↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/44

最初の冬と、父の背中

冬になった。


 雪は少なかったが、山は凍った。朝の稽古では、草に霜が降りていた。踏むたびに、ざ、という音がした。


 爺さんはそれでも来いと言った。だから来た。エルナも来た。




 冬の稽古は、動いているうちはいいが、止まると寒かった。


 特に、魔素を感じる練習をするときがきつかった。目を閉じて、息を整えて、じっと立っている。そのあいだに体温が落ちていく。指先から先に感覚がなくなる。


「集中が切れている」


 爺さんが言った。


「寒くて」


「寒さに負けているから切れる。負けるな」


「どうやって」


「慣れろ」


(それは答えではない気がするが、たぶんこの場合は正しい)


 俺は口を閉じた。




 エルナは寒さに強かった。俺が縮こまっているあいだも、エルナは平気な顔で体を動かしていた。


「なんで平気なの」


「山育ちだから」


「俺も山育ちだろ」


「アレンは体が細い」


 細くはない、と思ったが、言い返せなかった。前世の記憶がある分、俺の体の使い方はまだぎこちないのかもしれない。子供の体に、大人の動きのイメージを押し込もうとしている。そのずれが、寒さへの対応にも出ているのだろうか。


「慣れたらもっと動けるようになるよ、きっと」


 エルナはそう言って、走り始めた。




 ある夕方のことだった。


 稽古が終わって、俺は山道を下りていた。エルナは先に帰っていた。日が落ちるのが早くなっていて、夕空が橙と紺のあいだで境界を作っていた。


 山の中腹で、俺は足を止めた。


 声がした。


 木の向こうから、低い声が二つ聞こえた。




 近づかずに、俺は木の陰から見た。


 父——ガイが、そこにいた。


 爺さんと向かい合っていた。


 ふたりとも背が高かった。体格も似ていた。ただ、ガイのほうが若くて、爺さんのほうが静かだった。


 何を話しているのか、聞き取れなかった。風が逆から吹いていた。


(近づくべきか)


 でも、なんとなく、そうしてはいけない気がした。


 大人ふたりが、あの顔で話しているとき、割り込んでいいものではない。そういう空気があった。




 父のガイは、農夫だ。剣を使うことはない。魔法の素養もない。村では「働き者」と言われていて、たしかにそのとおりだと思う。朝から晩まで動いていて、不平を言わない。


 ただ、俺はガイのことをあまり知らなかった。父として接するのは自然だったが、人間として何を考えているのかは、まだわかっていなかった。


 その背中が、今、爺さんの前にあった。


(大きいな)


 思ったより、大きかった。




 しばらく見ていたが、ふたりは動かなかった。


 俺は諦めて、山道を下りた。


 家に帰ると、母のアリスが飯を作っていた。


「遅かったね」


「うん」


「グレンさんとこか」


「そう」


「寒かったでしょ。手、洗って温めな」


 俺は言われたとおりにした。




 夜、父が帰ってきた。


 飯を食うあいだ、ガイは特に何も言わなかった。


 俺もなにも聞かなかった。


 ただ、一度だけ、ガイが俺を見た。目が合った。ガイはすぐ視線を戻した。


(何を話していたんだろう)


 わからなかった。


 ただ、嫌な感じはしなかった。何か、大事なことが静かに動いているような、そういう予感があった。




 次の日の稽古で、爺さんに聞いた。


「昨日、父と話していましたか」


 爺さんは少し間を置いた。


「見ていたか」


「遠くから」


「そうか」


「何を話していたんですか」


「お前のことだ」


 俺は止まった。


「俺の、こと」


「親が子を心配するのは、当たり前だ。俺に預けていいのかどうか、確かめに来た」


「なんと答えたんですか」


「さあな」




 爺さんはそれ以上言わなかった。


 俺も聞かなかった。


 稽古は続いた。霜の上に足を踏み出して、魔素を感じようとした。寒さはまだきつかったが、少しだけ、前より長く集中できるようになっていた。


 慣れ、というのは、あるらしかった。




 その夜、ガイが縁側にいた。珍しかった。たいてい早く寝るのに、その日は外を見ていた。


「父さん」


「ああ」


「グレンさんと、何を話してたの」


 ガイは少し黙った。


「お前がちゃんとやれてるか聞いた」


「なんて言ってた」


「やれてると言ってた」


 俺はそれを聞いた。


 なんでもないことのようで、少し、胸に残った。


「それだけ?」


「それだけじゃないが、残りはお前には言わない」


「なんで」


「言わなくていいことだから」


 ガイはそう言って、縁側から立ち上がった。


「寝ろ。明日も稽古だろ」


「うん」




 布団に入って、俺は天井を見た。


 言わなくていいこと、というのが何かは、わからなかった。


 でも爺さんも、昨日ガイに言ったことを教えなかった。父も、今日聞いたことの全部を言わなかった。


 大人は、全部は言わない。


 それが悪いことだとは思わなかった。言わないことの中に、たぶん、大事なものが入っている。そういうことが、少しずつわかってきている気がした。


(前世でも、そういうことに気づくのが遅かった気がする)


 俺は目を閉じた。


 外では、風が山から降りてくる音がしていた。冬の音だった。

(次回)

第十一話「雪の日と、初めての失敗」


 雪が降った。三日降り続けた。稽古は休みになった。アレンは家にこもって、ひとりで魔素の練習をした。だが、あることがうまくいかなくなった。できていたはずのことが、できない。理由がわからないまま、三日が過ぎた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。