第47話 えせ関西弁の女の子
拓也は脱衣所で浴衣に袖を通し、軽く帯を締め直してから大浴場の入口を出た。ほのかに漂う湯気と木の香りの残る廊下で、彼は何気なく周囲を見渡す。
やっぱり、いないか。
春菜たちの姿はどこにもなかった。無理もない。女子の入浴時間が長くなるのは、もはや常識のようなものだ。先に上がって待つことになるだろうとは、最初から分かっていた。
「さて、どうするか……」
小さく呟き、拓也は壁際に並べられた椅子へと視線を落とす。少し考えたあと、そこに腰を下ろした。静かな時間が流れる。遠くから聞こえる湯の音と、誰かの笑い声だけが、この場所にわずかな気配を与えていた。
一五分ほど経っただろうか。
女湯の暖簾が揺れ、一人の少女が姿を現した。
その瞬間、拓也はわずかに目を見張る。
黒地に白と赤の花があしらわれた浴衣。旅館の用意した簡素なものとは違い、どこか華やかで目を引く装いだった。だからだろうか、その少女だけが、場の空気から少し浮いて見える。
背は高くない。腰のあたりまで伸びた黒髪が、しっとりと揺れている。整った顔立ちは、どちらかといえば可憐という言葉が似合った。
少女はきょろきょろと辺りを見回し――なぜか、まっすぐ拓也の方へ歩み寄ってくる。
……え、何? 俺?
胸の内で小さく戸惑う。まさかとは思うが、声をかけられる理由に心当たりがない。
だが次の瞬間、その疑問は思いもよらぬ形で裏切られた。
「なんや、拓やんやないの。こんな所で何しとるん?」
気さくな声。しかも、妙に聞き覚えのある口調。
「え?」
思わず間の抜けた声が漏れる。こんな少女に見覚えは――ない、はずだった。
「『え?』やないやろ? まさか、うちのこと忘れたんか?」
「いや、ちょっと待てって……」
拓也の脳裏に、ひとつの違和感が引っかかる。
拓やん、という呼び方。そして、この“それっぽい”関西弁。
「お、お前……もしかして……前島典子、か?」
「そうやねん。これで分かるやろ?」
そう言って少女――前島は、長い髪を両手でまとめ、くるりとポニーテールに結い上げる。
その仕草を見た瞬間、記憶がはっきりと繋がった。
「……ああ、なるほどな。前島だ」
いつもと違う髪型に、見慣れない浴衣姿。気づかなかったのも無理はない。
だが納得した途端、別の疑問が浮かび上がる。
「それにしても、お前さ……相変わらずその喋り方なのか?」
「そやけど? 何か変なんか?」
「変だろ。お前、関西人でもなければ住んでたこともないだろうが。それにそれ、どう考えてもゲームのキャラの真似だろ」
「そやけど? それがどうしたって言うねん。うちは関西人やないけど、関西弁は完璧なんやで」
堂々と言い切る前島に、拓也は思わず言葉を失う。
よくそんな自信持てるな。
内心で呆れつつも、これ以上突っ込むのも無駄だと悟る。
「ああ、はいはい。完璧だな」
「そやろ? 分かればええねん」
満足げに頷くその様子に、拓也は小さくため息をついた。
やがて、ふと思い出したように口を開く。
「ところで、お前もこの旅館に泊まってたのか?」
「そやで。毎年ゴールデンウィークはここに来てんねん」
「毎年って……お前ん家、金持ちなのか?」
「そんなの知らんねん。それより拓やん、うちの妹見てへん?」
話題の切り替えがあまりにも唐突で、拓也は一瞬言葉に詰まる。
「は? 妹? お前に?」
「おるよ」
あっさりと肯定され、拓也は軽く目を瞬かせた。
「で、その妹がどうしたんだよ?」
「露天風呂で逸れてしもたんよ。探しても見つからへんし、もう中にはおらん思うて出てきたんやけど……」
「それなら、先に部屋に戻ってるんじゃないか?」
「なるほど……そやな。それもありえるわ」
納得したように頷くと、前島はくるりと踵を返す。
「ほな、うちは部屋戻るわ」
「おう」
そのまま歩き出した彼女は、二、三歩進んだところでふと立ち止まった。
「そやそや、拓やん」
「なんだよ?」
「連休明けたら、ゲー研に顔出してや。新入会員入ったさかい」
「へえ……誰だ?」
「うちの妹やけどな」
「お前の妹かよ」
軽く肩をすくめる拓也に、前島はにやりと笑う。
「ほな、頼んだで」
「ああ、分かったよ」
今度こそ、彼女は廊下の奥へと消えていった。
静けさが戻る。
拓也はしばらくその場に座ったまま、ぼんやりと天井を見上げた。
前島に妹、か……。
少しだけ興味が湧きつつ、拓也は再び春菜たちを待つ時間へと戻っていった。




