第四話 昔から言うことにも嘘はある
7月22日、夏休み初日の午前6時。着替えと夏休みのしおり、ペットボトルの水2本を入れたリュックを背負ったわたしは、森林公園に来ていた。
ラジオ体操のためではなく、神様との待ち合わせだ。もっとも、あの不審者を神様だとは認めていないけれど。いや、そもそも神様という存在自体否定しているのだけれど。
「貴様、遅すぎる。早朝に来いと言ったはずだが?」
集合場所に着くと、既に邪岐が待っていた。ご機嫌斜めな様子だ。
「邪岐……さん。まだ6時だよ? これ以上早いと夜だよ」
「様を付けろ、様を。ったく。早いって言葉が付いているのだから、夜だろうとなんだろうと、早ければ早いほどいいんだよボケナスが」
「ボケナスって」
どうやらこの人、朝は機嫌が悪くなるタイプらしい。
「人間も茄子も似たようなものだろう? どちらも大半は水分でできているのだからな。おい、なす娘、我様は待っている間に腹が減ったから何か買ってこイッ。ッツーー。何しやがる貴様」
思いっきり足を踏んづけてやった。
朝に機嫌が悪くなるのを自分だけの特権だと思わない方が良い。
「ったく。神に刃向かうとはとんでもない女だ。信仰心がまったく感じられんな。だがまぁ、だからこそ、貴様なのだがな」
また、よく分からないことを言い出した。
「その、昨日もそんなこと言ってたけど、わたしに接触してきたのには何か理由があるの?」
「まぁそうだな。そこらへんについての話は後々するにしても、貴様に説明しなければならんことはいくつかある。いやその前に、いい加減名乗れ。本当になす娘と呼ぶぞ」
「わたしは雪上つらら。遅れてごめんなさい。でも、本当に神様っていうのなら、聞かずとも分かるものなんじゃないの?」
「本当に」という部分を強調して聞いてみた。
「フン。神にそんなエスパーのような技能は備わっていない。少なくとも、この邪岐様にはな」
神様と聞くとなんでもできそうに思えるが、どうやらそういうわけではないらしい。
何か言い返そうと口を開きかけたが、掌で制された。
「話は歩きながらだ。ついてこい」
「どこに行くの?」
「寝ぼけたことを抜かすな。分かっているのだろう? 貴様の友が連れて行かれた場所、高天の地だ」
邪岐の言ったとおり、予想はついていた。しかし、本当にそんな場所があるのかも半信半疑だったし、どうやって行くのかもまるで検討がつかない。それに、
「なんで、邪岐さんは助けてくれるの?」
「なんで助けるかだって? フン。我様は貴様如きを助けているつもりは全くないのだがな。まぁ、我様は貴様が必要で、かつ両者の目的地がたまたま一致しているというだけだ。あと、様を付けろ」
「なるほど? イマイチ要領を得ないけれど、詳しく教えてくれるんだよね?」
大股で歩いて行く邪岐の背中を追いかけながら、わたしは尋ねた。
「疑問符の多い娘だな全く! 少しは落ち着いたらどうだ」
「ごめんなさい。でも、もったいぶらずに早く教えてよ。神様なんでしょう? 人間の言葉にいちいち腹を立ててたら進まないと思うけど」
「コイツ、邪美とは違うタイプの鬱陶しさだな。人選ミスか……。いや、もう今更言ったところで仕方ないな」
何やらブツブツ言っている。
しかし、ここで本日9個目の疑問符を投げかけでもしたら、どんな目に遭うか分かったものではないので、黙ったまま次の言葉を待つことにした。
「貴様、これまで黄泉の天で生きてきて、何か疑問を抱いたことはないか?」
あまりに曖昧すぎる問いかけに思われたが、心当たりがありすぎるほどにあったので、わたしは首肯した。
「いつも抱いてるよ。みんな口を揃えて神様神様って。一体、神様がいつ助けてくれたっていうの? バカみたいだよ」
失言だったかと、隣を歩く邪岐の横顔を盗み見ると、意外なことに、満足げに頷いていた。
「フン。バカみたいか。そうだな、その通りだ。何てったって、この空に住む連中が信じているような神様なんてものは存在しないのだからな」
え?
わたしは置いて行かれまいと進めていた足を止めた。
「神様をハナから信じていないわたしがこんなことを言うのは変かもしれないけれど、神を自称するあなたがそんなこと言っていいの? 神様がいないっていうなら、あなたは何なの?」
「我様は邪岐という名の、神だ。……おい、そんな目で我様を見るな」
言っていることが滅茶苦茶だ。
神様はいないけど、自分は神だって?
気が触れているとしか思えない。
わたしは一瞬だけ目をつむり、目を開けると同時に回れ右をした。
「お、おい、貴様! どこに行くつもりだ!」
「付き合いきれないから帰る」
「そうしたければそうすればいい。だが、貴様の友はどうするのだ? ここで踵を返せば、二度と会うことは叶わないだろうな」
「ぐ……」
この男、すずりのことを出されれば、わたしが逆らえないことを理解している。
悔しいが、効果覿面だ。
「まぁ最後まで聞け。我様は、『この空に住む連中が信じているような神様』はいないと言っただけだ。ここでの神様は、恣意的に作りだされた虚像にすぎない」
「虚像?」
「ああ、正確に我様のような神を指しているわけではない。分かりやすく例えようか。そうだな、貴様の友、すずりで例えよう」
「え?」
何ですずりの名前を知っているのだろう。
「例えばだ。すずりを、まるで神のように崇め奉っている団体、もしくは個人がいたとしよう」
邪岐にとってそれは、仮の話だったのだろうが、実際に、そのような団体があったことをわたしは知っていた。神のように信仰していたかは分からないが、それはもう目も当てられないほどの熱狂ぶりだったことを記憶している。つまるところ、剣麻すずりファンクラブだ。
「設立したのはわたしだったっけ」
わたしの余計な回顧を気にも留めず、邪岐は続けた。
「その信仰している対象に呼びかける時、そいつらは何と呼ぶ? 剣麻さま。だの、すずり様だの、好きに呼ぶことだろう。だが、『人間様』なんて誰を指しているのかはっきりしない呼び方はしないはずだ」
「それは、たしかに」
「人間という言葉は、個人を表わしているわけではない。また同時に、神様なんて言葉は、個神を示しているわけではない。貴様ら愚かなバカ共が有り難そうに口にしている『神様』はな、我様たちと人間たちを区別して分類するためにつくりだされた概念に過ぎないのだ」
我様たち?
邪岐のような神は複数いるということ?
「だとすれば……」
だとすれば、黄泉の天の人々は、個神が複数いるにもかかわらず、個を無視して、『神様』という曖昧模糊な概念、虚に祈りを捧げていたことになる。
「でも、神様が複数もいるなんて、聞いたことないけど」
「消されたのだ」
何の感慨も含まれていないぶっきらぼうな声で、邪岐は言った。
「正確に言うと、歴史から消された。貴様も疑問に思っていただろう? あの聖典について」
聖典。
あの、抽象的で曖昧な記述。そして、そこに出てくる『神様』。全てが透明で、無味乾燥。
「あれはな、偽物だ。本来の聖典が編纂、いや、改竄されたものだ」




