第52話 敗者の務め
「卓球で体を動かしたし、ちょっと喉が乾いたわね」
夏香はそう言いながら、わざとらしく首元を手で仰いだ。汗に濡れた髪を軽くかき上げ、そのまま視線をゆっくりと拓也へ向ける。
嫌な予感しかしない。
「ねえ、パシリ兄」
にやり、と口元が歪む。
「あたし、喉が乾いたの。だからスポーツドリンク、買って来なさい」
容赦のない命令だった。
くそ! もう使いっぱしかよ!
ついさっきの敗北が、早くも重くのしかかる。卓球の勝負に負けた結果、拓也は正式に“夏香専属パシリ”へと成り下がっていた。
「みんなも喉乾いたでしょ?」
夏香はくるりと振り返り、他の面々に向けて声をかける。
「飲みたいものがあったら、このパシリ兄に頼むといいわよ」
はああああ!?
拓也の心の叫びが、虚しく響く。
一人で全員分ってことかよ!
「はいは~い! わたし、ブドウジュースがいいで~す!」
元気よく手を挙げたのは秋穂。
「わたしは……イチゴ牛乳……」
控えめに続く冬香。
ブドウジュースに……イチゴ牛乳……。
頭の中で注文を反芻しながら、拓也は遠い目をした。
これ俺、完全に全員のパシリじゃないか?
嫌な現実が、じわじわと輪郭を帯びてくる。
いや、気のせいだ。気のせいに決まってる。
自分に言い聞かせるが、まったく説得力はなかった。
「ねえ、拓ちゃん?」
ふいに、柔らかな声がかかる。
「ん? どうした、春菜?」
「拓ちゃん一人で、みんなの分を持ってくるの大変でしょ?」
春菜は優しく微笑んだ。
「だから、わたしも一緒に手伝っていい?」
――その瞬間。
き、きたあああああああ!!
拓也の脳内に光が差し込む。
拓也には後光が見える。背中には白い翼。舞い降りたのは――。
春菜は女神か!? いや天使だ! 間違いない!
「そ、そうか……。春菜がそう言ってくれるなら」
救いの手にすがろうとした、その時だった。
「駄目です、春菜さん」
冷水のような声が割り込む。
「ここで兄貴を甘やかしたら、より一層変態になります。だから、ここは敢えて厳しく接しないと」
おい、誰が変態だ!
即座に心の中でツッコミを入れる拓也。
ふざけるなよ夏香!
だが、すぐに余裕を取り戻す。
フッ……無駄だな。
内心でほくそ笑む。
春菜が、そんな言葉で揺らぐはずが――。
「そうね。わかったわ、夏香ちゃん」
え?
世界が止まった。
「拓ちゃん、ごめんね。やっぱり、わたし手伝えない」
「え、ええええ!?」
希望は、あっさりと砕け散った。
さっきまで輝いていた天使の羽が、音を立てて消えていく。
そんな……。俺の天使が……!
膝から崩れ落ちそうになるのを、なんとか堪える。
「申し訳ないけど、わたしは緑茶をお願いね」
とどめの一撃。
「……ひゃい」
もはや反抗する気力もなく、拓也は力なく返事をした。
こうして彼は、両肩に見えない重荷――いや、飲み物の注文を背負いながら、重たい足取りで売店へと向かうのだった。




