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第31話 舞い降りた幸運

 校門をくぐった瞬間、朝の空気が少しだけひんやりと頬を撫でた。拓也と春菜は並んで昇降口を抜け、そのまま教室へと入る。見慣れた机と椅子の並びに、それぞれが自然と自分の席へと収まった。


「おはよう、拓也」


 前の席から、くるりと振り返った清彦が声をかけてくる。いつもと変わらない、気の抜けたような調子だ。


「おはよう」


 拓也も短く返す。だが、その声にはわずかな疲れが滲んでいた。


 それを見逃す清彦ではない。


「ねえ、拓也? 目の下、凄いクマできてるけど……何があったの?」


「ああ、これか……。いや、実はさ――」


 拓也は苦笑いを浮かべながら、昨夜のことを話し始めた。妹たちのために、朝まで眠らず温泉旅館を探していたこと。画面を睨み続けた末に迎えた夜明けのことを。


「なるほどね。それは……確かに大変だ」


 清彦は小さく頷き、どこか感心したように言った。


「まあな。でも、可愛い妹たちのためだからな。二日くらい寝なくても、どうってことないさ」


 胸を張る拓也に、清彦はふっと意味ありげに笑う。


「可愛い妹たちのために……ね。まあ、その気持ちも分からなくはないけどね」


「な、なんだよ、急に」


 どこか含みのある言い方に、拓也は眉をひそめた。ついこの前は「異常だ」と言っていたはずなのに。


「だってさ。拓也の妹って、あの夏香ちゃんと冬香ちゃんでしょ? あの二人なら……まあ、そうなるのも無理ないかなって」


「ま、まあ……確かに可愛いけどな。でもさ、前は異常って言ってたじゃねえか」


「ああ、それはね」


 清彦は腕を組み、少しだけ視線を宙に泳がせた。


「幼馴染の春菜ちゃんより妹がいい、なんて言ったからだよ」


「ああ……言ったな。でも、それがなんで異常なんだよ?」


 問い返す拓也に、清彦はすぐには答えなかった。暫く考え込むように黙り込み、それからゆっくりと口を開く。


「それはね……。きっと、いずれ分かる時が来るよ」


「は?」


「だから、それまでの宿題ってことで」


「なんだよそれ。全然分かんねえよ」


「まあまあ、そのうちね。――あ、先生来た」


 ひらりと話を打ち切り、清彦は前へ向き直る。その背中を見ながら、拓也は釈然としない思いを抱えたまま、チャイムの音を聞いた。


 こうして、いつもと少しだけ違う一日が始まった。


 土曜日の授業は短く、気がつけばもう放課後だ。教室には解放された空気が広がり、あちこちで椅子の音や笑い声が弾けている。


 拓也は鞄に教科書を詰め込みながら、大きくひとつ息をついた。その時だった。


「御堂」


 聞き慣れた声に顔を上げると、佐伯と春菜がこちらへ歩いてくるのが見えた。


「春菜から話は聞いたわよ。妹さんのために、寝ないで温泉旅館を探してるんでしょ?」


「ああ、そうだけど……。もしかして、佐伯も手伝ってくれるのか?」


 期待を込めて尋ねるが、


「違うわよ」


 あっさりと否定された。


「は? じゃあ何なんだよ」


 肩透かしを食らった拓也に、佐伯は無言で制服のポケットに手を入れる。そして、一枚の紙を取り出した。


「これ、あげる」


 差し出されたそれを、拓也は半信半疑で受け取る。


「……なんだ、これ」


 目を落とした瞬間、思わず息を呑んだ。


「これ……温泉旅館の宿泊券じゃねえか!?」


「そう。この前、商店街の福引で当たったの」


「いいのかよ、こんなの……」


 驚きと戸惑いが入り混じる声に、佐伯は少しだけ視線を逸らした。


「いいのよ。それ、この前あたしの勘違いであんたを殴ったお詫びだから」


「……ああ、あれか」


「それに、その旅館なら妹さんたちの希望も叶えられるんじゃない?」


 改めて券を見る。そこには立派な建物の写真と共に、豪勢な料理と日本最大級の露天風呂の文字が踊っていた。


「マジかよ……」


 じわじわと実感が湧いてくる。


「佐伯、サンキュー! これなら絶対、妹たち喜ぶ!」


「だから、お礼はいらないって。それより――」


 佐伯は軽く腕を組み、少しだけ優しい声で言った。


「せっかくなんだから、ちゃんと楽しませてあげなさいよ」


「おう、任せとけ!」


「拓ちゃん、よかったね」


「ほんと、ラッキーじゃん」


 春菜と清彦も、それぞれ笑顔を向けてくる。


「ああ……。これで、がっかりさせずに済む」


 胸の奥にあった重みが、すっと軽くなるのを感じた。


 よっしゃ――!


 心の中で拳を握る。


 可愛い妹たちとの温泉旅行、絶対に最高のものにしてやる!


 その決意は、春の午後の光の中で、確かに輝いていた。


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