第45話 期待とは裏腹に
「ねえ、兄貴? これからどうするの?」
草餅を平らげ、湯呑みに口をつけたまま、夏香が何気ない様子で問いかけてきた。
「これから、って……そりゃあ決まってるだろ。温泉に入りに行くに決まってる」
「え? 今から入れるの?」
意外そうに目を瞬かせる夏香に、拓也は軽く肩をすくめた。
「受付で聞いたんだけどさ。一階の大浴場は二四時間いつでも入れるらしいぞ」
「へえ、そうなんだ」
「ああ。だから、とりあえず今から行こうぜ。みんなで」
「オッケー」
即答だった。夏香の顔には、すでに期待の色が浮かんでいる。
「春菜、秋穂ちゃん、冬香もそれでいいか?」
「うん、わたしも賛成だよ」
「はーい! わたしも行きま~す!」
さっきまでの騒動が嘘のように、秋穂はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「わたしも……行く……」
冬香も静かに頷く。
どうやら、満場一致らしい。
「よし、それじゃ決まりだな。あ、そこの浴衣、忘れるなよ」
部屋の隅に用意されていた浴衣を指さす。紺色に茶帯の男性用、白地にピンクの帯の女性用――それぞれが整然と並べられていた。
各々が浴衣と着替えを手に取り、部屋を後にする。
一階でエレベーターを降り、右手へ。長い通路を歩く途中には、ジャグジー風呂や高温風呂、水風呂、砂風呂、滝風呂、さらには家族専用風呂と書かれた案内が並び、施設の充実ぶりがうかがえた。
やがて、「大露天風呂」と掲げられた入口が見えてくる。
「それじゃあ、先に上がった方がここで待つってことでいいか?」
「うん、それでいいよ」
「わたしも、それでいいです!」
「あたしもオーケー」
「わたしも……それでいい……」
「よし、じゃあ後でな」
そう言い合い、男女それぞれの入口へと分かれていく。
暖簾をくぐると、そこは脱衣所だった。拓也は手早く服を脱ぎ、浴衣と着替えをロッカーへ押し込み、タオルを腰に巻く。
いよいよだ。
胸を高鳴らせながら、横開きの戸に手をかける。
がらり、と扉を開けたその先に広がっていたのは――
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
確かに広い。無駄に広い。学校の体育館が二つは入るんじゃないかと思うほどの空間だ。
――だが。
「なんだよ……これ……」
肝心の湯船が――やけに小さい。
せいぜい六畳ほどの石造りの浴槽に、ぎゅうぎゅう詰めの男たちがひしめき合っている。肩と肩が触れ合うどころか、もはや密着状態。湯に浸かるというより、押し込まれていると言った方が近い。
「いやいやいや……無理だろ、これ……」
思わず後ずさる。
いくら何でも、あの中に入る気にはなれない。
結果――拓也は無言で洗い場へ向かい、淡々と体を洗い始めた。
何なんだよ! この露天風呂!
心の中で悪態をつきながら、手だけは無駄に丁寧に動く。
日本一とか言ってたくせに、全然じゃねえか!
広いのは洗い場だけ。肝心の風呂があれでは意味がない。
やがて洗い終え、脱衣所へ戻ろうとした、その時。
「……っ、さむっ」
思わず身をすくめた。
標高の高い場所ゆえか、五月とはいえ風が肌を刺すように冷たい。濡れた身体にはなおさらだ。
やばい……これ、普通に冷える……。
震えがじわりと広がる。
温まりたい。
湯に浸かりたい。
だが、そのためには――あの異様な密集地帯に突入するしかない。
いや、でもな……。
一瞬ためらう。
しかし、すぐに歯を食いしばった。
くそっ! ここまで来て、入らないで帰れるかよ!
遠路はるばる来たのだ。温泉に浸からずして何の意味がある。
上等だ! どんな状況だろうが、入ってやる!
覚悟を決めた拓也は、ぎゅうぎゅう詰めの湯船へと視線を向けた。




