↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/44

初めての一本

春の山は、音が増える。


 雪の下で黙っていた沢が喋り始め、鳥が戻り、朝の稽古場にも土の匂いが立つようになった。俺は相変わらず、立って、歩いて、魔素を感じていた。三つのことを七か月続けて、ようやく三つが一つになりかけている。そんな時期だった。


 その朝、グレン爺さんは岩の上にいなかった。


 開けた場所の真ん中に立って、木剣を二本、地面に突き立てていた。


「今日は打ち合え」


 俺とエルナは、顔を見合わせた。




 木剣は使い込まれていた。柄の部分だけ色が濃くなっていて、誰かが長く握った跡があった。爺さんが作ったのか、爺さんの弟子が使ったのか。聞ける空気ではなかった。


「一本先取。当てるのは胴と肩だけ。頭と顔は狙うな。狙ったら、その場で終わりだ」


「はい」


「はい!」


 エルナの返事の方が大きかった。木剣を受け取った時から、目の色が変わっていた。楽しみで仕方がない、という顔だった。俺は正直、そこまでの気持ちになれなかった。


(勝てる要素が見当たらない)


 エルナは村一番の速さを持っていて、この七か月、走り込みと素振りを重ねてきた。俺がやってきたのは立つことと歩くことだ。要件が違いすぎる。徒競走の練習をしてきた人間と、姿勢矯正をしてきた人間が、いきなり試合をする。そういう構図だった。


「構え」


 爺さんの声で、俺たちは向かい合った。




 一本目は、何が起きたのかわからなかった。


 エルナの姿が右にぶれた、と思った瞬間、左の肩に軽い衝撃が来ていた。


「一本」


 爺さんが言った。エルナが木剣を引いて、にっと笑った。


「アレン、いま見えてなかったでしょ」


「見えてなかった」


「素直だね」


 二本目は、少し見えた。見えただけだった。エルナの踏み込みが速すぎて、俺の木剣は空気を守った。胴に一本。


 三本目。今度は考えた。エルナは初動で右に振ってから左に来る癖がある。二本ともそうだった。だから左を待った。


 エルナは、まっすぐ来た。


 胴に一本。


(読みを外された、というより、読んでいる間に来た)


 前世の感覚で言うなら、処理速度の問題だった。俺の分析は間違っていない。ただ、分析が終わる頃には入力が変わっている。設計は正しくても、実行時間が要件を満たしていない。リアルタイム処理に、俺の頭は向いていなかった。




 四本目の前に、爺さんが口を開いた。


「アレン。お前は見てから動いている」


「見ないと動けません」


「見えたものは、もう過去だ」


(過去のデータで現在を打とうとしている、ということか。それは確かに、間に合わない)


「では、どうすれば」


「考えるな、とは言わん。お前は考える生き物だ。だが、考えは足に置いておけ」


「足に」


「頭で考えて、頭で動くな。考えたことは、稽古の中で足に沈めてある。信じて、任せろ」


 わかるような、わからないような話だった。ただ、七か月前に聞いていたら全くわからなかっただろうことは、わかった。




 四本目、五本目、六本目。


 全部エルナが取った。


 それでも、少しずつ変わっていくものがあった。四本目、俺は初めてエルナの初動に反応できた。五本目、木剣同士が初めて当たった。乾いた音が山に響いて、エルナの目が少し見開かれた。六本目、俺は半歩、前に出られた。


 負け続けているのに、手応えは増えていた。


(進捗はある。勝敗という指標に出ないだけで)


 エルナは、六本目が終わった時には笑っていなかった。真剣な顔で木剣を構え直していた。遊びの顔が消えて、稽古の顔になっていた。それは、俺が相手として数えられ始めた、ということでもあった。


「次で最後にする」


 爺さんが言った。


「日が高くなる。七本目」




 七本目の前に、俺は一度、目を閉じた。


 息を、腹に入れた。


 考えるのをやめようとして、やめられなくて、そのことも含めて放っておいた。雪の三日間で覚えたやり方だった。探しに行かない。確認しに行かない。もとからそこにあるものに、気づくだけ。


 体の中を、魔素が流れていた。


 いつも通り、背中から、腰へ、足へ。


 目を開けた。


 エルナが来た。


 速かった。今日一番速かった。右にぶれて、まっすぐ来る。見えていた。見えたものは過去だ。だから俺は見た結果を待たずに、足を出した。


 運ぶ。押すんじゃない。乗せる。


 音がしなかった。


 俺の一歩は、自分でも驚くほど静かに前へ出て、エルナの剣筋の内側に入った。世界がゆっくりになった、わけではない。ただ、足が地面に乗る感触と、背中からの流れと、木剣を持つ手が、初めて同じ拍子の上にいた。


 俺の木剣が、エルナの袖をかすめた。


 その半瞬あと、エルナの木剣が俺の胴に当たった。


「一本。エルナ」


 爺さんの声がした。


 七本目も、負けた。




「今のだ」


 爺さんは、そう続けた。


「アレン。今の一歩を覚えておけ。当たらなかったことは忘れていい」


「……はい」


「エルナ」


「はい」


「最後の一本、なぜ当てられた」


 エルナは少し考えてから、答えた。


「わかんないです。体が勝手に」


「それでいい。だが、袖を取られたことは忘れるな。次はもっと深く入られる」


「はい」


 爺さんは木剣を回収して、いつもの岩に戻った。


「今日は終わりだ。二人とも、水を飲め」




 帰り道、エルナは珍しく静かだった。


 山道を半分ほど下りたところで、ようやく口を開いた。


「最後の、あれ」


「うん」


「風みたいだった」


 前にも言われた言葉だった。稽古の途中で俺の魔素の流れを感じた時、エルナは同じことを言った。


「怖かった、ちょっとだけ」


「怖い?」


「袖、触られたとき。あ、届くんだ、って思った。今まで、届かれる気がしてなかったから」


 エルナはそこで、いつもの顔に戻って笑った。


「でも七本ぜんぶ、あたしの勝ちだからね」


「知ってる」


「次も勝つから」


「次は袖じゃ済まさない」


 言ってから、少し驚いた。そういう言葉が自分から出るとは思っていなかった。エルナは目を丸くして、それから声を出して笑った。


「言うようになったじゃん」




 夜、布団の中で、俺は七本目の一歩を思い返した。


 考えを足に置く。信じて任せる。爺さんの言葉は、まだ半分もわかっていない。ただ、あの一歩の瞬間、俺は確かに何も考えていなかった。七か月分の稽古が、俺の代わりに動いた。


(書いたコードが、手を離れて動く瞬間に似ていた)


 設計して、書いて、テストして、あとは実行を見守る。実行中に手を入れることはできない。信じられるものを、実行の前にどれだけ積んだか。それだけが結果に出る。


 負けた。七本、全部負けた。


 なのに、天井を見ている俺は、少し笑っていた。


(一本、取りたいな)


 勝敗という指標が、初めて自分のものになった夜だった。

(次回)

第十四話「村の外から来た男」


 春の市の日、ミレス村に行商人がやってきた。荷馬車には見たことのない道具と、外の世界の匂い。王都、ギルド、そして「東の森で角兎が増えている」という噂話。アレンの世界の地図が、少しだけ広がる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。