第70話 恋人同士
それから暫く、拓也と春菜は言葉を交わすこともなく、ただ静かに夜空を見上げていた。
やっぱり、気になる。
さっきの春菜の笑顔。あれは、どう見ても無理をしていた。
俺、何か変なこと言ったか?
頭の中でさっきのやり取りを何度もなぞる。思い当たる節はあるような、ないような。
春菜は「気にしないで」と言っていた。けれど、あの表情を見てしまった以上、それを鵜呑みにすることもできない。
どうする? 聞くか?
いや、もしかしたら……。
俺が勝手に、気にしすぎてるだけって可能性も……。
思考はぐるぐると巡り、答えの出ない問いばかりが積み重なっていく。
……どうすっかな。
小さく息を吐く。
このまま悩んでいても、何も変わらない。
よし、決めた。
はっきりさせるしかない。
拓也は夜空を見上げたまま、声をかけた。
「なあ、春菜?」
……返事がない。
ん?
少しだけ首を傾ける。
聞こえなかったのかと思い、今度は横を向いた。
その瞬間、違和感に気づく。
春菜は星を見上げていなかった。
目を閉じ、わずかに俯いている。
「おい、春菜?」
もう一度呼ぶ。
それでも、返事はない。
どうした?
さらに声をかけようとした、その時だった。
ふいに、重みが肩に乗る。
「……っ!?」
春菜の頭が、そっと拓也の左肩にもたれかかってきた。
一瞬、何が起きたのか分からず息を呑む。
だがすぐに、耳元で規則正しい呼吸が聞こえてきた。
――すう、すう、と。
「……なんだよ」
力が抜ける。
「寝てんのかよ……。びっくりさせんな」
思わず小さく苦笑がこぼれた。
気持ちよさそうに眠る春菜の横顔は、さっきまでのぎこちなさが嘘みたいに穏やかで――
……何だよ、俺だけ気ぃ使って。
少しだけ肩の力が抜ける。
けれど同時に、その無防備さが妙にくすぐったい。
ほんと、春菜らしいな。
拓也は再び空を見上げた。
星は変わらず、静かに瞬いている。
「こんなの……周りから見たらさ」
誰にも聞こえないくらいの声で、ぽつりと呟く。
「完全に恋人同士、だよな」
自嘲気味に笑いながらも、不思議と嫌な気はしなかった。
むしろ、どこか落ち着く。
そっと視線を落とし、肩にもたれる春菜の顔を見る。
「なあ、春菜」
もちろん、返事はない。
「お前は、どうなんだよ?」
言い終わる前に、苦笑する。
「……って、寝てるやつに聞いても意味ねえか」
穏やかな寝息は変わらない。
起こすのも気が引けて、そのままにしておくことにした。
暫く、時間だけが静かに流れる。
――ごくり。
喉が鳴った。
ちょっと待て。
ふと、妙な考えが頭をよぎる。
この状況って……。
周囲を見れば、寄り添う男女ばかり。肩を抱き、手をつなぎ、互いを見つめ合っている。そして、拓也たちも傍から見れば、その一組にしか見えないだろう。
しかも今、春菜は寝てる。
つまり。
何かしてもバレない?
一瞬、妙な高揚感が胸をよぎる。
……いやいやいや。
激しく否定する。
俺は変態じゃねえぞ!
線引きは大事だ。絶対に。
とはいえ――
……何か、くらいは。
もう一度、周囲に目をやる。
見える範囲のカップルたちは、だいたい同じような距離感だった。肩を寄せたり、手をつないだり。
中には、思わず目をそらしたくなるようなことをしている連中もいるが――
キスは論外だ、論外。
即座に却下する。
そもそも、みんな空なんて見ていない。互いの顔ばかり見ている。
星、見に来たんじゃねえのかよ!
内心でぼやきつつ、意識を戻す。
じゃあ、とりあえず。
無難なところで。
手、か……?
視線を落とす。
春菜の手は、膝の上に静かに置かれていた。
小さく、白い手。
……よし。
決意する。
拓也はそっと左手を動かした。
できるだけゆっくり、気づかれないように。
呼吸のリズムを崩さないように、慎重に距離を詰めていく。
そして――
春菜の手の上へ、触れるか触れないかのところまで指先を近づけた。




