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第十話 帆に尻を掛ける


「つらら、大丈夫ですか!?」


 足に力が入らず座り込んだ状態のわたしの顔を、すずりが心配そうに覗き込んでくる。

 大丈夫、と答えようとした瞬間、頭上から破壊音が聞こえてきた。


「奴ら、ドアを壊しやがった。とにかくここから離れるぞ! 急げ、走れ!」


 いつの間にか降りてきていた邪岐は、わたしを抱えて走り出した。


「あの、ごめんなさい。わたしのせいで、みんなに迷惑かけて」


 腕に抱かれた状態のわたしは、気恥ずかしさをごまかすために口を開いた。


「フン。奴ら、インスペクターどもは我様たちが海に入ることをよしとしなかっただろうからな。敵対するのは時間の問題だった。貴様が気に病むことではない。それより、我様の巫女になる覚悟はできたか? 巫女がいなければ、我様は世界を創れない」


 巫女。信仰の第一人者。そんな大層なものに、わたしはなるつもりがなかったし、邪岐を神として崇め奉るのはまっぴらごめんだった。けれど、この数日、邪岐と過ごして、分かったことがある。この男は、敬意こそ抱けないが、信頼に足る人物、いや、神物だということだ。

 すずりと再会できたのは邪岐のおかげだったし、誰もが自由な世界を創るという言葉が本心から出たものだということも理解している。だから。


「だから、わたしは、あなたを信仰することはないけど、信用することにしたよ。それでもいいなら、巫女になってもいいよ。新しい世界、わたしも見たい」

「フン。信用か。随分上から来たものだな。もちろん、いいだろう。信じ方は自由である方がいいだろうからな。」


 信仰を固定化した黄泉の天の連中と我様は違う、と邪岐は笑った。

 二キロほど走ったところで、わたしは邪岐の腕から降ろされた。残りの二人は膝に肩を置いて荒く呼吸していた。


「も、もう限界ですヨぅ。海はあと何分くらいで着きますか?」

「丸1日はかかります。なので、今日はどこかで野宿する必要がありますね」


 周囲を見渡すと、一面砂。雨風をしのげる場所はどこにもない。と言っても、高天の地に雨が降り込むことはないのだったか。

 それにしても、ここにきて、一度も車を見ていない。どころか、道路すら見当たらない。


「公共交通機関ってここにはないのかな」

「鉄道は通っていますが、ワーカー専用です。わたくしたちは検問に引っかかってしまうでしょう。なので、徒歩で行くしかありませんね」


 本当に高天の地には、労働のための設備しか整っていないのか。

 早くここから抜け出したい。そう思っているのはわたしだけではないだろう。


「とにかく、今は進み続けるしかないだろう。いつ追いつかれるかも分からないのだからな」


 捕まったら、死。それはわたしにとって、疲労や眠気を払拭するのに十分すぎる理由になった。


「こことか良さそうですヨぅ」


 邪岐の言ったとおり進み続けたわたしたちは、巨大な岩がゴロゴロと転がった河原に行き着いた。

 時刻は午後6時くらいだろうか。朝から薄暗かったが、今や辺りはすっかり闇に包まれている。

 暗順応により多少目が利くわたしたちは、躓かないように慎重に岩場を歩いた。

 それから、隠れるのに適した岩を見つけ、そこを拠点とし、各々、食料や水の確保へと向かった。


「しおりに書いた魚釣りをここで実現できるなんて思っていませんでしたヨぅ」


 膝まで川に浸かってはしゃいでいるすずり。


「掴み取りを釣るって表現していいのかは疑問が残るけどね。というか、この暗さで捕まえられるのかも疑問だけれど」

「つららはいちいち細かいですネぇ。えいっ」

「ちょっと、急に何するの。着替えなんて持ってきてないんだから濡れたくなかったのに」

「いいじゃないですか。しおりには、服を着たままお風呂に入るって日も予定されていたんですヨぅ? これでまたやりたいことが達成できましたネぇ」


 それでいいのかと突っ込みたくなったが、幸せそうなすずりを見るとその気も失せた。


「しおりに書いてあること、全部やりたいね。ここじゃ難しいかもしれないけれど、邪岐が創るっていう新しい世界でなら」

「もちろんですヨぅ! 夏休みなのに夏祭りがないなんてあってはならないことですからネぇ。いっそ、わたしたちで開催しちゃいましょうヨぅ。は! 金魚すくい用の金魚、ここで捕まえるという手がありましたネぇ。ほら、つららも見てないで手伝ってくださいヨぅ」

「はいはい」


 川に金魚はいないと思うよ、何て言わない。すずりが幸せなら、わたしはそれで良かった。

 すずりのためなら、わたしはどんなことも厭わないだろう。死刑だって怖くない。本気で、そう思った。信仰心というものも、こんな感じなのだろうか。少し違う気がしたけれど、もしそうなら、わたしが邪岐を信仰できる日はきっと来ないのだろう。

 一時間格闘した末、辛うじて二尾捕まえることができたわたしとすずりは、火を起こしていた邪岐に調理してもらったのを食べ、そのまま就寝することになった。


「ここが黄泉の天なら、満点の星が見られたのでしょうがネぇ」

「そうだね。もしそんなドラマチックな光景を目の当たりにしてたら、わたし、勢いですずりに告白してたかも」

「……つらら、私ちゃんのこと好きすぎですヨぅ。安心してください。告白なんて大それたことしなくても、私ちゃんたちはずっと親友ですからネぇ」


 ん?


「いや、親友の一歩先に行くための告白なんだけれど。所謂、愛の告白……みたいな」

「つららの言っていることはよく分かりませんが、私ちゃんたちの友情は不滅ですヨぅ。さ、明日も早いでしょうから、寝ましょうネぇ。おやすみですヨぅ」

「…………」


 どうやらすずり嬢は、ストレートな告白じゃないと許してくれないらしい。


「おやすみ、すずり」


 無数に転がっている石が背中に当たっていて寝心地は最悪だったけれど、寒さは感じなかった。それはきっと、右手に伝わる温かい感触のおかげなのだろう。

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