1-2 解いてはならない数式
学校の授業が刃傷沙汰でなくなった。私は教職員や警察に事情聴取された。狙われたとしても、学問の自由が憲法で保障されているはず。今日は事情聴取を終えたあと、私は図書館に向かった。
私ができる反抗、抵抗。それは『学問を続けること』だ。
まず、私の解いたフェルマーの最終定理とは何かという話をしよう。
フェルマーの最終定理とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理である(wiki)のだが、私はこの数式を言語学をもとに解明した。フェルマーの最終定理についての最終論。この数式は文学であり、該当式に対するx,y,zは存在する。n≧3の場合、x=31,y=3,z=9であるとするのが私の仮説だ。
図書館に着くと、オーダーしていた本が置かれたかどうかを確認する。私が頼んだのはコラッツ予測についての本だ。フェルマーの最終定理を解いた私は、また新たな謎に挑もうとしていた。
コラッツ予測についての本はまだ置かれていなかった。私は少しがっかりして、図書館から出る。夕方、夏なのでまだ日は落ちていない。図書館入り口にあるベンチで、自販機で買ったペットボトルの清涼飲料を飲んでいた、そのとき。
「はっはっは! 小城真珠くんだな?」
「誰!?」
振り向くとそこには、先ほど高校に出没した不審者ーーむささび戦隊モモンガーと名乗る男が立っていた。ゴーグル付きヘルメットなので、顔はわからない。
「とうっ!」
花壇の縁にいたコスプレ男は飛び降りると私の目の前に立った。ヤバい。不審者に道を遮られた。逃げ場はない。男は私を黙って見つめる。
「キミは自分が何をしたか……何を解いたのか、理解しているのか?」
「え、えっと……」
「フェルマーの最終定理。人類の難問だった。それを呆気なく高校生が解いてしまった」
問題を解いて、なぜ責められる? 問題って解くために存在しているのでは? そうツッコみたかったけど、相手は不審者だ。私は話題を変えた。
「あんた、なんでうちの高校にいたんだ? 刃傷沙汰の容疑者だろ?」
あくまでも男言葉だ。女だというのを隠して男子高にいるからな。
モモンガーグリーンは偉そうに腕を組んだ。
「包丁を置いたのは僕じゃない。僕はキミを見定めているところだ。キミは正義か悪かーー僕は『正義の味方』だ。もしキミが悪だとしたら、敵対するのもやむを得ない」
「正義も悪もない。わた……俺は数式を解いているだけだ」
「……」
沈黙。モモンガーグリーンは私を見ているのだろうか。ゴーグルがあるので視線の先がわからない。夏の、風が吹いている。熱風だが、優しく頬をなでる。グリーンはため息をついた。
「キミは、解いてはならない問題を解いてしまったんだよ」
私は首を傾げる。私の考えというか、モットーはただひとつ。『この世に解けない謎はない』。モモンガーグリーンに言った。
「問題の答えが正しいかどうかなんて、明らかにしなかったらわからない。だから俺は解き明かすんだ。何が悪い」
「……ぶっ!」
モモンガーグリーンが噴き出す。こちらは真剣な話をしているのに笑われて、少しムッとする。グリーンは笑いながら謝った。
「ごめんごめん。キミは実直なんだね。少し気に入ったよ。だけど……どうやらキミは享楽的なようだ」
享楽的も何もない。目の前に数式謎があったら私は解く。問題を解くことで、人類の発見があるかもしれないじゃないか。
笑っていたグリーンは、腰のポーチから何かを取り出す。私は警戒して構えた。出したのは……。
「気に入った。けど、僕はいつでもキミを殺れる。それを忘れないで?」
グリーンが出したのは、折りたたみ式の三角形の何か。なんだろうと見ていると、それを投げた。どうやら鎖に繋がっているブーメランのようだ。投げても手元に戻ってきた。
「ひゅー! このブーメラン、人を斬れるからね」
「……あんたは、俺の命を狙うのか? やっぱりさっきの刃傷沙汰は……」
「だからそれは違うって。僕は正義の味方だ。あんな卑怯な真似はしない」
そう言うと、グリーンは私に近寄り耳元でささやいた。
「キミ……前の学校はどうして転校したの?」
「……!」
「聞かれたくない質問だったかな? ははっ」
「てめえ……」
私がじろりとグリーンを見ると、両手を軽く挙げて降参する振りをする。
「僕はキミのことをまだよく知らない。だけど、キミのことはしっかりと監視してるよ。天才が暴走したら誰かが止めないといけないからね」
監視、か。私はただ、普通の学生みたいに生活したかっただけなんだけどな。でも数学オリンピックに出るとなると、『普通』で居られなくなるのだろうか。
「……あんた、一体何者だ? ただの変人コスプレイヤー?」
「言ったでしょ? むささび戦隊モモンガーだって。僕たちはこの街を守るヒーローだよ」
ご当地ヒーローというものがある話は聞いたことがある。モモンガーもそれなのだろうか。だけど、この街にご当地ヒーロー? 観光が売りでもなんでもないのだが……。それに一般のご当地ヒーローが、武器を持ってるなんて怪しい。訝しんでいると、またモモンガーは笑った。
「まぁ、要するに悪いことをしなければ僕も何もしないよ。せいぜいその優秀な頭脳で社会に貢献してよ、ね」
言い方に少し刺があるのが引っかかる。だけど私はただ、謎を解くのが好きな高校生ってだけなのに……。
「で? あんたの要件は、俺に釘を刺すってだけ? 俺が変なことをしないように」
「そんなところ」
グリーンの言いたいことはわかった。自分で言うのもなんだけど、天才が暴走しないようにするためなのだろう。だけど私は謎である数式がなければ、特段目立たない一般市民なんだけどな。
そう思ったが、目立たない一般市民が性別を誤魔化して男子高に通ったりはしない。
特別。特別ってなんだ。それはまるで普通でいることを拒否された孤独な人間なのではないだろうか。
「では、僕はこれで。じゃっ!」
モモンガーグリーンは小さくジャンプしたあと、走って行った。
コスプレも大変だな。頭の中でどことなく他人事のような感想が浮かんだ。




