第46話 女子トーク
大浴場の入口で拓也と別れた女性陣は、「女湯」と書かれた暖簾をくぐり、その奥へと足を踏み入れた。
中に広がっていたのは、ずらりとロッカーが並ぶ広大な脱衣所だった。何十人もの人間が同時に着替えても余裕がありそうな空間に、思わず視線が泳ぐ。
四人は並んでロッカーを使い、手際よく服をしまうと、そのまま連れ立って浴場へ向かう。
「なんか、すっごくワクワクするね!」
秋穂が、子どものように目を輝かせて言った。
「秋穂ちゃん、浴場で走ったりしちゃだめよ?」
春菜がやんわりと釘を刺す。
「やだなあ、お姉ちゃん。わたし、そんなに子どもじゃないよっ」
頬を膨らませる秋穂に、春菜は少しだけ困ったように笑った。
「そう? それならいいんだけど……」
秋穂ほどではないにしても。
夏香もまた、胸の奥で同じような期待を膨らませていた。“日本一の露天風呂”と聞いて、平静でいられるほど大人でもない。
やがて、脱衣所の先にある横開きの扉へと手をかける。
胸の高鳴りを感じながら、それを開いた――。
次の瞬間。
「わあー! すっご~い!」
秋穂の歓声が、広い空間に響き渡った。
目の前に広がっていたのは、言葉を失うほどの光景だった。
果てが見えないほどに広がる露天風呂。石造りの湯船は大きな楕円を描き、その中心には幾本もの木々が植えられている。湯気の向こう側はかすみ、まるで別世界のようだった。
ここからでは、向こう側などまるで見えない。歩いて一周するだけでも、相当な時間がかかりそうだ。
「日本一って、本当だったのね……」
春菜も思わず感嘆の声を漏らす。
夏香もまた、無言でその光景に見入っていた。想像以上――いや、想像を軽く超えている。
「春菜さん、まずは体を洗いに行きませんか?」
「あ、そうね。そうしましょう」
「ほら、秋、冬香。行くわよ」
「は~い!」
「うん……」
四人は洗い場へと向かい、丁寧に体を洗い終えると、いよいよ湯船へ足を踏み入れた。
「あそこ、よさそうじゃない?」
春菜が指さしたのは、湯船のやや内側。木々に囲まれた、落ち着いた場所だった。
「いいですね」
「わたしも……そこがいい……」
「わたしも~!」
「じゃあ、行きましょう」
湯の中をゆっくりと進み、その場所に腰を下ろす。
「……んん、気持ちいい~」
夏香は思わず腕を伸ばし、大きく背伸びをした。
周囲には多くの人がいる。それでも窮屈さは微塵もない。むしろ、この広さだからこそ、自然と心がほどけていく。
四人とも、心からくつろいでいる様子だった。
「ねえ、春菜さん?」
「ん? なあに、夏香ちゃん?」
湯に肩まで浸かりながら、夏香がふと口を開く。
「前から聞こうと思ってたんですけど……。春菜さんって、今付き合ってる人いるんですか?」
「え?」
春菜は目を丸くした。
「付き合ってる人? いないよ。それに……今まで一度も、そういう人はいなくて……」
「そうですか。それなら――」
夏香は、少しだけ間を置いてから続けた。
「もしかして、兄貴のこと好きなんですか?」
「えっ!? え、ええ!?」
春菜の顔が一瞬で赤く染まる。
「な、な、夏香ちゃん!? きゅ、急にどうしてそんなことを……!」
動揺は明らかだった。
「だって、春菜さんみたいに可愛くて優しい人が、今まで誰とも付き合ってないなんて不思議だなって思ったのと……。兄貴と、すごく仲が良さそうだったから」
「あ、えっと……その……」
しどろもどろになりながらも、春菜は懸命に言葉を紡ぐ。
「好きになれる人がいなかっただけで……。それに拓ちゃんとは幼馴染みで、ずっと一緒だったから仲がいいだけで……。す、好きだけど……で、でも、その……付き合いたいとか、そういうのは……ない、から……!」
「……そ、そうですか」
必死な弁明に、夏香は小さく頷いた。
「そ、それより、夏香ちゃんは? 好きな人、いるの?」
「え? あたしですか?」
一瞬だけ言葉に詰まり――
「付き合ってる人はいませんけど、好きな人はいますよ」
「ええっ!? 夏ちゃん、好きな人いたの!?」
秋穂が大げさに驚く。
「何よ、その反応。あたしだっているわよ」
「だって夏ちゃん、男の子っぽいし、部活ばっかりだと思ってたもん」
「……それ、地味にひどくない?」
苦笑混じりに返しながらも、夏香は肩をすくめる。
「じゃあ誰なの? 同じクラス?」
「違うわよ」
「え~、じゃあどこ?」
「教えるわけないでしょ」
「ええー! ケチ!」
賑やかなやり取りに、春菜がくすりと笑う。
その時――
「夏香が好きな人は……バスケ部の男の子……」
「ちょっと、冬香!?」
静かに放たれた一言に、夏香が慌てて声を上げる。
「それ以上言ったら許さないからね!」
「うん……もう言わない……」
「そっかあ~、バスケ部なんだあ」
にやにやと笑う秋穂に、夏香はじろりと睨みを利かせた。
「他で言ったら……分かってるわよね?」
「い、言わないってば!」
先ほどの“刑”が効いているのか、秋穂はぶんぶんと首を振る。
「夏香ちゃん、きっと上手くいくよ」
春菜が優しく微笑んだ。
「ありがとうございます……。そう言ってもらえると、ちょっと自信出るかも」
その言葉には、ほんの少しだけ照れが混じっていた。
「冬香ちゃんは?」
「わたしも……好きな人いる……」
「えっ、冬ちゃんも!?」
「誰? 同じクラス?」
「それは……秘密……」
「え~、冬ちゃんもケチ~!」
「じゃあ、どんな人かくらいは教えなさいよ」
夏香が促すと、冬香は少し考えてから、ぽつりと答えた。
「いつも……近くで見守ってくれる人……。でも……ちょっと変な人……」
「最後の“変な人”って何よ……」
「そのままの意味……」
「全然、分かんないんだけど!」
「あとは想像で……」
淡々とした返答に、夏香は思わずため息をつく。
「でも、冬香ちゃんが好きになる人だもん。きっといい人だよ」
春菜の言葉に、夏香も肩の力を抜いた。
「まあ……そうですね。冬香の目は信じます」
「うん。それでいいと思う」
湯気に包まれながら、穏やかな時間が流れていく。
それぞれの胸に、少しだけ大切な想いを抱えたまま――四人は、静かに温泉のぬくもりに身を委ねていた。




