父さんの炎
村の炭焼きは、春のうちに一度、まとめてやる。
場所は村外れの共同の炭窯で、火の番は毎年の持ち回りだ。今年の番はうちだった。というより、父さんだった。
「アレン。明日、手伝え」
前の晩、夕食の席でそれだけ言われた。理由も段取りも説明はなかったが、断る理由もなかった。稽古は爺さんの都合で三日休み。東の森は相変わらず立ち入り禁止。体の空いた子供の使い道としては、妥当な人事だった。
母さんは弁当を包みながら、少しだけ笑っていた。
「いい機会よ。父さんの仕事、ちゃんと見てらっしゃい」
その言い方に何か含みがあるのは分かったが、中身までは読めなかった。
炭窯は、土を盛って固めた小山のような窯だった。中には割った薪がぎっしり詰めてある。焚き口は狭く、腹這いにならないと奥が見えない。朝は二人で薪を割り、詰め直した。日が高くなる前に、父さんは焚き口の前に片膝をついた。
「火を入れる」
枯れ枝の束に、右手をかざす。
指先に、火が灯った。
音もなく、豆粒ほどの小さな火だった。それが枯れ枝に移って、ゆっくり育っていく。派手さは何もなかった。火打ち石より少し便利、という程度の火だった。七歳の鑑定の日に聞いた「弱い火」の、聞いていたとおりの姿だった。
ただ。
俺はいつもの感覚で、父さんの体の中を見ていた。そして、静かに驚いていた。
揺れていなかった。
体の奥から指先まで、魔素が細い一本の糸で通っていて、その糸の太さが、まったく変わらないのだ。俺が無属性の圧を出すときは、どうしても出だしが太く、あとが細る。エルナの風は、感情と一緒に膨らんだり縮んだりする。父さんの糸は、最初から最後まで同じ太さのままだった。
(定規で引いた線みたいだ)
弱いかどうかの前に、まず、揺れない。そういう火だった。
炭焼きの火の番は、退屈で、難しい。
強すぎれば薪はただの灰になる。弱すぎれば生焼けの木が残る。窯の中の見えない火を、煙の色と匂いだけで読みながら、焚き口の火を何刻も保ち続ける。
父さんは焚き口の前から、ほとんど動かなかった。時々薪を一本足し、時々、右手をかざして火の勢いを整える。その手当てのたびに、俺は体の中の糸を見た。何度見ても、同じだった。足すときも、抑えるときも、糸は同じ太さのまま、出す量だけが静かに変わる。
「父さん」
「なんだ」
「疲れないの。それ」
「慣れだ」
会話が三秒で終わった。だが、しばらくして、父さんの方から言葉が足された。珍しいことだった。
「強い火は、出せん。だから、続く火にした」
「……続く火」
「一晩保つ火は、洞窟じゃ強い火より役に立つ。雨の夜もだ。派手な火は仲間を照らして、すぐ消える。俺の火は、朝まで消えん」
C級冒険者だった十年の話を、父さんは自分からはほとんどしない。その父さんが、火の話だけは、少しだけ長く喋った。松明が尽きた洞窟の夜の話。氷雨で全員の指が動かなくなった山の話。どの話でも、父さんの火は隅にいて、消えなかった。
(要るのは火力じゃなくて、稼働時間だったわけだ。要件を間違えなかったから、弱くても十年現役だった)
内心の言い方が、途中から尊敬に変わっているのが、自分でも分かった。
昼を過ぎて、俺は焚き口の火を、飽きずに見ていた。
見ていたのは炎ではなく、その根元だ。父さんの指先で、体の中の魔素が「火」に変わる、その一点。
変わる前の魔素は、俺のと同じものだった。
それは、はっきり分かった。父さんの体の中を流れている間、あれはただの魔素だ。俺の中のものと、エルナの中のものと、何も違わない。それが指先から出る瞬間にだけ、火になる。
エルナの風も、そうだった。体の中では同じで、出るときに風になる。
もっと近い言い方がないかと、俺はしばらく考えた。
方言だ。
属性というのは、魔素の方言なんじゃないか。中身は同じ言葉で、外に出るときの訛りだけが違う。父さんは火の訛りで喋り、エルナは風の訛りで喋る。だとしたら、「適性なし」の俺は──訛りがないだけで、言葉そのものは喋れている、ということにならないか。
背中が少し、ざわっとした。
いや、待て。仮説だ。検証もしていない。窯の前で思いついただけの、ただの思いつきだ。確かめる方法を、俺はまだ一つも持っていない。
(思いつきのまま実装を焦ると、ろくなことにならない。前世で学んだ数少ない教訓だ)
俺はその考えを、頭の棚のいちばん奥に置いた。捨てはしない。ただ、まだ使わない。
日が傾く頃、煙の色が変わった。青みがかった、薄い煙。父さんは焚き口の火を落とし、窯の口を土で塞ぎ始めた。あとは窯の中に残った熱だけで、薪は何日もかけて炭になっていくという。
手を動かしながら、父さんが言った。
「見てたな。俺の手元」
「……うん。ずっと」
「何か、分かったか」
どこまで言うべきか、一瞬迷った。方言の話は、まだ棚の奥だ。代わりに、確かなことだけを言った。
「父さんの魔素、ずっと同じ太さだった。足すときも、抑えるときも。あれ、すごく難しいと思う」
父さんは、塞いだ土を手で均しながら、短く言った。
「十年かかった」
それだけだった。それだけで、十分だった。
弱い火を、十年。鑑定の日に聞いた話が、今日、初めて実物と繋がった。あの日の言葉は慰めじゃなくて、ただの事実の報告だったのだ。この人は本当に、弱い火を十年磨いて、朝まで消えない火にした。
「帰るぞ。母さんが待ってる」
立ち上がった父さんの右頬の傷が、夕日で濃く見えた。その傷のいきさつを、母さんもまだ知らないことを、俺はもう知っている。
(この人の中には、まだ開いていない箱がいくつもある)
いつか話したくなったら話すだろう。母さんのあの言い方が、たぶん正解なのだと思う。
夕食の席で、母さんは俺の顔を見るなり言った。
「あら。いい顔で帰ってきたわね」
「そう?」
「そうよ。……ね、母さんの言ったとおりだったでしょ。見てよかったでしょ、父さんの仕事」
朝の含みの中身は、これだったらしい。母さんは父さんの火の凄さを、とっくに知っていたのだ。血だらけで運び込まれてきた頃から、ずっと近くで見てきた人なのだから、当たり前といえば当たり前だった。
父さんは何も言わずに芋を食べていた。ただ、耳が少し赤いのは、囲炉裏の火のせいだけではない気がした。
「炭が上がったら、爺さまのところにも届けなさいね。冬の分の礼だって、父さんが」
「ん」
肯定なのか照れ隠しなのか分からない返事だった。この家の男たちの言葉は、火と同じで小さい。小さいが、消えない。
夜、布団の中で、今日のことを並べた。
同じ太さで通し続ける糸。強さではなく、続くことを選んだ火。そして、棚の奥に置いた方言の仮説。
爺さんの一撃は、途中のない一本の線だった。父さんの火は、切れ目のない一本の糸だった。形は違うが、言っていることは同じだ。派手さの前に、まず、揺れないこと。
俺の圧は、まだ揺れる。出だしが太く、あとが細る。直すべき場所が、今日はっきり見えた。目指す形の実物が、稽古場の山の上だけじゃなく、家の焚き口の前にもあった。
(手本が二つ。恵まれてるな、俺は)
窯の中では、今ごろ薪がゆっくり炭に変わっている。急がず、燃え尽きず、何日もかけて。
なんだか、うちの家族のやり方そのものだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は父・ガイの回でした。寡黙な人の凄さを、本人に語らせずに書くのはなかなか難しく、炭窯の前で何度も書き直しました。アレンが拾った「仮説」がどこへ繋がるかは、まだ先のお楽しみです。
次回は雨の小屋で、爺さんの古い剣の話を少し。感想・評価をいただけると、とても励みになります。
(次回)
第十九話「灰色の剣」
雨の日、稽古はまた爺さんの小屋の中になった。壁に掛かったままの、刃こぼれの古い剣。その由来を、爺さんは少しだけ話す。そして雨上がりの庭で、アレンの「音のしない一歩」が、初めて二歩、続く。




