第59話 家族専用風呂への誘い
ボウリング場の喧騒をあとにし、拓也たちはその足でカラオケルームへとなだれ込んだ。二時間――それぞれが思い思いの歌を選び、声のかぎりを尽くして歌い上げた時間は、あっという間に過ぎ去っていく。
そして今、彼らは再び自分たちの部屋へ戻り、心地よい疲労に身を委ねていた。
「ねえ、兄貴?」
くつろぎかけた空気を破ったのは夏香だった。どこか弾んだ声で、彼女は身を乗り出す。
「大浴場へ行くまでの間にさ、面白そうなお風呂がいくつかあったよね?」
「面白そうな風呂?」
拓也はベッドに腰を下ろしたまま、首をかしげる。
「それって、ジャグジーとか滝風呂とかのことか?」
「そうそう、それ!」
夏香の目がぱっと輝く。
「ねえ、あれって今からでも入れるの!?」
ついさっきまでボウリングにカラオケと、散々動き回っていたはずだというのに。こいつ、本当に疲れを知らないのか?
「今からか……」
拓也は手首を返し、腕時計に視線を落とす。
――二二時五〇分。
受付で聞いた説明が、頭の中にゆっくりと蘇る。大浴場と家族風呂を除けば、利用は二三時までだったはずだ。
ってことは……。
脳内で状況を整理しながら、拓也はひとつの結論に辿り着く。
仮に大浴場も締め切られているなら、残る選択肢は一つだけだ。
それに――。
俺はもう、あの大浴場には入りたくない。他の連中だって、今さら動きたくはないだろう。
よし、言うだけ言ってみるか。
「残念だけどな。風呂の入浴時間、あと一〇分で終わりだぞ」
「え~っ! そうなの!?」
露骨に肩を落とす夏香。期待に満ちていた分、その落差は大きいらしい。
「ああ。受付のお姉さんがそう言ってた」
「そっかぁ……。入ってみたかったのになあ」
しょんぼりとする様子を見て、拓也はふっと口元を緩める。
ここで一つ、切り札だな。
「あ、そうだ。風呂なら、まだ一つだけ入れるところがあるぞ」
「えっ!?」
夏香の顔が一瞬で明るくなる。
「それ本当!?」
「本当だ。何せ、この俺が受付のお姉さんに頼んで、ちゃんと予約しておいたからな」
「予約?」
今度は怪訝そうに眉をひそめる。
「何でお風呂に入るのに予約が必要なのよ?」
「え? あ、いや……それはだな……」
しまった、と内心で舌打ちする。
夏香の視線が、じわじわと鋭さを帯びてきている。
まずいな……ここはうまく誤魔化さないと。
「その風呂っていうのがさ。時間制で、俺たちだけの貸切になるんだよ」
「貸切?」
「ああ、そうだ。すごいだろ?」
なんとか押し切れるか――そう思った矢先。
「拓也さん! 貸切のお風呂だなんて、すごいです!」
弾けるような声で食いついたのは秋穂だった。
「貸切のお風呂っていいよ~」
拓也はすかさず畳みかける。
「周りに気を使わなくていいし、ゆっくり浸かれるからな」
「そうですよね! わたし、入ってみたいです!」
「大丈夫。もう予約は済んでるから」
よし、この流れなら――
そう思いかけた、その時だった。
「ちょっと待った」
ぴたり、と空気が止まる。
声の主――夏香は腕を組み、じっと拓也を見据えていた。その視線には、先ほどまでの無邪気さは微塵も残っていない。
「ど、どうしたんだよ、夏香?」
「ねえ兄貴。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「お、おう……何だよ?」
一歩、また一歩と詰め寄られるような感覚。喉が、ひどく乾く。
「その貸切のお風呂ってさ――」
ごくり、と唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
嫌な予感しかしない……。
そして、夏香ははっきりと言い放つ。
「あたしたちと一緒に、兄貴も入るつもりじゃないでしょうね?」
やはり来た。
逃げ場のない核心。
拓也の背中に、じわりと冷たい汗がにじむ。
や、やばい!
心の中で悲鳴を上げながら、拓也は必死に言葉を探した。




