第69話 星空の下で
「拓ちゃん、星、きれいだね」
春菜の声は、夜の静けさに溶けるようにやわらかかった。
「ああ……ほんとだな」
見上げた空は、どこまでも深く澄んでいる。無数の星が散りばめられて、まるで夜そのものが宝石箱みたいだった。一つひとつが小さな光を放ちながら、静かに瞬いている。
「ダイヤモンドみたいだな。空いっぱいに、細かく砕いてばら撒いたみたいでさ」
「うん……」
それきり、言葉は途切れた。
不思議なものだ。こうして星を眺めているだけで、胸の奥にたまっていた何かが、ゆっくりとほどけていく。ざわついていた心が、静かな湖みたいに落ち着いていく。
隣にいる春菜も、きっと同じように感じているのだろう。
拓也と春菜は暫く、ただ黙って夜空を見上げていた。
「拓ちゃん?」
「ん? どうした?」
呼ばれて振り向くと、春菜は少しだけ首をかしげていた。
「ここにいる人たちって……。わたしたち以外、みんな恋人同士なのかな?」
「さあな……。実際のところは聞いてみなきゃ分からないけど」
周囲を見渡す。寄り添う影、肩を並べて笑う声。こんな時間に、こんな場所に二人きりで来る理由なんて、だいたい決まっている。
「見た感じだと、まあ……そうなんじゃないか?」
「……そっか」
春菜は小さく頷いたあと、ふっと視線を落とした。
何か考え込むように、指先を軽く握っている。
「ねえ、拓ちゃん」
「ん?」
「もし……もしなんだけどね」
言いかけて、言葉が止まる。
「……もしかしたら、何だよ?」
促すと、春菜はほんの少しだけ顔を赤らめて、視線を泳がせた。
「わたしたちも……」
そこでまた、言葉が切れる。
「周りの人から見たら……」
そして、ようやく。
「恋人同士に……見えるのかなって」
消え入りそうな声だった。
一瞬、頭が真っ白になる。
「え……?」
間の抜けた声が漏れた。
「いや、その……確かに。そう言われてみれば……そう、かもしれないな」
ぎこちなく言葉をつなぐ。
そうだ。冷静に考えれば当たり前の話だ。夜、二人きりで、こんな場所に来ていれば――
でも、意識した瞬間、急に心臓の音がうるさくなる。
何だ、これ。さっきまで平気だったのに。
「なんか……そう思うと、ちょっと恥ずかしいね」
春菜は小さく笑った。
「そ、そうか? 俺は別に……」
嘘だ。
めちゃくちゃ意識してる。むしろ今すぐ帰りたいくらいだ。
けど、そんなこと言えるか。
「気にしないけどな。周りがどう思おうとさ」
無理やり軽く笑ってみせる。
「ハハ……」
「……そっか」
その返事は、さっきより少しだけ小さかった。
違和感が残る。
顔をのぞき込むと、春菜はまた夜空を見上げていたけれど、その横顔はどこか沈んで見えた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「ううん、大丈夫」
すぐに否定する。
「ほんとに、なんでもないよ」
「そうか……?」
「うん。気にしないで」
そう言って、春菜は笑った。
けれど――
その笑顔は、さっきまでのものとはどこか違って見えた。無理に形を作ったような、不自然なやわらかさ。
胸の奥に、さっきとは別のざわつきが生まれる。
夜空は相変わらず綺麗なのに、その光が少しだけ遠く感じられた。




