処刑台からの目覚めと、断裁の確信
ギロチンの刃が落ちる瞬間、世界は静寂に包まれた。
熱狂するパリの民衆。腹を空かせ、憎悪に瞳を濁らせ、ただ一人の女を血祭りに上げることで自らの正義を証明しようとした群衆の怒号。誇り高く生き、王妃として死んだはずのマリー・アントワネットの意識は、底知れぬ暗闇へと沈んでいった。
――はずだった。
「……ん」
柔らかな日差しが瞼を叩き、マリーは静かに目を覚ました。
肌を撫でるのは、冷たいパリの風でも、粗末な牢獄の藁でもない。上質な絹のシーツと、洗練された薔薇の香り。身に着けているのは、処刑の日に着せられた粗末な白いドレスではなく、ヴェルサイユの絢爛豪華な舞踏会を思わせる、美しく細やかなレースをあしらったドレスだった。手元には、見慣れた一対の折りたたみ扇。
マリーは優雅に体を起こし、室内の異変を静かに観察した。
豪華な調度品、見知らぬ石造りの建築。そして――頭の中に直接流れ込んでくる、奇妙な『理』の感覚。
言葉にせずとも理解できた。自分は命を落とし、全く異なる世界へと存在を移されたのだということ。そして自らの魂に、ひとつの固有権能が刻み込まれていることを。
『断頭台の威厳』。
その能力の性質を、マリーは思考を巡らせるだけで完璧に把握していた。
(……ふふ、面白いことですわ)
自分に向けられた意図的な悪意、殺意、攻撃性。それらを過不足なく感知し、不可視の断頭刃として空間ごと切り裂く絶対的な断罪の力。
そして何より――群集心理によって膨れ上がる悪意、すなわち『敵の数』が増えれば増えるほど、その力は乗数的に跳ね上がる。私を大勢で囲み、暴力で踏みにじろうとする者に対する、絶対的な対・軍勢特化の裁き。
(かつて私を群れで囲み、断頭台へ送ったあの不快な悪意……。二度と、誰であっても私を蹂躙することなど許しませんわ。私を害しようとするならば、その身をもって報いを受けるだけ)
能力の仕組みと使い道を完全に理解し、マリーは扇を優雅に開いて口元を隠した。
その時である。
ドォン……ッ!!
重厚な部屋の扉が破破され、凄まじい衝撃音が響いた。
「おい! 奥の部屋に誰かいるぞ!」
「女だ! 服装からして相当な身分の奴だな!」
部屋になだれ込んできたのは、人間離れした体躯に歪な角を生やした、恐ろしい異形の軍勢――魔王軍の兵士たちだった。その数、およそ五十。手には血に濡れた大剣や槍を握り締め、下卑た笑みを浮かべている。
どうやらこの館、あるいは城は、すでに彼らの奇襲によって占拠されつつあるようだった。
「ひひっ、運がいい! 殺す前に楽しませてもらおうぜ!」
「逃げ場はねえぞ、大人しくしろ!」
迫り来る異形たち。彼らから放たれるのは、隠しようもない下品な欲情と、強烈な殺意。
普通であれば恐怖に震え上がる場面。しかし、マリーの瞳に宿ったのは、氷点下すら下回る絶対的な威厳と寒気立つほどの蔑みであった。
(能力の発動条件、感知範囲、威力の集束……すべて頭の中で繋がりましたわ)
マリーは立ち上がることもせず、豪華な椅子に深々と腰掛けたまま、静かに一歩先へ踏み出す兵士たちを見下ろした。
「品性を欠いた暴徒たち。不躾に私の部屋へ踏み込むなど、礼節を弁えなさい」
「ああ!? 何言ってやがるこの女――」
「言ったはずですわ。パンがないなら――ギロチンで散らせばいいじゃない」
マリーが優雅に扇をパチンと閉じた。
その瞬間。
頭の中で把握していた『断頭台の威厳』の理を、完璧に踏襲して発動させる。
ギチチチチ……!!!
異形の兵士五十体の頭上、空間そのものが歪み、黄金と白銀に輝く五十の不可視の断頭刃が寸分の狂いもなく配置された。
逃げ場など存在しない。相手がマリーに向けた殺意の分だけ、正確に命を断つ刃。
「な――」
叫び声すら許されなかった。
ドスッ!!
音が重なり、一瞬にして五十体の首が同時に胴体から滑り落ちた。血飛沫が上がる間もなく、空間ごと切り裂かれた切断面から、怪物の肉体が崩れ去っていく。マリーのドレスには、返り血一滴すら付着していない。
一瞬にして静寂を取り戻した部屋の中、マリーは呆れたように息を吐き、扇で軽く風を起こした。
「ふう……少し、行儀が悪い方々でしたわね」
自らの権能を完全に理解し、意のままに発動させた悲劇の王妃。彼女の異世界における無慈悲で優雅な踏みにじりが、今ここから始まるのだった。




