10-1 アプローチ
数学オリンピックまであと数日。私は未だに滝瀬兄弟の家に保護されていた。ご迷惑だとはわかっているけど、琥珀さんの食事はおいしすぎる。今朝もエッグマフィンを作ってくれた。
ーーさて、今日はどうしようか。夏休みの宿題は終わってきている。遊びに出かけたい気もするのだが。
私がダイニングでのんびりしていると、テーブルに突っ伏していた鐘くんが起き上がった。
「夏休みなのに全然遊んでないんだけど!」
「暑いからな。クーラーの効いた部屋にいるのが一番ってなっちゃうよね」
翡翠くんもぐてぐてとしている。だけど数学オリンピックまで、また狙われないか不安でもある。ジーニアスのメンバーは捕まえたけどね。
「家で遊ぶとかは?」
「ゲームとか?」
私が提案すると、鐘くんが返事をした。ゲームも悪くはないけど……。翡翠くんは首を振った。
「僕、そんなに強くないから。ってか、市営プールに行くのは?」
プールと言われた私は、少し困る。さすがに水着は女だとわかってしまうし、そもそも更衣室に入れない。だけど翡翠くんと鐘くんは、プール案に乗り気だ。
「翡翠、水着はあるの?」
「うん。真珠は持ってきてる?」
「うっ……あ、あぁ」
どうしよう。学校の体育の時間、プールの授業は特例でサボっていた。教師は私が女だって知っているから、お言葉に甘えて見学していたのだ。
「そういや真珠って、なんで学校のプールサボってるの? 林間学校も休みだったよね?」
ギクリとする。私は性別のこともあるので、学校行事をサボりすぎている。翡翠くんがおかしく思っても変じゃない。
私はなんとか誤魔化そうとした。
「実は、体に傷があってね。それを見せたくなくて」
センシティブな話ということにしておく。昔はサボったら文句を言われていたのだろうが、今の時代は配慮がありがたい。翡翠くんもそれ以上聞かなかった。
「でも、それはともかくプールには行きたいけどね」
「俺のことは気にしないで、行ってきてもいいよ?」
「したら護衛の意味がない。ショッピングモールでも行く?」
「モールかぁ。まぁ暑くはないよね」
ショッピングモールだったらクーラーが効いているし、のんびりできそうでもある。翡翠くんがじっと鐘くんを見つめると、鐘くんは降参した。
「わかったよ。ショッピングモールね。兄貴たちは行く?」
琥珀さんはやっぱり店番。水晶さんと御影さんも遊びに行くのを辞退した。水晶さんは琥珀さんといたいみたいだし、御影さんは暑い中出かけたくないらしい。
「オレたちだけかぁ。まぁいいや。じゃ、ぼちぼち出かけよう」
私たちはショッピングモールへ出かけることになり、さっそく準備をする。確かモールもクールシェルターになってるんだっけ。ウィンドウショッピングのついでに避難場所になっているのだ。
ショッピングモールまで、バスで10分。到着すると、複合施設になっていたことを思い出した。
「映画館もあるんだっけ?」
「何か面白そうなの、やってる?」
2階にある映画のポスターを見る。夏休みだからかアニメが多いようだ。
「何か見たいのある?」
翡翠くんに聞かれると、私は腕を組んだ。話題になったアニメ映画も面白そうだけど、洋画も気になる。鐘くんにも私はたずねた。
「鐘くんも、見たい映画ないの?」
「オレはそれよりウィンドウショッピングのほうがいいな」
「そうだ。俺、本屋行きたかったんだ」
私はいい参考書がないか、本屋を物色したかったことを思い出す。翡翠くんもうなづいた。
「じゃ、ひとまず本屋に行こう。映画は気が向いたらってことで」
「勉強かよ~……ふたりともガリ勉なんだから」
「マンガもあるよ」
私が笑うと鐘くんはそう言うことじゃないと苦々し気だった。
本屋につくと、私はさっそく赤本のコーナーに向かった。そこで数学の問題を見てみる。なかなかに大学入試問題は難易度があがったような気がする。
隣にいた翡翠くんが、じっと私の手元を見つめる。
「……何? 翡翠くんも入試問題気になるの?」
「いや、キミがその問題を解くかどうか見ているだけ。真珠は数学オリンピックにどんな問題が出るか調べてるんでしょ」
「うん、まぁね」
私は隣の参考書も手に取る。しかし、数学オリンピックの問題は、どんなものが出るかさっぱりわからない。世界中の優秀な学生が出るわけだけど……。
翡翠くんは私をちらりと見る。
「翡翠くんは読みたい本とかないの?」
「本っていうか、キミが気にしているやつを知りたい」
「……えっ?」
私が読みたい本が気になるって、どういうことだろう。首をひねっていると、翡翠くんはぼそっと言った。
「キミは学年順位とか、成績を気にしないけど、僕は気にするんでね。僕の目標は、キミ以上の成績を取ことだから」
「ライバル宣言ってこと?」
私が聞くと、翡翠くんは少し恥ずかしがって顔が赤くなった気がする。だけどライバルね。今まで勉強は自己研鑽だと思っていた。ライバルは自分自身だと思って。でも、翡翠くんが私と張り合うなら……ちょっと楽しいから。
「勉強仲間ってことにしといて」
ライバルだと照れてしまうらしく、言い方を変える。私はそれを聞いて微笑んだ。
「そーいや鐘くんは?」
「……ま、僕たちふたりでいるところに気づくでしょ」
私たちはふたりで本を眺める。気になる本があると手にするが、翡翠くんは私の手に取った本を同じように見つめる。真似されているみたいで苦笑してしまう。
「今年は無理だけど、来年の数学オリンピック、僕も出場を目指す。真珠、覚悟しておいて」
「ははっ、わかったって」
翡翠くんからライバル宣言され、来年の数学オリンピックも出場すると啖呵を切られた私は、どういうリアクションを取ればいいのかわからなくて、笑うしかなかった。
だけど、実は数学オリンピックに関して私の秘密が大問題であることを、翡翠くんたちは知らない。今年は性別を偽って出場するが、来年は……。
とは言え私は現在秋高に在学中なのだから、来年も出られるのだろうか。
「バレちゃいけないな」
「ん? 何か言った?」
「いや、別に」
笑って誤魔化すが、数学オリンピックがつつがなく終わるように今は願うしかないのだ。




