八歳と、約束
生誕祭の朝は、母さんに叩き起こされた。
いつもより一刻早い。眠い目をこすって台所に降りると、竈の前に一張羅が広げてあった。去年の秋に仕立てた麻の上着だ。袖口に、細い刺繍が足されている。青い糸の蔓草模様。昨日の夜には、なかったものだ。俺が寝てから縫って、俺が起きる前に広げておく。母さんはそういうやり方をする人だった。
「今日は、村の子になる日だからね」
「もう村の子でしょ、俺」
「そうよ。分かっててもやるの、儀式って」
(要は権限の付与だな。実装はとっくに動いてるのに、承認だけ今日下りる)
前世にも似たようなものはあった。中身は昨日と何ひとつ変わらないのに、形を通すと周りの扱いが変わる。馬鹿にはできない。
土間では、父さんが黙って靴を磨いていた。俺の靴だった。
「父さん、自分でやるよ」
「もう終わる」
布を持つ手は止まらなかった。磨き終えると、父さんは靴を土間の縁にきちんと揃えて置いて、それだけで外に出ていった。
この家の男の祝いの言葉は、いつも物の形で置いてある。
村の広場に、その年に八つになる子供が並んだ。俺を入れて六人。
エルナは、俺の一つ隣にいた。あいつの生誕祭は先月に済んでいるが、儀式は年に一度まとめてやるので、八歳になった順に並ぶだけだ。よそ行きの服を着て、髪をきつく結わえて、落ち着かないのか、さっきから左右のかかとを交互に浮かせている。
「アレン。あんた、緊張してる?」
「してない」
「嘘。手、握りっぱなしじゃん」
言われて、指を開いた。実際、緊張していた。
八歳の儀は、名前と、鑑定で出た属性を村長が読み上げて、村の一員として数える。それだけのものだ。それだけのはずだった。
「ハーバー家、エルナ。風」
「はいっ」
返事がやたら大きくて、後ろの大人たちが笑った。エルナは耳まで赤くして前に出た。続けて四人が呼ばれた。水、火、土、土。それぞれ胸を張ったり、うつむいたりしながら、列を作っていく。
俺の番になった。
「ミラー家、アレン」
村長の声が、そこで一度切れた。名簿の紙をめくる音が、やけにはっきり聞こえた。
「……適性、なし」
広場が、静かになった。
悪意のある静けさではなかった。むしろ逆で、どう扱っていいか分からない、という種類の静けさだ。八歳の儀は、属性を村に報告する場でもある。報告するものがない子供を、どう数えればいいのか。前例がなかったのだと思う。
(想定外の入力で処理が止まったな。例外の書かれていない手順書だ)
茶化さないと、まっすぐ立っていられなかった。
そのとき、後ろで椅子の鳴る音がした。
父さんが、立っていた。
「村長。うちの息子は、火も風も出せん」
言い方に力みはなかった。ただ、広場の端まで届く声だった。
「だが、薪は割れる。山にも登る。冬に薬師の婆さんの水を汲んだのはこいつだ。東の森の異変に最初に気づいたのも、こいつだ」
村長が名簿から目を上げた。
「──村の一員として、数えてやってくれ」
父さんはそれだけ言って、座った。C級冒険者を十年やった男の、たぶん人生で三番目くらいに長い演説だった。
村長はしばらく考えていた。それから筆を取って、名簿に何か書き足し、顔を上げて言った。
「ミラー家、アレン。……適性、いまだ知れず」
いまだ知れず。
なし、ではなく、まだ分からない。
その場で作った言い回しだ。屁理屈と言えば屁理屈でしかない。それでも、前に出る足がずいぶん軽くなったのを、俺ははっきり感じていた。
列に並んで振り返ると、母さんが手ぬぐいで目を押さえていた。父さんは、そっぽを向いて空を見ていた。
祝いは、広場に敷いた筵の上で日暮れまで続く。
汁物と、麦の焼き菓子と、大人たちの酒。子供は好きに走り回ってよい日だ。俺とエルナは菓子を持って輪を抜け出して、村を見下ろす土手に登った。
「『いまだ知れず』だってさ」
「よかったじゃん」
「よくはないだろ。何も分かってないってことだぞ」
「分かってないなら、これから何にでもなれるってことでしょ」
エルナは菓子をかじりながら、あっさりそう言った。こいつのこういうところは、たまに反則だと思う。
土手の下に、村があった。屋根が三十いくつ。畑と、川と、山と、森。今日、俺はここの一員として正式に数えられた。守るものの輪郭が、地図の上に線で引かれた気がした。
同時に、その地図の外側のことも考えていた。
「エルナ。俺さ、いつか村の外に行くと思う」
言ってから、自分で驚いた。ずっと考えていたのに、声に出したのは初めてだった。
エルナは菓子を持った手を止めて、俺を見た。
「爺さまみたいになるため?」
「それだけじゃない。……ロドのおっさんの話、覚えてるだろ。王都とか、ギルドとか。あれ聞いてから、ずっと」
黙って聞いていたエルナは、菓子の残りを口に押し込んで、手をぱんぱんとはたいた。
「じゃあ、あたしも行く」
「いや、そういう話じゃなくて」
「そういう話でしょ。あたし、あんたを追いかけるって言ったじゃん。忘れた?」
「忘れてない」
「じゃあ決まり。いつか、一緒に村の外に行く」
エルナは片手を突き出した。手のひらを上に向けて、俺の前に。
「約束は、声に出したら逃げられないんだからね」
この村の子供の約束の仕方だった。手のひらを合わせて、三つ数える。それだけの、なんの効力もない儀式だ。
俺は自分の手のひらを重ねた。
三つ数える間、あいつの手のひらの熱が伝わってきた。俺の手は温かいと、昔から言われる。今日は、向こうの方が熱かった。
(言った。もう、なかったことにはできない)
茶化してみても、胸の中に増えた重さは、元には戻らなかった。
日が傾く頃、広場の隅に、見慣れた背中があった。
爺さんだった。山を下りてきていた。祝いの輪には入らず、木の下で村長と短く何か話して、麦茶を一杯だけもらって飲んでいる。
「爺さん。来てたんですか」
「呼ばれたからな。……儀は、見た」
それ以上は言わなかった。父さんのことも、村長の言い直しのことも、何も。麦茶を飲み干すと、足元に置いていた細長い包みを俺に押しつけた。
「持て」
布を解くと、木剣だった。
いつも稽古で使っている借り物より、少し長い。握りが俺の手に合わせて細く削ってあって、柄尻には浅い溝が二本入っている。滑り止めだ。木肌はまだ新しく、削り跡が細かかった。雨の日に俺が習った、あの削り方だ。
「これ……」
「冬の間に削った」
冬の間に、と俺は胸の中で繰り返した。雪の三日間、魔素を見失って俺が焦っていた、あの頃だ。その頃にはもう、この人はこれを削っていたことになる。
「爺さん、あの」
「礼はいい。それより聞け」
爺さんは腰を落として、俺と目の高さを合わせた。こんなふうに正面から目を合わせるのは、初めてかもしれなかった。
「来年から、剣を教える」
息が止まった。
「今まで教えたのは、剣ではない。立ち方と、歩き方と、呼吸だ。剣を持つための体を作っていただけだ。……お前はもう、大方できた」
「じゃあ、今までのは」
「土台だ。土台のない者に剣を持たせると、剣に振り回されて死ぬ」
あっさりそう言って、爺さんは新しい木剣を指で弾いた。乾いた、いい音がした。
「一年やる。宿題を出す」
「宿題」
「音のしない一歩を、十歩続けろ。稽古場ではない、山道でだ。できていたら、来年の春に真剣を握らせてやる」
二歩がやっとの一歩を、十歩。しかも足場の定まらない山道で。
冗談みたいな要求だった。ただ、この人は冗談を言わない。爺さんが出す課題は、いつも、俺がぎりぎり届かない場所に置いてある。届かない場所に置くということは、届くと思われている、ということだ。
「……やります」
「そうか」
爺さんは立ち上がって、山の方へ歩き出した。三歩ほど行ってから、振り返らずに言った。
「八つ、おめでとう」
祝いの言葉は、それで全部だった。
夜、布団の中で、新しい木剣を枕元に置いて、今日を並べた。
いまだ知れず。父さんの声。袖口の蔓草。手のひらの熱。山へ帰っていく背中。
春の初めに、爺さんに聞かれた。なんのために強くなりたいのか。
答えは、まだ出ていない。ただ今日で、材料が少し増えた。屋根が三十いくつの村と、隣を走ると言った幼馴染と、俺を数えてやってくれと言った男の背中。守りたいものの形が、名簿みたいに一行ずつ並び始めている。
(要件定義は、まだ途中だ。だが、項目は確実に増えた)
鑑定の日、俺は水晶球に何も映らなかった子供だった。あれから一年。相変わらず火も風も出せないし、自分の中にあるものの正体は、何ひとつ分かっていない。
いまだ知れず。
悪くない肩書きだ、と思った。
窓の外では、祝いの後片付けをする大人たちの声が、まだ遠くで続いている。明日からはまた、いつもの朝が来る。山に登って、足を運んで、濡れた土に浅い跡を残す日々が。
その先に、村の外がある。
俺は木剣の柄に手を置いて、目を閉じた。
八歳の、春だった。
(次回)
第二十一話「一年の宿題」
第二章「師匠の山と、眠れる力」開幕。爺さんが出した宿題は、山道で「音のしない一歩」を十歩続けること。夏の山で、アレンの稽古はかたちを変えていく。並んで走るエルナの風にも、少しずつ変化があらわれはじめる。
お久しぶりです、玲鈴です。ここ数日ちょっとバタバタしてしまい、更新の間が空いてしまいました……すみません! 書き溜め自体はあったので、お詫びも兼ねて今日は第二十話・第二十一話の二話同時公開です。
第二十話は第一章の締めくくり、エルナとの約束の回。そのまま第二章の幕開けまで、続けて楽しんでいただけたら嬉しいです。
よかったらブックマークで続きを見守っていただけると、とても励みになります。




