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8 俺、詰む。

 魔女の家からなんとか逃げ出して、必死に森の中を歩いていた。

 本来であれば走って逃げたい所ではあるが、三半規管が全力でストライキしていて、きちんと意識して一歩一歩を踏みしめないとあっさりと転倒してしまいそうだ。生まれたての赤ん坊かよってな感じだ。

 一歩歩いてはそこらに生えている木にもたれかかって、また次のもたれ先を見つけてはそこへ飛びつく。

 歩くってこんなに大変なんだなぁ。ホントにゲロ吐きそ。

 それにしてもあの魔女だ。

 こんな危険な森に住んでいるのだ、それなりの何か実力があっての事だろう。俺は油断していないつもりだったが、どうしようもなく見積もりが甘かった。いっつも俺は見積もりが甘い、後悔ばかりがひたすらに積りすぎてもう山のようだ。

 今までを振り替えるとこの異世界で一番の危機は雷を行使する幼女に殺されかけたことであるが、あの幼女は短絡的でもう第一印象から敵感丸出しだった。

 だが今回の魔女はその対極、敵意がまったく感じられない。もしかしたら敵意を抱くほどの存在でないと見下されていたのかもしれない。

 あらゆる生物はこんな亜熱帯の森林という環境に適応すべく進化してきたに違いない、それは出来るだけ日光を得ようと高く伸びた木々や捕食者から逃れる術として草に擬態する動物や、毒性植物を食む事で毒性を得て身を守るもの、一代でなったわけではないがそれでも種として生存するために必死に己を変容させてきた。

 しかしあの魔女はどうだ?

 不自然なほど白く華奢な体。危機感など覚えた事のないような無垢に見える笑み。あくまでもこの森の生態系などそっちで勝手にやってろと言わんばかりだ。

 きっとあの魔女はこの森で危機など感じた事もないのだろう。もし今、アレに危機を与えられるような生物がいるとしたら弟しかいない。


「だけど、それもあっちに押さえられてるんだよなぁ」


 ため息とゲロしかでない。

 必死に一歩一歩を刻んでいるが、少しずつ体の不調が収まってきた。

 ようやく三半規管も俺の支配下に戻ってきてくれたようだ。歩幅がどんどん大きくなっていくのがなぜだか嬉しかった。

 とりあえず、どれくらい魔女から離れればいいかは検討もつかないので、ひたすらに離れる事に専念している。

 にしても、全然追いかけてこねぇな。

 逃げはじめ当初、俺はといえば、生まれたての小鹿よろしく歩くのがギリギリの満身創痍だったのだ。少女の足でも追いつこうとすれば簡単に追いつける。

 それをしなかったのは、俺なんていつでもどうとでもできるからか?

 強者ゆえの油断か、それともなにかすぐにその場を離れられない事情があるのか?

 そもそも、俺の三半規管の不調。及びに弟とカゲが眠ってしまったのはどうしてなのか?

 何分、色々な事にひたすらに情報が足りない。

 もう一度撤退して、近隣の国で情報収集をしたいところではあるのだが、もうあそこは弟と魔王が色々やらかして国として機能しているかも危うい状況だったのでこれもうは戻れない。

 下手に俺一人で戻って誰かが国の破壊者である弟との関係者であると覚えていたらそれこそリンチ処刑されかねない。

 ならば情報収集は現地でするしかないのだろう。魔女が住んでいる家をひたすらに張り込みするか?

 いや、最初に魔女と会った時は気配もなく背後に立たれていた、あれが偶然なのか? どれくらいの距離なら安全なのか? 色々なことがわからないが、無事な距離を探るためだけにもう一度張り込みトライは危険が多すぎる。


「八方塞がりじゃねーの!」


 もうセルフでツッコむしかない。

 これだけ逃げて一切追いかけてくる気配がないのだ。とりあえずは逃げ切ったということでいいと思う。

 ものっすごいため息と一緒に腰を下ろした。ようやく一休みができる。木々に覆われて見えない空を仰ぎ見て、絶望的な未来に思わず目を覆う。

 まだまだ思考しなければいけないことは山積みなのに、もうホントコレ頭が全然動かない。思考放棄したがっている。

 なんかもうめっちゃ大変なことがたくさんあった。

 もしも日記を書いていたら、ここ一週間くらい2~3行くらいで終わっていたのに、今日だけ5~6ページくらい勢いで書けてしまうくらい大変だった。挙句に未解決、更に解決の目途すらさっぱりたっていない。

 俺一人ではこんなに無力だ。


「はぁ」


 これが、俺が今までこんな異世界で一番危惧していた。弟を失った最弱お兄様が一人で詰む場面である。


「はぁ」


 考えなきゃいけないことをほっぽって今日のダイジェストがずっと頭で流れている。

 コドモトカゲニンゲンを見つけて、追っかけっこして、弟を見つけて、魔女の家に案内されて、なんか攻撃喰らって、皆寝てしまって、俺は必死に逃げてきて。


「はぁ」


 弟は言葉も通じない癖に、姉さんとやらと穏やかに笑っていて、コドモトカゲニンゲンは記憶を失っても食い意地がはっていて。そこに俺の入る場所なんてなくて。


「はぁ」


 魔女が俺の入るスペースをあげるから、俺に長男弟くんなるポジションをあげるから、一緒に家族ごっこしよう? と誘ってきて。


「はぁ」


 俺はその誘いを蹴って、逃げて今ここにいて、発砲塞がりで詰んでいて。

 ちょっと前まで俺の家族だった二人との思い出がフラッシュバックしてくる。なんか泣けてくるわ。ってかもう泣くしかねぇ。

 弟とコドモトカゲニンゲンとの思い出を肴に泣こうとしてふと気づいた。


「コドモトカゲニンゲンの名前ってなんだっけ?」


 いや、大した意味も由来もないその場で思いついた名前だった思う。

 でも、あの娘の基盤になる名前だから、俺と弟がその名前をまっすぐに呼んであげなければいけない、そんな話を弟としたのは覚えている。


「あれ? 思い出せねぇ」


 次に、コドモトカゲニンゲンと弟の顔が思い出せない事に気付いた。

 思い出のフラッシュバックは顔の所がぼやけていて、そこだけ白い空白がぽかんと浮いている。


「はぁ!?」


 コドモトカゲニンゲンとの出会った経緯を思い出そうとしてみた。

 やべぇ、思い出せない。そもそもなんで俺はあんな半分人間、半分トカゲニンゲンという変な生き物と旅を同行するに至ったんだっけ?

 思わず立ち上がった。

 疲れていたが、それが一瞬でぶっ飛んだ。疲れている場合ではない。冷や汗がぶわっと身体中から溢れる。

 順番に思い出してみよう。

 この森に入った理由は? 弟を探すため。

 なんでこの森に弟がいる? なんかがあって、弟がこの森に落っこちていくのを見たから、なんかってなんだ? 思い出せない。

 気付いた。記憶が現在進行形で秒で瞬でどんどん抜け落ちていってしまっている。


「魔女の家にいた弟と誰だったっけ? 確かそいつらも記憶を失っていた」


 冷や汗が止まらない。

 自分が自分でなくなっていく感覚。一秒前の自分も信じられない、一秒後はもう違う思考をする違う誰か。それを積み重ねていって最後にはもう全然俺というものは残らない。

 恐怖しかない。

 どうすればいい? そもそもどうしてこうなった?


「終わったぁ」


 今俺が覚えているのは、どこかで何かがあって、その結果記憶が抜け落ちていくという事。一番重要であるはずの、どこかで何かがあって、が思い出せない。

 致命的に、今、何かが、終わったのだけはわかる。

 このまま空っぽになっていくしかないのだろうか?

 こんな冷静ぶって思考に時間を割いている時間などもう一瞬もないのではないか?

 とりあえず動くしかない、誰か俺を知っているヤツを探すしかない。

 なんで動くしかないのか? それも思い出せない。

 なんとなく浮かぶ理由もわからない焦燥感に駆られて動き出した。


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