第60話 説得
どうする!?
拓也の頭の中で、警鐘がけたたましく鳴り響く。
夏香に、なんて言えばいい!?
こんな肝心な場面だというのに、都合のいい言い訳がひとつも浮かばない。焦りばかりが空回りし、思考は空白に近づいていく。
「ちょっと。さっきから何黙ってるのよ」
苛立ちを隠そうともしない声が、鋭く突き刺さる。
「早く答えなさいよね」
「わ、わかったよ……。い、今答える……」
逃げ場は、もうない。
くそ、こうなったら……。
腹をくくるしかない。当たって砕けろだ!
「で? どうなのよ?」
「そ、その……だな……」
喉がひりつく。だが、言うしかない。
「……そうだよ。夏香の言う通りだ。俺も……お、俺も……みんなと一緒に入るに決まってるだろ」
言った瞬間、拓也の中で何かが崩れ落ちた。
うわあああ! 言っちまった!
もう引き返せない。ならば、このまま押し切るしかない!
「やっぱりね」
あっさりと返ってきた言葉は、予想以上に冷ややかだった。
「どうせエロ兄貴のことだから、そんなことだろうと思ったけど」
「ちょっと待て、夏香?」
拓也は思わず声を荒げる。
「“そんなこと”って何だよ。“そんなこと”って」
「今さらとぼけないでよ」
夏香は腕を組んだまま、じろりと睨みつける。
「エロ兄貴があたしたちと一緒にお風呂に入るってことはさ、あたしたちの裸をその変態じみた目でじっくり見るってことでしょ? 違う?」
このやろう!
心の中で思い切り毒づく。
実の兄に向かって、なんて言い草だ。俺がみんなの裸を見たいだと? 見つめたいだと?
いや、まあ。
一瞬、妙な本音が顔を出しかける。
見つめるだけじゃなくて、しっかり脳裏に焼き付けたいとか思っ――。
って、何考えてんだ俺は!
危うく自分で自分の首を絞めるところだった。
拓也はぶんぶんと頭を振り、深く息を吸い込む。
落ち着け、冷静になれ。
ここで感情に流されたら終わりだ。言葉を選べ。慎重に、確実に。
俺ならできる!
胸の奥に渦巻く欲望を、都合よく「意志」にすり替えながら、拓也は顔を上げた。
「違うぞ、夏香」
「え?」
一瞬、意外そうな表情を見せる。
「な、何よ、違うって。あたしが何を勘違いしてるって言うのよ?」
「そもそもだな。その貸切風呂っていうのは――正式には“家族専用風呂”って言うらしい」
「は?」
呆れたような声が返ってくる。
「それが何? ただ言い方が変わっただけじゃない」
「言い方が変わっただけ……確かにそうだ」
拓也はゆっくりと頷き、わざと間を置く。
「でもな。その名前には意味があるんだよ」
「意味?」
わずかに興味を引かれたのか、夏香の眉が動く。
よし、食いついた!
内心でほくそ笑みながら、拓也はさらに言葉を重ねる。
「いいか? 家族専用風呂っていうのは――家族が水入らずで入るための風呂ってことだ」
「……だから、それそのままの意味じゃない」
「そう、そのままだ」
きっぱりと言い切る。
「俺はな、別に変な下心があって予約したわけじゃない」
自分で言っていて少し胸が痛むが、構わない。
「ただ……。純粋に、みんなともっと打ち解けたかっただけなんだ」
言葉に、熱がこもる。
「もっと仲良くなりたい。心と心で繋がりたい……そう思ったんだ」
「兄貴……」
一瞬、空気が揺らぐ。
いける!
拓也は確信し、そのまま畳みかけた。
「だからこそ!」
ぐっと拳を握りしめる。
「男とか女とか、そんな垣根を越えて! みんなで一緒にこの家族専用風呂に入り! そして、お互いに裸で向き合おうじゃないか!!」
――沈黙。
ほんの一瞬、世界が止まったように感じられた、その直後。
バシィッ!!
乾いた音が、部屋に響き渡る。
次の瞬間、拓也の視界が大きく揺れた。
頬に走る鋭い衝撃。
「痛っ!」
「最低」
冷え切った声が、容赦なく突き刺さる。
拓也は頬を押さえながら、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




