23 弟とカゲ。真正面から魔女を見据える。
「なにアッシュ君。こっちに帰ってきてくれるの?」
魔女と弟が対峙し会話する。
俺は間に入って両者の言葉を互いが理解できるように通訳をしていた。
そもそも俺と弟は異世界人なので弟が話せるのは日本語と義務教育レベルの英語だけ、俺は異世界転移モノのキモである特殊能力欄を一個潰して得てしまった現地人とお話できる。なんて時間と学習時間を傾ければ誰でも出来るようになる現地の言葉が話せるなんてクソみたいな特殊能力のおかげでこの世界の住民とも言葉でコミュニケーションが取れるわけだ。
なるべく一言一句違えないように互いの言葉を互いに伝える。
「それは申し訳ないけど、出来ない。僕はアッシュじゃないんだ。だから改めて自己紹介をしよう? 僕は秋重だ。あなたは?」
「違うよ。君はアッシュ君だよ。私の弟くんで、このアリダスちゃんのお兄ちゃんなんだよ?」
「いや、その子はカゲだよ。確かに僕たち大切な妹分ではあるけど、アリダスちゃんじゃないんだ」
「私たちは仲良し家族で、最初からずっとあの家で穏やかに暮らしてきたんだよ? だから帰ろう?」
「確かにあなたとカゲと僕。とっても穏やかに過ごせたように思える―――」
「でしょう? 私たちうまくやってたんだよ。そんな記憶がどうとかこれまでがどうとかこれからどうとかじゃなくてさ、ずっと穏やかに暮らしていきましょう?」
「でもダメだよ。そこに兄ちゃんがいない。僕はカゲが欠けても兄ちゃんが欠けてもいやなんだ。記憶が無くちゃ僕は僕の大切なヒトを想えない。それは嫌なんだ」
……びっくりするくらい会話が成り立っていねェ。
言葉が通じるだけで、相互理解なんて出来ないんじゃねぇかこれ。
言葉のキャッチボールの体を為していない。聞いている俺としては歯がゆくて仕方ないが、会話の当人である魔女はもっともどかしいらしい。
ギリりと歯ぎしりの音が聞こえる、聞こえ続けている。
いくつもいくつも不毛でしかない会話が続く。これを通訳させられる俺の苦労を誰か労ってくれ。
徐々に語尾が上がっていく感情的な魔女に、あくまでも諭そうとする冷静に接する弟。両者のスタンスは真逆だった。
(おい、魔力が来たぞ。魔女が仕掛けてきた!!!)
これ以上の会話は無駄だと思い至ったのか、とうとう魔女が力づくでの解決へ舵を切ったようだ。
「おい秋重。また魔女が記憶を無くす魔法を―――」
「―――わッッッ!!!」
俺の忠告は最後まで発声されることは無かった。
鼓膜を破らんばかりに弟が轟音を発したからだ。
弟を中心に音が駆け巡り下葉や空中を舞っていた枯葉が放射状に飛び散る。
音なんて誰でも発することができるこんな日常の所作ですら弟にかかれば威力を持った武器へと昇華される。俺に比べてあまりにもスペックに差が高すぎる。ずっけぇ。
(呆れたな。魔力の防御を声だけで為してしまった。底知れぬ規格外だ、本当にオニイチャンと血縁なのか?)
マオの疑問はもっとも。今もこんなん見せつけられてちょっと自信が揺らいでいる。
「ごめん、なんか耳がきーーんってしたから、思わず大きな声出しちゃって」
どうやら弟には俺とマオの魔力放出アドバイスは届いていなかったようで、なにやら怪しげなモスキート音が聞こえたからそれに対処するために叫んだということらしい。
(魔力の放出を肌で感じる事ができるのか? いや、出来るようになったのか? なんにしてもまだ成長の余地がある。本当にアレは貴様の弟なのかオニイチャンとやら?)
そりゃあ人間なのだ。成長くらいするだろう。
ただ弟に関してはその速度がアホみたいに速いだけなのだ。俺がおっかなびっくり地雷原を地面をさすりさすりして安全を確認しながらチマチマ進んでいく横でヒャッホーィって駆け抜けていくだけなのだ、地雷が爆発してもお構いなしに突き進んでいくだけなのだ。
ある意味で傍迷惑この上ないが、それでもあまりにも万感を以ってすべてが出来てしまう様はあまりにも疎ましくて、羨ましくて、それでいて眩しいのだ。
「うそ‥‥‥」
驚愕に目を見開いて魔女は呟く。
いや、わかる。その気持ちすっごくわかるよ。ついさっきまで通用していた策がいきなり対応されてしまったら普通そうなるよね。
誠にご愁傷様である。
(わかるぞ魔女よ。僅か前までの万策手を全て死に手に落とされる絶望感は‥‥‥これはきっとあの弟と対応した者にしか共感できないだろうな)
マオも若干、魔女に同情気味だった。
ちょっと前の戦闘を思い出しているのだろう。
金色輝く宗教画を思わせる魔法陣を展開し空に君臨するマオを地に、こんな寄生虫にまで貶めた弟という対岸の化け物。
(早く回復して、全力で戦ってみたいものだな)
ただ俺の内臓に巣食うくらい矮小な存在に堕ちてなお、まだこのマオという存在は再戦を諦めていない。とんだ戦闘狂だ。
地位とか名誉とか本来であれば戦うに必要な理由を全てかなぐり捨てて、もう一度戦いたい、競いたいというシンプルな理由だけでこうして生きている。
「兄ちゃん、まだ伝えたいことがあるから早く通訳して」
わけわかんない方向へ思考が脱線していた。
弟の言葉で我に帰りふたたび、弟の言葉を魔女に伝える。
「別に僕は家族である事の条件に血縁というのはそれほど重要じゃないって考えているんだ。血縁なんて兄ちゃんくらいしかいないしね。ただお互いがお互いを無償で助け合えるような関係であればもう家族と呼んでいいと思ってる」
いや、相手の武力を全てねじ伏せて上から家族論をぶつける様は、ある意味暴力的に映るが、弟はきっとそんな深く考えていない。
ただ思いつくままに思いついた事を口にしているだけ、心に秘めている価値観を恥ずかしげもなく語っているだけ。
俺としては、こんな危険人物を家族と呼ぶことになんの抵抗もありませんっていう弟に呆れるばかりである。
ある意味で恐怖すら抱いていると差し支えない。
「いや、ちょっと待てよ秋重。お前もしかしてこの魔女を引き込もうとか考えてないよな?」
通訳を中断して、弟に問いかける。でも弟は曖昧な表情で首を横に振るばかり。
挙句にさっさと通訳を再開しろと目で訴えてくる。
ああもうどうにでもなれと、何度目かわからない諦観をもって通訳を再開する。
「別に引き込もうなんて考えてないよ。ただ、ひとりが怖いって気持ちはなんとなく理解できるんだ。力ばっかりどんどん人間離れしていくのに、心だけはいつまでも人間っていうカテゴリーから離れられない。それなのに他人ばかりはどんどん離れていく、たまたま僕には兄ちゃんがいてくれたから耐え切れたけど、きっとあなたにはには誰もいなかったんだと思う」
化け物の身体と人間の心、ガワと中身の致命的な相違。
そんなん俺にはちっとも理解できない。いつだってどれだけがんばっても平均以下の結果しかついてきてくれなかった俺には決して理解できない。
ただ、俺が躓いた場所なんてとっくに通り過ぎて遥か遠くにいる弟がずぅっと前でひとりぼっちで俯いているは何度も見てきた。
あれが、万能者の孤独というのなら、理解そのものはできなくとも理解しようとすることはできる。
「カゲは、そのヒト。お姉ちゃんと一緒でもいい?」
今度は魔女に後ろから抱きしめられているカゲに問いかける。
いきなり通訳先が魔女からカゲに変わったことに虚を突かれて、一瞬置いていかれそうになったが、カゲの方を見つめて伝えた。
カゲは後ろ上、魔女の目をじっと見つめる。
心がうす汚れた俺みたいな人間にはその無垢で単純でまっすぐな瞳を真正面から受け止めるにはいささか勇気がいる。
後ろめたいときほど見つめ返し難い瞳で魔女を見上げる。
魔女は少し唸って、眉を顰めた。あの顔は後ろめたいものがあるのだろう。
「おいカゲ。正直に言っていいぞ。そのヒトは俺と秋重とお前の記憶を弄った魔女だ。お姉ちゃんなんかじゃない」
俺はなにも別にカゲの印象操作とかしたいわけではない。ただカゲは基本的に考えない。潔いというか危ういというかはその場面で違うが基本的には本能でイエスノーを決めてしまう。
「でも‥‥‥」
カゲがゆっくりと言葉をつぐむ。
聞きたくないのだろう。決して良い称され方はしないだろうと魔女は目を瞑る。
「でも、おねえちゃはべつにわたしたちにひどいことしてないよ?」
しかしカゲの言葉は俺が望んだものではなかった。
「だから、これからカゲの記憶を弄ろうとお前を人質にしてるんだよ。お前は自分が人質にされている自覚をもってくれ」
なんて呑気な人質だろう。幼子故の空気の読めなさだ。
「ひとじち? おねえちゃ、わたしひとじちなの?」
ホントになんて呑気な言葉なのだろう。呆れるしかない。
呆れる愚鈍さで相も変わらず、背後の魔女を見上げ続ける。
少しずつ、魔女の眉間のしわが深くなっていく、きっとカゲはなんにも考えていない。
ただその瞳はまるで己の罪の意識をそのまんま写す鏡みたいにこっちに返してくるものだから、そのうち耐え切れなくなる。
今や魔女の瞳は射殺すほどに鋭く、それでもそんな殺意は外には向いていないようで、ならばそれはどこに向けての殺意だというのか。
ただただ無言で思慮をする時間ばかりが過ぎていく。なげぇよ。時間稼ぎを疑ってしまう。
「ふぅ‥‥‥違うよ」
とうとう魔女が折れた。
カゲから手を離して、真正面からカゲを覗き込む。心のつっかえがとれたのか今度は真正面から見つめていた。
「私の負けだよ」
魔女の敗北発言。
結局コイツを極限まで追い込んだのは暴力などではなく、魔女を慮る弟の言葉に、ただ無垢に真正面から魔女を見据えるカゲの瞳なのだった。




