↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/43

指の風

 翌朝、小屋の前で、エルナが指を立てた。


「見て」


 人差し指を、地面の小石に向ける。息を吸って、止める。


 小石は、動かなかった。


「……あれ」


「力んでる」


「力んでない。出そうとしてるだけ」


「それが力みだ」


 あいつは唇を尖らせて、もう一度やった。指先に、魔素が寄っているのは見える。昨日、筆を握ったときと同じ場所だ。寄って、膨らんで、そこで止まっている。出口が見つからない顔をしていた。


 三度目で、小石が一つ、ころんと転がった。


「出た!」


「指一本ぶんくらいな」


「いいの。出たんだから」


 切り株の上で、爺さんは黙って見ていた。膝に両手を置いたまま、目だけが、エルナの指先を追っている。止めもしない。教えもしない。ただ、見ていた。


 エルナは、それから半刻、指を立て続けた。出る日の風は、小石をひとつ転がす。出ない日の風は、息だけが漏れる。足から出るときの、あの突き抜ける風とは、まるで別物だった。


「ねえ、なんで足だと出るの」


 あいつが、肩で息をしながら聞いた。俺に聞いたのか、爺さんに聞いたのか、分からなかった。


「エルナ」


 爺さんが、初めて口を開いた。


「走るとき、足を見るか」


「見ない。先」


「先のどこだ」


「えっと……この木の向こう、とか。あの岩、とか」


「今は」


「指」


 あいつは、はっとして、自分の指を見た。指が、指を見ていた。


 爺さんは、それ以上言わなかった。切り株の上で、また目を閉じた。


 俺は、横で聞いていて、背中が少し冷えた。


 走るときのエルナは、行き先を見ている。魔素は、踵に溜まる。見ているのは足ではない。なのに溜まるのは、足だ。


 今日のエルナは、指を見ている。魔素は、指に溜まっている。そして、出ない。


(見てる場所に、溜まるんじゃない)


 逆だ。たぶん、逆だった。


 走るとき、あいつは「行きたい先」を見る。体は、そこへ向かうために、地面を蹴る。蹴る場所が、踵だ。魔素は、見た場所ではなく、「行き先へ向かう道の、いちばん最初の場所」に溜まる。


 指から出ない理由は、指を見ているからではない。指の先に、行き先がないからだ。


「エルナ。小石じゃなく、あの木を見ろ」


「木?」


「あの松。指は、見るな。松に、風を当てるつもりで」


 あいつは、半信半疑の顔で、指を立てた。目は、遠くの松に向けた。


 息を吸った。


 寄っていた魔素が、指先で、一度だけ揺れた。それから、すっと、前へ伸びた。


 風が、出た。


 小石ではなく、足元の草が、一列、松の方へ倒れた。倒れた草の筋が、五歩ぶん、まっすぐ伸びた。


「──出た」


 エルナの声が、小さくなっていた。嬉しいときほど、声が小さくなる。この数年で知ったことだ。


「あんた、今、何したの」


「何も。行き先を、変えただけ」


「行き先」


「お前の魔素は、行き先が決まれば、そっちに出る。足でも、指でも」


 あいつは、倒れた草の筋を、じっと見ていた。それから、にやりと笑った。


「じゃあ、あたしの風、どこからでも出せるってこと?」


「……たぶん。練習すれば」


「たぶん、ばっかり」


「分かってないことが、多いんだ」


 切り株の上で、爺さんの口の端が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのかどうかは、いつも通り、読めなかった。


 昼を過ぎて、俺は木剣を握った。


 手のひらの真ん中を、柄に当てる。流す。通る。一息で、通るようになっていた。


 そして、切れる。爺さんに叩かれれば、切れる。


 切れたあとを、つなぎ直すのに、まだ二息かかった。


 エルナの風を見て、気づいたことがあった。


 流れは、行き先に引かれる。なら、俺の魔素が木剣の中で散るのは、行き先が、はっきりしていないからではないか。柄の先端まで、行き先は決まっている。けれど、切れた瞬間、流れは行き先を失って、手のひらの手前まで戻ってしまう。


 戻る。そして、最初から、道を探し直す。


 それが、二息かかる理由だとしたら。


(……全部、先へ出すから、戻る)


 流れの全部を、先端へ送っている。だから、切れたとき、手元に何も残らない。


 残せばいい。


 全部を出さず、手のひらに、ひと握りだけ、留める。先端へ行く流れとは別に、手のひらの中心に、小さな溜まりを、一つ置いておく。


 できるのか。


 やってみた。


 最初の三回は、手のひらの溜まりが、先へ引かれて、消えた。次の三回は、溜まりに気を取られて、先端の流れが細くなった。


 七回目に、二つが、同時に立った。


 手のひらに、小さな温かい点。そこから伸びる、細い道。柄を通って、先端まで。点は動かない。道だけが、通っている。


(……分かれた)


 流れが、二本になった、というより、一つの流れの中に、動くものと、動かないものが、並んだ。


「爺さん」


「なんだ」


「叩いてください」


 爺さんは、切り株から下りて、木剣を取った。


 叩かれた。


 先端の流れが、切れた。木剣が、一瞬だけ、重くなった。


 けれど、手のひらの点は、残っていた。


 残った点から、もう一度、道を伸ばした。道は、探さなくてよかった。点が、道の入口を覚えていた。


 半息で、つながった。


 木剣が、また軽くなった。


「……分けたか」


 爺さんは、短く言った。


「はい。手のひらに、少しだけ、残しました」


「俺は、教えとらん」


「エルナの風を見てて、気づきました」


 爺さんは、しばらく、俺の手のひらを見ていた。木剣ではなく、手のひら。そこに何があるのか、爺さんには見えていないはずだ。それでも、見ているような目をしていた。


「もう一度、叩く」


「はい」


 叩かれた。切れた。残った。つないだ。


 叩かれた。切れた。残った。つないだ。


 七回目に、点も、切れた。


 二息、かかった。


「欲張るな」


 爺さんは言った。


「残す量が、多すぎた。残すのは、入口だけだ」


「入口だけ」


「入口が重ければ、動けん。……今のお前には、それが分かればいい」


 爺さんは、また、切り株へ戻っていった。背中が、いつもより少しだけ、ゆっくりだった。


 夕飯の席で、父さんが、匙を持つ俺の手を見た。


 見ただけだった。何も言わない。匙を口に運ぶ手が、手のひらの真ん中を、柄に当てるのと同じ形で、匙の根元を押さえていた。自分でも、さっき気づいたところだった。


「アレン、今日は、よく食べるのね」


 母さんが、おかわりをよそいながら言った。


「腹が、減ってて」


「剣のあとは、そうよ。魔素も、腹に来るんでしょう」


 母さんは、魔素を見ない人だ。見ない人の言葉は、時々、見える人より正確だった。使ったぶんは、腹が減る。それだけのことを、そのまま言う。


「ガイ。あなたも、おかわり」


「……いい」


 父さんは、短く答えて、匙を置いた。置いてから、自分の右手を、一度だけ、ひっくり返して見た。手のひらの真ん中。弱い火を、十年磨いた手だ。


 父さんは、そこに何があるのか、見ようとしていた。見ているのに、見ないふりをしていた。


 俺は、碗の縁ごしに、それを見ていた。見ていることは、言わなかった。


 あの手のひらにも、入口が、あるのかもしれない。


 そう思ったことは、点にして、胸の奥へしまった。


 夕方、村へ下りる道で、エルナが立ち止まった。


「見てて」


 あいつは、道の端の、枯れ葉に向けて、指を立てた。目は、遠くの柿の木に向けている。


 枯れ葉が、一枚だけ、ふっと浮いた。浮いて、柿の木の方へ、三歩ぶん、流れた。


「どう?」


「できてる」


「足じゃなくて、指だよ」


「見てた」


 エルナは、満足そうに頷いて、それから、少しだけ声を落とした。


「ねえ、アレン」


「ん」


「あたしの風、足以外から出たの、あんたの前が初めて」


 足が、少し止まった。


「あんたの隣にいると、出るのかな。それとも、あたしが、変わったのかな」


 どっちだ、と聞かれても、俺には答えがなかった。昨日までの俺なら、答えを探した。見えるもので、確かめようとした。


 今日は、探さなかった。


「……分からん。点だ」


「点」


「今は点でいい。線になる日が、来る」


 エルナは、少し笑って、枯れ葉の落ちた先を見た。


「あんた、その言い方、好きだよね」


「便利なんだ」


 便利だ、とは、前世でもよく言った。仕様未確定、保留、要確認。確認できるまで、点のままにしておく。点にしておけば、嘘にならない。


 掌が、まだ温かかった。


 手のひらの真ん中に、小さな点が、残っていた。木剣を置いたあとも、消えない。入口だけ、残してある。


 この点は、何の入口なのか。


 まだ、分からない。


 分からないものは、点だ。


 点が、また一つ、増えた。増えたぶんだけ、歩く足が、少しだけ軽かった。


(次回)

第三十五話「入口の重さ」


 手のひらに残した入口は、日によって重さが違う。アレンは入口の量を量る方法を探し、エルナは指の風で初めて「狙った場所」に当てる。稽古の帰り、ミレス村の外れで、見慣れない旅の一行を見かける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。