁際に並ぶクリーム色のロッカーをぼーっと眺める。
ふとその上の時計を見れば、針は正午の十分過ぎ辺りを指し示していた。この「事態」が始まってから、約二時間が経ったようだ。二時間しか経っていないのに、誠一はもう三日三晩眠っていないかのように疲れ果てていた。
この二時間の間に、誠一は軽く一生分は死にかけ、さらに五人の解放機構構成員を殺した。うち二人については、とどめを刺したのは一ノ瀬だったが、だからといって気分が軽くなることはない。敵を殺したことが間違いだったとは考えていないが、それでも殺人を犯したという事実は誠一の精神に衝撃を与えていた。
家族を殺した解放機構への怒りと憎しみが収まることはないし、職員室で一ノ瀬に触発されて固めた復讐への決意が揺らぐこともない。
さらに多くの解放機構構成員を殺してやりたいと、強く願っている。
だが、一旦興奮が解けて落ち着いてしまうと、どうしても調理室で男の喉を刺したときの感触が思い出されてしまうのだ。
誠一は、右手を何度か握ったり開いたりして、その感触を振り払おうとした。復讐をここで止める気は一切ないが、色々と湧き上がってくる思いや感情全ての相手をしていたら、気が触れてしまいそうだった。
「私の兄は」
唐突に一ノ瀬が声を発した。外に漏れ聞こえないように声量は抑えられていたが、隣の誠一には良く聞こえた。
「私の兄は、大学進学してすぐ、解放機構の活動にはまった。家のテレビでニュースをやっていたら、毎回、いかに今の日本の政治が堕落しているか糾弾して、解放機構がどういう理念を抱いているのか演説をぶっていた。日本の政治を擁護するつもりなんかなかったけど、でも解放機構の主義主張が過激すぎることは、中学生の私にでも分かった」
誠一は相槌をうつこともなく、一ノ瀬の声に耳を傾ける。一ノ瀬は、誠一でも前のロッカーでもなく、自分の昔の記憶に目を向けるようにしながら話を続ける。
「両親も、解放機構から抜けるように兄に何度も言っていた。だけど、そうするごとに兄は態度を固くしていって、最後には両親をファシスト呼ばわりして、家を出ていった。その後、大学近くの、解放機構党員で借りてるボロアパートで集団生活してたみたい。連中は革命キャンプとか呼んでたらしいけど、そのくせ学費は親に出してもらってたんだから、いい気なものよね」
「出ていった後、兄が家に帰ることはなかった。一度、兄に『話がある』って牛丼屋に呼び出されたことがあったけど、何の話かと思えば解放機構中高生部門の勧誘だったから、コップの水ぶっかけてやった。それ以降、兄が連絡を寄越すことは一度もなかった」
「次に兄に会ったのは、火葬場でだった。会ったといっても、至近距離で爆弾が爆発したから、身体は半分も残っていなかったらしくて、棺桶の蓋は閉じていた。母は葬式をやりたかったみだいだっただけど、父が『テロリストの葬式なんか絶対にしない』って言って葬式はしなかった。私も父と同意見だった」
「父は三芝電器の子会社で働いてたから、当然居づらくなって辞めざるを得なくなった。家には連日報道陣が押し寄せてきて、カメラを向けられた。嫌がらせで石やゴミが投げ込まれるのも日常茶飯事だった。嫌がらせしてくる奴らの中には、解放機構の党員もいた。連中が言うには、勝手に過激な行動をして解放機構に迷惑をかけるなんて許せないってことらしかった」
淡々と話す一ノ瀬だったが、関節が白く浮き出るほど固く握り締められた手が、激しい怒りを必死に抑えていることを示していた。
「ある日、家に帰ったら母が自殺していた。もう耐えられなくなって、父と私はその後すぐに縁もゆかりもない東京に逃げた。人が多いから、紛れ込めるだろうと思って。それだけは上手くいった」
一ノ瀬の声が震え、少しずつ感情が乗り始める。
「その一年後、高見沢駅爆破事件が発生して、逮捕された解放機構幹部が三芝電器自爆テロの真相について供述した。兄は、幹部から爆弾を三芝電器の面接会場に仕掛けるように命じられて、一度は断ったらしかった。でも、幹部は兄に『後改』をちらつかせて脅して、無理矢理三芝電器本社に行かせた。兄は爆弾を設置することを最後まで躊躇していたらしいけど、幹部はそもそも兄ごと爆破するつもりだったんだから、関係なかった。兄の手の中で爆弾が遠隔起爆されて、兄は近くの学生二人を巻き込んで死んだ」
「解放機構は、兄を使ってテロを起こしたのに、全ての責任を兄に押し付けて謝罪も何もしなかった。挙句、体裁を繕うために、私たち家族に嫌がらせまでしてきた。解放機構は、兄だけじゃ飽き足らず母まで死に追いやったんだ」
一ノ瀬の声に乗った怒りが最高潮に達する。だが、それはすぐに雲散霧消し、また感情の抜け落ちた声が戻った。
「逮捕された解放機構議長・清水敏文の娘、清水麗華が都立平山高校に入学することを知って、私も平山高校への入学を決めた。未だに解放機構の活動を続けていた清水麗華を殺すために」
「同じ学校に行けば、すぐに殺すチャンスは訪れると思ってたけど、腰巾着の大河原たちまで一緒に入学してきたのは想定外だった。授業中以外、清水の近くには必ず親衛隊が一人は貼り付いていて、殺すことはおろか近づくことすら無理だった」
「だから、遠くから清水を射ち殺すために、アーチェリー部に入った。でも、調理室でやったのを見てたから分かると思うけど、アーチェリーで人を殺すのはほとんど不可能。全然威力が足りない。どうにかして親衛隊を引き離して清水を刺し殺せないかとか、クロスボウで殺れないかとか色々計画したけど、父に迷惑を掛けないためには犯人が分からないようにやる必要があったから、全部失敗。次はコンパウンドボウで仕掛けるつもりだったけど、もうそれはいい。銃が手に入ったんだからね」
そう言って、一ノ瀬はUZI短機関銃を持ちあげて薄く笑った。
「私の話は終わり。じゃあ、次は佐々木の話を聞かせてよ」
一ノ瀬は、黙って聞いていた誠一に目を向けた。誠一は戸惑いながら「いいけど……何で?」と尋ねる。
「ただのアイスブレイクだよ。私たち、もう運命共同体なんだよ? 一緒に死ぬかもしれない相手のことをもっと知っておきたいじゃん」
一ノ瀬が、誠一に笑い掛ける。今度の笑みは、さっきの憎悪と殺意を含んだぞっとするような笑みではなく、雑談に興じる普通の高校生のものだった。
誠一は「別に大した話じゃないぞ」と言ったが、一ノ瀬に「私だけに喋らせて終わらせるつもり?」と睨まれ、仕方なく口を開いた。
「一ノ瀬は知ってたみたいだけど、俺は三年前の今日、高見沢駅にいた。父と母と、六歳下の妹も――」
誠一は、これまで必死に蓋をしようとしてきた過去を思い出しながら、ゆっくりと喋り始めた。もう何年もろくに人と話していないし、まして家族の死について叔父夫婦以外に話したことなどなかったが、同じ境遇の一ノ瀬には何の抵抗もなく話すことができた。
といっても、一ノ瀬ほど内容のある話ではなく、高見沢駅爆破事件で家族全員を失い、その後は無気力に日々を流れるままに任せて過ごしてきたというだけの話だったが。
「じゃあ、清水のいるこの高校に入学したのは、たまたまだったの?」
「そう。家から一番近い高校だったから、ここを選んだだけで、入学したら清水がいて驚いた」
「清水を見て、殺そうとか思わなかったの?」
「最初は思ったよ、もちろん。だけど、下校中の清水を襲撃した爆破事件の遺族が大河原に顎を砕かれたって聞いて、すぐに諦めたよ」
一ノ瀬が、軽蔑の目を誠一に向けた。
「あんた、腰抜けね」
「ふん、何だかんだ言って一ノ瀬だって清水を殺せてないじゃないか」
「完全犯罪は難しいのよ。テロリストの兄に続いて、私まで殺人犯になっちゃったら、いよいよ父さんが狂っちゃうでしょ」
一ノ瀬はおどけたような口調で言ったが、ふと真面目な雰囲気に戻って
「それで、何でその腰抜けのあんたが、今日になって突然やる気になったの?」
と誠一の目を真っ直ぐに見据えた。
逃げ腰だった誠一が突然やる気を出し始め、実際に化学室の爆破や田中の拷問をやってのけたことを、一ノ瀬は疑問に思っていたのだろう。
誠一は一ノ瀬から目を逸らし、頭を掻きながら言った。
「一ノ瀬を見てたら、俺は何やってんだろうってなって、もうとっくに失ったと思ってた解放機構への復讐心が湧き上がってきたんだよ。まあ要は、一ノ瀬の復讐心にあてられたんだ。でも感謝してる。ありがとう」
感謝の言葉だけは、一ノ瀬の目を見て言った。今度は一ノ瀬が目を逸らした。
「礼を言わなきゃいけないのは私のほうよ。あんたがいなかったら、私は特攻して犬死してただろうから……ありがとう。それと、今後もよろしく」
一ノ瀬が、右手を差し出してくる。誠一は、その手を握り返した。
「ねえ、誠一って呼んでいい?」
「ええ……? まあ別にいいけど」
「私のことは七海って呼んでくれてもいいよ」
突然、一ノ瀬が奇妙なことを言い出す。誠一は、しどろもどろになりつつも「じゃあ……七海?」と小さく言った。途端に、一ノ瀬が小さく吹き出す
一ノ瀬は、声を抑えるために変な笑い方でひとしきり笑ってから、「冗談よ」と言ってさらに笑った。
「なんだよ、からかってんのか?」
「あんた、私の下の名前も知らなかったでしょ。だから、一応知っておいてほしかったんだ。死ぬときには、下の名前で呼んでよ」
「少なくとも清水を殺すまでは死んでたまるかよ。だけど、もし万が一死ぬときは、俺のことも誠一くんって呼んでくれ……七海ちゃん」
「殺すよ」
誠一の肩を、一ノ瀬が小突く。ついさっきまで生きるか死ぬかだったのが嘘のように、弛緩した雰囲気が狭い部室に流れた。
二人は一瞬の間とはいえ、五分後には自分たちが死んでいるかもしれない状況を忘れ、自然に笑い合うことができた。
だが、冷え切っていた部室の空気が少し温まりかけてきたのを見計らったかのように、それまで沈黙を保っていたトランシーバが突然雑音を発した。そして、すぐに聞き覚えのある女の声が聞こえてきた。
『ねえ、聞いてるんでしょ? 少しお話ししましょう、ネズミさん』
間違いなく自分たちに向けられた清水麗華の問い掛けに、二人の顔に浮かんでいた笑みが凍り付いた。




