第三話 たとえ地の中天の中
一学期最終日の朝、わたしは例のごとく、朝礼が始まるギリギリの時間に教室に到着した。
珍しいことに、最後尾窓際に位置するすずりの席には誰も座っていなかった。
彼女はいつも、遅刻寸前のわたしに向かって「今日は早いですネぇ」とかなんとか言ってくるのだが、今日は休みのようだ。
一体どうしたのだろう。
もしかすると、しおり製作を張り切りすぎて熱を出したのかもしれない。そんなことで明日から大丈夫なのだろうか。
仕方がない、放課後お見舞いに行こう。
席に着くと同時にチャイムが鳴り響き、それに合わせるように桂木先生が教室へと入ってきた。
「おはようございます。今日も素晴らしい天気で何よりです。いいですか皆さん? 一学期最終日とはいえ、学校は学校。浮かれないように。とはいえ、とはいえです。皆さんお気づきかもしれませんが、私は今日、非常に気分が良い。そう、嬉しいお知らせがあるのです」
教室がざわめきの渦に包まれる。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。なんと、このクラスから、神様の子孫が見出されました!」
なんだって? 神様の子孫? このクラスから?
それはつまり?
それはつまり、どういうことになる?
思考が止まる。
「嘘でしょ!? 一体誰が?」
隣の席に座っている女子の興奮したような叫び声が聞こえた。
そう、一体誰が? 誰なんだ?
必死に思考をずらす。思考が止まる。思考を止める。
そんなわけない。ありえない。止めて。やめて――。
無情にも、いや、喜びの感情たっぷりに、桂木先生は解答した。
「剣麻すずりさんです!」
「せんせ――」
わたしの口から発せられた掠れ声は、割れんばかりの拍手によってかき消された。
「先生! 先生! 桂木先生!」
絶え間なく続く騒音に負けじと、わたしは声を張り上げた。
狂ったように、絶叫した。
「どうしました? 雪上さん。あなたも友達として嬉しいのは分かりますが、もう少し落ちつ――」
「すずりは、すずりは今どこですか!?」
「ええと。今朝、親御さんから連絡があったので、今は高天の地に向かっている途中でしょうか? それか、まだ病院にいるかもしれませんね。親御さんに聞いたら分かるでしょうが、電話に出るかどうか。なんでも、昨日の夜に剣麻さんのお宅で火事が――」
桂木先生の返答を聞き終わらないうちに、わたしは教室を飛び出した。
目的地はすずりの家。
家にすずりがいる可能性は低いが、事情を知っている人間が一人くらいはいるだろう。
歩いて30分かかる道を8分で走り抜いたわたしは、肩を上下させながら、すずりの家の前で呼吸を整え、絶句した。
「な……」
真っ黒だった。
天井には穴が空いており、すずりが暮らしていた立派な一軒家は見るも無惨な姿になっていた。とても、昨日まで人が住んでいたとは思えない、そんな有様だった。
「すずり……」
駐車場として使われていた庭を家と挟むように位置する大きな門を開けようとしたところで、後ろから声を掛けられた。
「つららちゃん。入ったら危ないわ」
振り向くと、すずりのお母さんが立っていた。
「おばさん、すずりは!? どこですか!?」
「ここにはいないわ……。今朝、病院から直接、高天の地へと送られたわ」
すずりのお母さんは、目を伏せたままそう答えた。
「そ、んな……。でも、昨日、すずりは、わたしにしおりをくれて、夏休み、一緒に……」
「あの子、昨日の晩ご飯の時、すごく楽しみだって言ってたわ。しおりを抱いたまま寝落ちしちゃったりして。でもあのしおり、火事で燃えちゃって……。だけど安心して? そもそも高天の地には、衣服以外持ち込みできないらしいから」
この人は何を言っているのだろう。
理解できなかった。
なぜ、見た者が思わず目を背けたくなるような、そんな無理やりな笑顔を作ろうとするのか。
「あの子はね、昨日の火事でひどい火傷を負ったの。跡を消すのが困難なほどの、ね。だから、神様の子孫として、高天の地へと送られたわ。つららちゃん、そんな悲しい顔しないで? これは、名誉なことなのよ? 私たちは、あの子を、歓声と拍手で見送らないといけないの。すずりの幸せを、心から喜ぶべきなのよ」
「そんな……」
そんな、バカな話があるというのか。
名誉? 幸せ?
何を、言っているのだろう。
存在するかどうかも定かではない神様の子孫になることが名誉?
ある日、体に取り返しの付かない傷を負って、家族からも、友達からも強制的に引き剥がされ、未知の場所へと連れて行かれることが幸せ?
どうしようもなく、怒鳴りつけたい衝動に駆られた。けれど、できなかった。
なぜなら、目の前の女性は、そんなことをすれば吹き飛んで粉々になってしまうのではないかと思えるほど、不安定に見えたから。
「これ、あの子があなたに渡して欲しいって。意識が戻ってからすぐに書いてたわ」
白い封筒の中には、ノートの一部を千切ったであろう一枚の紙きれが折られており、震える手でそれを開いた。
「私はこれから、手続きがあるから……。つららちゃん、すずりと友達になってくれてありがとう。あの子は、きっと、向こうでも元気に違いないから。だから……」
そう言い残して、すずりのお母さんはその場から立ち去った。
正確に言うと、いつ立ち去ったかなんて知らない。
なぜなら、わたしは、すずりからの手紙を、一心不乱に、無我夢中に、食い入るように、何度も、何度も、繰り返し読むことに集中していたから。
いつ、すずりのお母さんがいなくなったかなんて分からなかったし、自分がどんな風に泣いているかなんてことも、全く分からなかった。
『ごめんなさい つらら つららごめんなさい 約束守れなくて ごめんなさい』
ただでさえ滲んでいて読みづらかった文字が、より読みづらくなっていくことだけは、はっきりと分かった。
手紙から目を離したわたしは、あたりを見渡してみた。
どれだけの間、すずりの家の前で立ち尽くしていたのだろう。
空は朱色に染まりつつあり、わたしの横には黒い何かが……。
「って、あなたは……!」
「ようやく気付きやがったか、人間。我様がいくら呼びかけても応答がないってんだから、立ったまま死んでるのかと思ったが、生きていたようだな」
わたしの目の前に、昨日の不審者が立っていた。
昨日とは異なり、フードを被っていないため、顔がはっきりと見て取れた。
鋭い瞳に高い鼻、口元はきつく結ばれていて、髪は女性のように長い。ように、と表現したことからも分かるように、この不審者は男だと思われる。根拠は、威圧的な低い声と、マント越しでも分かる、肩幅の発達具合だ。身長はわたしより頭一つ分高い。
不審者と目線が合致したわたしは、自然と後ずさってしまった。
それは、中学生の時から女子校通いであるがゆえに、男性との接触になれていないから、ではなく、単純にこの男が発している圧に屈したからだ。
「あなた、一体……」
「貴様、困っているようだな?」
わたしの言葉を無視して、不審者は言った。
「助けを、求めているようだな? そうだろう? え? 大事な人を奪われて、悲しみに打ちひしがれているのだろう? であるならば、この手を取れ、人間。貴様の友を救いたいならば、我様を信じろ」
「あなた、一体……」
また同じセリフを繰り返してしまった。
「自分は名乗りもせず我様に名乗らせようとは、不敬な小娘だ。フン、まぁよい。我様は邪岐。貴様ら人間が言うところの、神だ」
神? 神だって?
そんなバカな。
もし神様がいるというのなら、こんな事態になっていないはずだ。
わたしは、今日もすずりと一緒にいられたはずだ。
「信じられない、って顔だな」
目の前の不審者、邪岐は、愉快そうに肩を揺らした。
「そうだよ。わたしは神様なんてこれっぽっちも信じちゃいない。神様なんて嘘っぱちだ。神様の子孫なんてものも、高天の地なんてものも、全部全部、うんざりだよ! もう聞きたくない! 狂ってる、みんな狂ってるよ!」
神を自称する男の前で、軽率な発言だったかもしれない。けれど、もう限界だった。吐き出さないと、吐きそうだった。
「フン、そうだ。だからこそ、我様は貴様を選んだのだ」
怒らせたかもしれないと身を固くしていたが、予想外の言葉が返ってきた。
「選んだって、どういう? 何のこと?」
「その話はおいおいな。明日には出発するから、貴様はもう帰れ。準備する時間も必要だろう」
「出発? 準備? ちょっと待って、何を言って」
「呆けたことを抜かすな、人間。貴様は友にもう一度会いたくないのか? 明日の早朝、森林公園に来い。あーそうだな、公園の入り口、噴水のある方だ。そこにしよう。ではな」
そう言って邪岐は、マントを翻して去って行った。
「すずりに、会える……?」
あの男の言っていることは何一つとして信じられなかった。というか、あの男の正体すらも疑わしい。
でも、この期を逃せば、もう、すずりとは会えない。そんな気がした。
帰宅すると、切羽詰まった様子のお母さんに迎えられた。
「聞いた? すずりちゃん、神様の子孫だったんだって――」
わたしは自分の部屋に、逃げるように飛び込んだ。
部屋の電気を付けると、昨日、すずりがくれた夏休みのしおりが7月22日のページに開かれた状態で机の上にあるのが見えた。
「明日、かき氷食べにいくんじゃなかったの? ねぇ、すずり……」
しおりの表紙に描かれた、お世辞にも上手いとは言えない二人の少女のイラストを指でなぞりながら、わたしは呟いた。
「わたしが連れ戻してみせるから。待ってて、すずり」




