最初の冬と、父の背中
冬になった。
雪は少なかったが、山は凍った。朝の稽古では、草に霜が降りていた。踏むたびに、ざ、という音がした。
爺さんはそれでも来いと言った。だから来た。エルナも来た。
冬の稽古は、動いているうちはいいが、止まると寒かった。
特に、魔素を感じる練習をするときがきつかった。目を閉じて、息を整えて、じっと立っている。そのあいだに体温が落ちていく。指先から先に感覚がなくなる。
「集中が切れている」
爺さんが言った。
「寒くて」
「寒さに負けているから切れる。負けるな」
「どうやって」
「慣れろ」
(それは答えではない気がするが、たぶんこの場合は正しい)
俺は口を閉じた。
エルナは寒さに強かった。俺が縮こまっているあいだも、エルナは平気な顔で体を動かしていた。
「なんで平気なの」
「山育ちだから」
「俺も山育ちだろ」
「アレンは体が細い」
細くはない、と思ったが、言い返せなかった。前世の記憶がある分、俺の体の使い方はまだぎこちないのかもしれない。子供の体に、大人の動きのイメージを押し込もうとしている。そのずれが、寒さへの対応にも出ているのだろうか。
「慣れたらもっと動けるようになるよ、きっと」
エルナはそう言って、走り始めた。
ある夕方のことだった。
稽古が終わって、俺は山道を下りていた。エルナは先に帰っていた。日が落ちるのが早くなっていて、夕空が橙と紺のあいだで境界を作っていた。
山の中腹で、俺は足を止めた。
声がした。
木の向こうから、低い声が二つ聞こえた。
近づかずに、俺は木の陰から見た。
父——ガイが、そこにいた。
爺さんと向かい合っていた。
ふたりとも背が高かった。体格も似ていた。ただ、ガイのほうが若くて、爺さんのほうが静かだった。
何を話しているのか、聞き取れなかった。風が逆から吹いていた。
(近づくべきか)
でも、なんとなく、そうしてはいけない気がした。
大人ふたりが、あの顔で話しているとき、割り込んでいいものではない。そういう空気があった。
父のガイは、農夫だ。剣を使うことはない。魔法の素養もない。村では「働き者」と言われていて、たしかにそのとおりだと思う。朝から晩まで動いていて、不平を言わない。
ただ、俺はガイのことをあまり知らなかった。父として接するのは自然だったが、人間として何を考えているのかは、まだわかっていなかった。
その背中が、今、爺さんの前にあった。
(大きいな)
思ったより、大きかった。
しばらく見ていたが、ふたりは動かなかった。
俺は諦めて、山道を下りた。
家に帰ると、母のアリスが飯を作っていた。
「遅かったね」
「うん」
「グレンさんとこか」
「そう」
「寒かったでしょ。手、洗って温めな」
俺は言われたとおりにした。
夜、父が帰ってきた。
飯を食うあいだ、ガイは特に何も言わなかった。
俺もなにも聞かなかった。
ただ、一度だけ、ガイが俺を見た。目が合った。ガイはすぐ視線を戻した。
(何を話していたんだろう)
わからなかった。
ただ、嫌な感じはしなかった。何か、大事なことが静かに動いているような、そういう予感があった。
次の日の稽古で、爺さんに聞いた。
「昨日、父と話していましたか」
爺さんは少し間を置いた。
「見ていたか」
「遠くから」
「そうか」
「何を話していたんですか」
「お前のことだ」
俺は止まった。
「俺の、こと」
「親が子を心配するのは、当たり前だ。俺に預けていいのかどうか、確かめに来た」
「なんと答えたんですか」
「さあな」
爺さんはそれ以上言わなかった。
俺も聞かなかった。
稽古は続いた。霜の上に足を踏み出して、魔素を感じようとした。寒さはまだきつかったが、少しだけ、前より長く集中できるようになっていた。
慣れ、というのは、あるらしかった。
その夜、ガイが縁側にいた。珍しかった。たいてい早く寝るのに、その日は外を見ていた。
「父さん」
「ああ」
「グレンさんと、何を話してたの」
ガイは少し黙った。
「お前がちゃんとやれてるか聞いた」
「なんて言ってた」
「やれてると言ってた」
俺はそれを聞いた。
なんでもないことのようで、少し、胸に残った。
「それだけ?」
「それだけじゃないが、残りはお前には言わない」
「なんで」
「言わなくていいことだから」
ガイはそう言って、縁側から立ち上がった。
「寝ろ。明日も稽古だろ」
「うん」
布団に入って、俺は天井を見た。
言わなくていいこと、というのが何かは、わからなかった。
でも爺さんも、昨日ガイに言ったことを教えなかった。父も、今日聞いたことの全部を言わなかった。
大人は、全部は言わない。
それが悪いことだとは思わなかった。言わないことの中に、たぶん、大事なものが入っている。そういうことが、少しずつわかってきている気がした。
(前世でも、そういうことに気づくのが遅かった気がする)
俺は目を閉じた。
外では、風が山から降りてくる音がしていた。冬の音だった。
(次回)
第十一話「雪の日と、初めての失敗」
雪が降った。三日降り続けた。稽古は休みになった。アレンは家にこもって、ひとりで魔素の練習をした。だが、あることがうまくいかなくなった。できていたはずのことが、できない。理由がわからないまま、三日が過ぎた。




