第二話 嵐の中の静けさ
放課後、わたしたちは右手にソフトクリーム、左手にハンバーガーを携えながら森林公園を闊歩していた。
「しかし今日は本当に暑いですネぇ。日陰なのにソフトクリームがもうドロドロですヨぅ」
「今日は7月20日。もう夏だもんね。プール入りたいなぁ」
コーンに垂れてくる甘ったるい液体を舐めながら、わたしは答えた。
「プールもいいですけど、私ちゃんは海に行ってみたいですヨぅ」
「海ね。それはちょっと難しいよ」
わたしは海を見たことがない。でもそれはわたしに限らず、横を歩いているすずりも、この黄泉の天に住んでいる人々も同じだ。
黄泉の天には、海がない。なぜなら、ここは空だから。
黄泉の天の遙か下に位置する海は、この空に住む人にとって縁遠い場所で、また同時に憧れの場所でもあった。
「高天の地に行くことができれば、海にも入れるんですけどネぇ。それも難しい話ですよネぇ。体は大事ですし、戻ってこられないのは勘弁ですヨぅ」
「高天の地。本当にそんな場所あるのかな。空に人が住んでるから地上にも誰かが住んでいてもおかしくないけれど、皆が言っているような楽園なのかな」
「そりゃあ、そうでしょうヨぅ。なんてったって神様の子孫が送られる場所なんですからネぇ。きっと想像を絶するほど素敵な所に違いありませんヨぅ」
神様の子孫に関してもわたしは懐疑的だ。今月は50人以上が子孫として高天の地に送られたと桂木先生が言っていた気がするけれど。
50人以上の負傷者。不可逆な傷を負った人々が不可逆な場所へと送還される。
戻らないし、戻れない。
「わたしには何だか、そんなに良い場所とは思えないな」
その時、何かを感じた。首筋に針を刺されたような感覚。
驚いて振り返ると、20m先に、こちらを凝視する人の姿が見えた。
真っ黒なマントに身を包み、フードで顔のほとんどが隠れているため、人相がまったく窺えない。しかし、突き刺すように鋭い視線だけはひしひしと感じられた。
「つらら? どうしました?」
「ほらあそこ、不審者がこっち見てる」
「どこですか? 木しか見えませんけどネぇ」
「ほら、噴水より手前にある木の横に。ってあれ、いない」
目を離した一瞬の内に、黒マントの不審者は姿を消してしまっていた。
「もう、しっかりしてくださいヨぅ。暑さでおかしくなっちゃいました? あ、もしや蜃気楼という奴ですか? 見てみたいですネぇ蜃気楼。空には海も砂漠もない。地上の人たちが羨ましいですヨぅ」
「呑気なこと言ってないで、早くここから離れよう」
離れていても分かる。あの不審者は、異常だった。
「えっ、まだ食べ終わってないですヨぅ。ちょっと待って下さいヨーぅ」
コーンを丸ごと口に放り込み、すずりの腕を取って森林公園を足早に後にした。
森林公園は無数の大木で覆われており、日の光をほとんど中に通さないため、外に出るまで日が沈みかけていることに気が付かなかった。
空に所在する黄泉の天といっても、頭上にはちゃんと、空も太陽も存在する。
「もうこんな時間ですか。名残惜しいですが、帰りましょうかネぇ」
「うん。送っていくよ」
すずりの家は森林公園から徒歩5分の位置にあるため、先ほどの不審者と再び遭遇する危険性がある。わたしがいたところでどうということもないかもしれないけれど、一人よりかは遙かにマシだと思う。
「つらら、さっきから難しい顔してますヨぅ? いけませんネぇ、可愛い顔が台無しですヨぅ」
可愛い……。
北ノ天高校随一の美少女と名高い剣麻すずりに言われても、素直に褒め言葉として受け取ることが難しい。彼女の顔は、さながら天女のような清らかさを放っており、見る者の心を洗ってくれる。髪型はツーサイドアップで、これは以前、わたしがどうしてもとお願いして以降、気に入ったらしい。お願いした理由が、好きなアニメのヒロインと同じ髪型だからと言ったらドン引きされてしまったけれど。
「もっと難しい顔になりましたネぇ。楽しいことを考えましょうヨぅ。例えば、明後日からのこととか」
「明後日? あ、夏休みね」
明日の終業式を終えたら、晴れて高校生活最初の夏休みが始まるのだ。
「何します? 何します? やりたいことがたくさんあるんですヨぅ。夏祭りに、金魚すくいに、射的に、綿飴に、たこ焼きに」
「全部一日で完結しそうだね」
「まだまだありますヨぅ。つららには全部付き合ってもらいますからネぇ。はい、コレ」
すずりは何やら教科書のようなものをリュックから取り出した。
「何、コレ?」
聞くまでもなく、それが何であるかは一目で理解できた。なぜなら、渡された冊子の表紙には、『夏休みのしおり』と大きく書かれていたからだ。それにしても。
「何、この厚さは」
それはまるで、クラス全員の修学旅行のしおりをまとめてホッチキスで留めたような厚さをしていた。
「そりゃあそうなりますヨぅ。7月22日から8月31日まで全日程の予定を書き連ねましたからネぇ」
そう言って胸を張るすずり。
「毎日遊ぶ気?」
圧倒されながらも、わたしとの夏休みを楽しみにしてくれているという事実を知り、口角の維持が困難になった。
「言っとくけどわたし、一度決めた予定をずらすのが大の苦手だから。途中で音を上げないでよ?」
「望むところですヨぅ。楽しすぎて悲鳴を上げているつららが目に浮かびますネぇ」
軽口をたたき合っていると、すずりの家に到着した。
「それじゃ、また明日ね」
「またですヨぅ。ちゃんとしおり、読んでおいてくださいネぇ」
そんな、なんてことない、いつも通りの別れだった。




