第五話 市に神あり
改竄された偽物の聖典。
「じゃあ、本物には……」
「ああ。我様の武勇伝が事細かに書かれていた。フン、黄泉の天のお上にとって我様たちはよほど邪魔だったのだろうな。奴らのせいで我様たちの名は、歴史どころか、神話からも除外されたのだ」
「でも、でも、改竄って、誰か気付くものなんじゃ……。いや」
いや、気付くかどうかは問題ではないのかもしれない。
すずりも言っていたじゃないか。
『どうでもいい』って
神様が具体的な誰かであっても、抽象的な概念であっても、そんなのはどっちでもいい。
信仰できる何かがありさえすれば、誰だってよかったと。
「でも、そんなの、信仰とは……」
「そうだ! そんなものは信仰などではない! 依存だ! 愚かな人間どもは、そこから目を背け、盲目的に無に縋っていた。だが、貴様は違っただろう?」
わたしは、聖典に書かれているような神様なんて、いないと思っていた。
いて欲しくないわけではない。むしろ、いて欲しいと思っていたからこそ、信じることができなかった。
「我様たち個神はな、誰かしら個人からの信仰がないと、能力が使えない。だがここに住む大半の連中は、『神様』というつくられた無に依存させられていて使い物にならない。そこで、貴様だ。この改竄された世界に懐疑を抱いている罰当たりな貴様こそ、信仰の第一人者、巫女になれる器なのだ」
それが、わたしを選んだ理由……。
いや待った。巫女ってなに?
「巫女を知らないだと? フン、巫女の記述も聖典から削除されていたか。まぁ、それもそうか。概念を信仰するのに巫女の存在は不要だからな」
「それで、何なの? その巫女って」
「個神を信仰する最初の一人にして、他の信仰者を集める役割も持った存在だ。もっとも、厳密には貴様が最初の一人というわけではないがな」
「ふぅん。って、わたし巫女になるなんて一言も言ってないよ。そもそも、まだ邪岐さんのこと信じてないし」
「すぐ信じて貰えるとは思っていない。だが、信じる以前に敬意が全く見えないのはどういうことだ。様を付けろと何度言えば分かる」
「敬意なんて信頼の後にくるものだと思うけれどね。そんな傲慢だから概念に取って代わられちゃうんだよ。あれ?」
違和感。
そういえば、わたしは神様以外に、信じられない存在があった。
それは、すずりが連れて行かれた理由。
「邪岐さん、黄泉の天で信仰されている『神様』が形のない概念だとしたら、神様の子孫ってのはおかしいよね? これも改竄によって産まれたものなの?」
「それについては後々だな。それより、もうじき着くぞ」
話に夢中になっていたせいか、周囲の景色が変わっていることに今気が付いた。
森林公園がある都会からはとっくに抜けており、ガードレールにはさまれた狭い道路を二人で歩いている。左のガードレールを越えた先には無数の木が乱立していて、あらゆる方向に伸びている枝が混沌さを際立たせていた。一方、右には、均等な距離で配置された木が秩序だって並んでおり、ブドウ畑が形成されているのが見えた。
「着くってどこに? ただの田舎にしか見えないけど」
「高天の地へと続く門だ。そこをくぐれば、遠く離れた地上にものの数秒で上陸することができる。と言っても、実際はそう簡単なことではないがな」
たしか、どんな理由であれ、高天の地から黄泉の天へと無断で行くことは法律で禁止されていた。今からわたしは、この不審な男と法律を破ろうとしているのか。
「何だ? 怖じ気づいたか?」
「まさか。すずりを連れ戻すためなら、どんな試練だって乗り越えるって決めてるから」
「フン。連れ戻す、か。いや何でもない」
邪岐の意味ありげな反応が気になったが、追及することは避け、曲がりくねった道を無言で歩き続けた。
「あれだ」
しばらく無言だった邪岐の一言で顔を上げたわたしは、思わず感嘆の声を上げた。
「あれが、門」
視界が開けて最初に目に飛び込んできたものは、山、のような岩だった。
頂点が見えないほどに高く聳え立つその岩は、隣を歩く邪岐同様、見る者を圧倒する威圧感を放っていた。
「予め言っておくが、門には門番が一人いる。我様と同じ、というわけではないが、神の一人だ」
門番が一人。
一人、か。それは多分、敵対する上で最悪な人数だろう。
高天の地と黄泉の天を繋ぐ重要な場所がたった一人に任せられているという事実が、その門番が抜きん出た存在であることを如実に示している。しかも、神様の一人ときた。さっきからビリビリきている威圧感は、その人、否、その神が発しているものというわけか。
「フン。暗い顔だな。心配するな。アイツは能力を使えないはずだからな」
「それは、邪岐さんみたいに、その神にも巫女がいないから?」
「半分正解で半分不正解だ。アイツ自体に巫女は必要ない。なぜなら、創られた神だからな。創られたと言っても、ここで信仰されている、作られた『神様』とは違って実体はちゃんとある。で、巫女が必要になるのはその親だな。創りだす親を信仰する誰かが存在していたら、創られた子にもその恩恵が渡るってわけだ」
「じゃあ、今はその門番の親に巫女がいないから、比較的安全ってこと?」
邪岐は何も言わずに頷いた。
しかし、能力が使えないのにもかかわらず門番が務まるとは、もし能力を行使できるようになったらどうなってしまうのだろうか。想像するだけで恐ろしかった。
「ま、だから暴力沙汰にはならないことはこの我様が保証しよう。もともと我様は戦闘向きではないからな。好都合だ」
話し合い向きの性格でもないだろう、と突っ込みたくなったが、すんでのところで踏みとどまった。
「フン。いるな」
わたしたちは、岩に続く一本道を足早に歩く中で、赤い何かを視界に捉えた。
誰かが焚き火でもしているのかと思ったが、近付く内に、その燃えさかる赤が髪の色だということに気が付いた。
「久しいな、愛宕。何年ぶりだ?」




