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3/4

エルナの涙と、村の空

 三歳の夏は、異様に暑かった。


 土が乾ききり、畑の作物がぐったりしていた。ガイが毎朝水を引いて回っていたが、表情は険しかった。


 そして夏の盛りに、村で風邪が流行った。


 熱と咳が続く類のもので、子供と老人が特に弱かった。


 そしてエルナも、かかった。


 エルナが倒れたと聞いたのは朝だった。


 アリスが隣に呼ばれていった。俺は庭から彼女の家の窓を、じっと見ていた。


 窓の内側で、誰かが動いているのが見えた。エルナのお母さんだろう。あわただしく動いている。


 俺は何もできなかった。三歳だ。できることなど何もない。


(お前のこと、心配してるんだからな)


 心の中でそう呟いて、また窓を見た。


 エルナは布団の上で横になっていた。


 顔が赤かった。熱があるのだろう、頬が火照っていた。いつも飛び跳ねているのに、今日は全然動かなくて、なんだかすごく小さく見えた。


「アレン……」


 エルナが気づいて、名前を呼んだ。


「来た」


 俺は頷いた。来た、としか言えなかった。三歳の俺にはまだ語彙が少ない。


「しんどい」


 エルナが静かに言った。


 普段のエルナは「しんどい」なんて言わない。転んでも笑うし、擦り傷が出ても「いたいけどへいき!」と言って走り出す。そのエルナが「しんどい」と言った。


 俺は布団の隣に座って、エルナの手を握った。


「てがあったかい」


「うん」


「アレンの手、いつもあったかいね」


 そういえばそうかもしれない。魔素を循環させているせいか、俺の手は他の子より少し温かい気がする。


 その夜、エルナは少し泣いた。


 俺はもう家に戻っていたが、窓越しに声が聞こえた。泣き声だった。あの弾むような声が、しぼんで震えていた。


 俺は何かしてやれないかと思った。三歳の自分に、できることがあるかと考えた。


 何もない。


 魔素を循環させるくらいしかできない。


 翌朝、俺はエルナの家の庭に立っていた。


 エルナの部屋の窓は閉まっていた。


 俺は庭の中央に立って、目を閉じた。


 魔素を感じる。この三年、毎日繰り返してきた感覚。今は意識しなくても体内で循環させられる。呼吸と同じくらい自然になっていた。


 俺がやろうとしていることは、たぶん普通ではない。


 魔素を取り込んで、外に向かって放出する。エルナの部屋の方向に向かって。


 俺は集中した。


 体内の魔素が、手のひらに集まる。


 ゆっくりと、外に──。


 何かが、起きた。


 手のひらから魔素が放出された感覚があった。炎でも水でも風でもない。ただ、清涼な空気の流れが生まれた。


 小さな風だ。エルナの家の窓に向かって、ほんの少しだけ涼しい風が流れた。


 俺は呆然と自分の手を見た。


(これが……俺の、最初の魔法か)


 誰かに教わったわけでもない。適性鑑定もまだ受けていない。この世界の文法でいえば、俺はまだ何者でもない。


 それでも、動いた。


 昼すぎ、エルナが少し元気になったと聞いた。


「なんか涼しかったから眠れた」とエルナが言ったらしく、アリスが「良かった良かった」と笑っていた。


 俺は特に何も言わなかった。


 でも夕方、窓から外を見たら、エルナが窓を少し開けてこちらを見ていた。まだ顔は赤かった。それでも笑っていた。


「アレン」


「うん」


「ありがと」


 理由は言わなかった。俺も「なんで?」とは言わなかった。


 なんとなく、伝わっていた気がした。


 その夜、布団の中で俺は考えた。


(誰かのために使いたい、か)


 前世では「仕事のため」に走り続けた。でも最後の瞬間、死ぬ直前に俺が考えていたのは「明日のリリース」だった。


 誰かの顔が浮かんで、その人のために頑張った、という記憶が少なかった。


 今日みたいなのが、好きかもしれない。


 エルナのために魔素を使って、エルナが「ありがと」と言った。それだけのことが、前世の十年分の「仕事をやりきった充実感」よりも、少し温かかった。


(あの子の前では、ちゃんと使える人間でいたいな)


 俺は目を閉じた。


 夏の夜の空気は、少しだけ涼しかった。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


三話まで来ました。アレンはまだ三歳です。長い旅の、本当に最初の一歩です。


この作品、のんびり書いていく予定なので、更新ペースは不定期かもしれません。でも「続きが気になる」と思ってもらえたら、それだけで書く気力が湧きます。


感想・評価など、気が向いたらいただけると嬉しいです。

次回からは幼少期後半、エルナとの関係がもう少し進みます。お楽しみに。

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