メスケモ嫁の寝顔が可愛すぎて眠れなかったので夜の散歩(健全)に行った結果
-1-
アンドレイが帰る頃には12時を回っていた。
その後のアンドレイは最初の挙動不審が嘘のように、めちゃくちゃ真面目に牧師業務のレクチャーをしてくれた。
おかげで明日からは一人で仕事が回せそうだ。
「何か不安なこととかわからないことがあったらいつでも連絡してくれ!」
そんな頼もしい先輩みたいなことを言うあたり、面倒見がいいだけのおっちゃんなのかもしれない。ペーターとも仲が良かったっぽいし。
俺は身支度を整えて寝室へと向かった。
「ナディア…」
めっちゃ小さい声で真っ暗な部屋に呼びかける。
「スピー…スピー…」
返ってくるのは規則正しい寝息。
ゴクリ。
蝶番が軋まないように細心の注意を払いながらドアを閉め、床板が軋まないように抜き足差し足でベッドの端を探り当てる。
これはやましいアレじゃない。気持ちよさそうに寝てる奥さんを起こさないようにしようという俺の善意100%を疑わないでほしいもんだ。
そう!今日の俺に床で寝るなんて選択肢はないぞ!
夫婦なんだから同衾くらいするだろ!
ベッドの上を手探りして毛布を掴むと、俺は慎重に身を滑り込ませた。
ナディアの呼吸に合わせてベッドのスプリングがわずかに上下するのを感じる。
「スー…スピー…フゴッ…スピー」
おお、なんてこった!サウンドオンリーでも可愛さが溢れているじゃないか。
俺はもうちょっと近くで寝息を感じようと…もとい、ベッドの端っこに寝すぎて落ちそうだったので、ジリジリとナディアの方へと身を近づけた。
お、おおっ!ナディアの長いマズルからかすかに漏れる生暖かい寝息が俺の頬をくすぐる。
暗闇に目が慣れてきた。
こう見るとやっぱり整った顔してるよな。まつ毛がすごく長い。
ナディアの鼻先に人差し指の腹で軽く触れる。
「フフフ…」
そう、この独特の感触。あったかく乾いているけど意外と柔らかい。クセになりそう。
「んんっ…」
ナディアが軽く眉間にしわを寄せる。
ハッと手を離し、息を止めた。
ナディアはもぞもぞと動いたかと思うと、そのまま寝返りを打った。
「スー…スー」
規則正しい寝息を確認して俺も大きく息を吐く。
あ、あぶね~…。まだ、心臓がバクバクする。
起きたかと思った。
俺としたことが、寝ているナディアにいたずらするなんて!
ここはむしろ手を出さず、『紳士的な俺』をアピールするチャンスだってのに。
無防備なその項に顔をうずめてスーーーーッと吸い込みたいけど、まぁ我慢だ。
ちょっと撫でるくらいならOKかな?少し乱れた毛並みを整えるくらい。
手を伸ばしかけて引っ込める。
やっぱこういうのは起きてるときにやってこそだよな。
我慢我慢。今宵の俺は紳士だから。
「おやすみ、ナディア」
小さい声で囁いて背を向ける。
「スヤスヤ…」
「…」
アンドレイのお陰で明日から仕事に戻れるし、忙しくなるんだよな!英気を養うためにも今日は早く寝なくては!
「ムニャ…」
「…」
あー、そういえばイーゴンの友達の件はどうしたもんかなぁ。調査すると言った手前完全に放置ってわけにはいかないしなぁ!
「…スゥスゥ…」
「…ゴクリ」
いや、無理では?
無理だよな?
睡眠ってどうやってとるんだっけ?えっ、目をつむるだけ?ご冗談を。
暗闇で背中越しにナディアの存在を感じるだけだなんて、逆に色々浮かんできちゃって起きてきちゃうんですけどね!ナニがとは言わないけども!
閑話休題。
「…ふぅ」
こればかりはしょうがない。むしろ辛うじて紳士としての体裁を保てたから、よしとしたい。
俺はベッドから抜け出した。
器用に左手だけで寝室を出て、1階に降りた。
キッチンで手を洗い、ついでに水を飲む。
また寝室に戻っても同じループに陥りかねない。
リビングに掛けられていた上着を寝巻の上に羽織り、カンテラ片手に外に出た。
少し頭を冷やす時間が欲しかった。
「ここは獣人の村なのに一番の獣は俺じゃないか…」
いや、男はみんな狼だっていうし、別にこれくらい可愛いもんだろ。うちは俺じゃなくて奥さんが狼獣人だけどねってやかましいわ。
「ハァ、明日から寝るとこ分けてもらおうかな…」
でも、寝室を分けたらレスは加速するんじゃないか?
一度寝室を分けたら元に戻す口実も考えないといけないし。
一緒に寝てたらまぁ…ナディアの方から狼になることもあるかもしれないし。
-2-
「んっ?」
気づけば森の入口まで来ていた。
昼にメラニーに送ってもらった場所だ。
確かこの先一本道だったな。ちょっと行ってみるか。
森の中は当然暗い。金網に流す高圧電流はあるのに、街灯の一本も村にはないから。森には民家もなく、光源は俺の持つカンテラとわずかな月明かりのみ。
金網のところで足を止めた。
ちゃんと『高圧電流注意!!』の古びた看板が見えやすい位置に掲げられている。
「池…どこだ…?あぁ、アレか。葉っぱで覆われててよくわかんないな。暗いし」
池の周囲の地面もキラキラしてるからどこからどこまでが水面でどこまでが地面なのかの境界線があやふやだ。キラキラしてるのが件の鉱石なんだろう。
『池が生み出す』だっけ?
池が急に産気づいて「う、うまれるー!!」でひりだしてるイメージなんだろうか。
それとも池の女神的なのが出てきて「あなたと私の子供よ!」みたいな?
しばらく見ていたけど当然ながら何も起こらなかった。池はずっと静かで、風が周囲の木々を揺らすだけ。
「ご大層なことを言っても、ただの池にしか見えないんだよなぁ」
一体これにどんな秘密があるって言うんだ?やたら箔がついてるから実物よりすごい感じがしてるだけなんじゃないか?
ちょっと歩いたら眠くもなってきたし、帰るか。
俺はゆっくりUターンする。
「ねぇ」
不意に正面から声を掛けられた。
「ギャアーー!」
俺は飛び上がってよろめいた。
「ギャー!あぶなぁいい!!」
「うわああぁっ!」
背中から転びかける。
まずい!金網があるのに!
力強い腕が俺の手首と腰を掴んだ。
金網に触れるギリギリで持ちこたえている。
「ちょ…早く…腕…」
暗がりにぼんやりと浮かぶのは銀色のモフモフな輪郭と見慣れたアイスブルーの瞳。
「ナディア!?」
俺の体を支える腕がプルプルと震えている。
「も…限界…!」
「わっ!ご、ごめん!」
俺はナディアの方に体重を預け、体勢を立て直す。
思いがけず抱き合うような姿勢だが、これは不可抗力。
ナディアの腕を掴んだまま、俺はその顔を見下ろす。
「どどど、どうしてここに?」
「や、その…」
ナディアは顔を背け、困ったように尻尾をくねらせている。
「あなたが家を出るのが見えたから…ついてきちゃった」
「えっ…!?」
「…あなたが、浮気がどうとか言うから気になっちゃって…」
ブォンブォンと尻尾が揺れる。
「そ、そっかぁ…!」
こ、これは、どういう感情なんだろうな、俺。
ここがもっと明るければいいのに。ナディアは今どんな顔してるのか、もっとよく見えたらいいのに。
「でも拍子抜けです。あなたの浮気相手は池なんですか?」
ナディアは控えめに笑い、ギザギザの歯の先っぽがちらりと覗く。
「まさか!ちょっと考え事したくて歩いてたらここについちゃったってだけ」
「そう…」
ナディアは肉球を不安げににぎにぎとこすり合わせた。
「今度から夜中に一人で出歩くのはやめてくださいね、心配なので。特に池の近くは…」
ナディアは言葉を切った。
「池は危ないの?ああ、高圧電流があるから?」
「その…えっと…それもありますけども…ほら、用もないのにウロチョロして鉱石の盗掘だと間違われたら困るじゃないですか!」
「ああ、なるほど!」
そういう考えもあるか。こんな厳重に守るくらい大事な場所だもんな。
盗掘。ミゲルは金網の中に入る方法を探していたとイーゴンは言ってたな。
「ねえ、ナディア。もし盗掘したらどうなるの?やっぱり村の暗部に連れて行かれて処刑されるとか?」
「えええっ!?しょっ、えっ…なっ…!」
ナディアの耳と尻尾がピンと張り詰め、満月くらい真ん丸に見開かれた目はひたすらに驚いていた。その様子が可愛くて(まあどの様子も可愛いんだけども)俺は思わず笑ってしまった。
「冗談だよ!いなくなった季節労働者について相談を受けてるんだけどね、その子は鉱石に興味を持っていたって話だし、もしかしたら鉱石を盗んで警察に突き出したからいなくなったとかそういう話だったりするのかと思って聞いてみただけ」
季節労働者や転生者に悪い風聞がつくと雇用主であるジョニーが困ったことになるから本当は懲戒解雇であることを隠しているだけでさ。真相は案外こんなもんじゃないかってナディアの話を聞いてふと思ったんだ。
「転生者ならこう…すごいスキルで電流を無効化とかできそうだし!」
「スキル…まあ、できる人はいるのかもしれませんね。柵に流れてる電流自体、スキルですし」
「そうなのか!」
電化製品がないのに電気があるからおかしいなとは思ってたんだよ。
「ちなみに俺は?記憶喪失になる前の俺って自分のこと転生者だとか言ってなかった?実はすごいスキルを持ってるとかさ!」
「…あなたにスキルはないですよ。残念ながら」
「なーんだ!」
確かにちょっと残念ではある。
でもスキルなんてなくても、可愛い奥さんがいるだけでおつりがくるレベルにラッキーだからそこらへんはまぁ、トレードオフということで。
にこにこの俺と対照的にナディアの耳がぺしょりと垂れさがる。
「本当に残念なことです。そのせいであなたは…」
ザブンッ!
背後で水が跳ねる音がした。
「なに!?」
ナディアの耳がピンと警戒するように立つ。
俺はとっさにナディアを背中に庇うようにして池の方を見た。
ジャブジャブジャブ。水の音。
暗がりでも水面が激しく波打っているのがわかる。
「うう~っ…」
続いて低く唸るような声。
地面を這うような音。
暗がりの中で何かが動いている。
ぐいっと服が引っ張られる。前足の爪が食い込むほどにナディアは俺の服をきつく掴んでいた。
「あなた、なんだか怖い…帰りましょ…」
俺はその背中を軽く叩いて励ます。
「大丈夫。俺がついてるから」
「でも…」
正直俺だって暗くて怖いけど、見て見ぬ振りもできない。
俺はカンテラを掲げて呼びかけた。
「誰かいるのか~!」
カンテラの淡い光が柵の内側を照らす。
池の端で何かが蠢いた。
黒い…泥の塊か?
俺の声にこたえるかのように蠢く泥が柵の方へとゆっくり近づいてくる。
黒っぽい泥が落ちて、白いものが月明かりに露出する。
「たす…け…ゴホッ」
違う。アレは、人間だ!
泥にまみれた全裸の人間は池から何とか這い上がり、危なっかしく立ち上がった。
そして両手を俺の方に向けてよろよろとおぼつかない足取りで近寄ってくる。
「たすっ、助けてくれ…!池に…!池に…!」
よろめき、少しこけたりしながら俺に助けを求めるその様子は、明らかに正気じゃない。
「わかった!落ち着いてくれ!止まるんだ!」
興奮しきったその男は俺の制止も聞かずに近寄ってくる。
「ダメだ、とまれ!」
「たすけて…!」
俺は『高圧電流注意!!』の看板を見上げる。
柵の内側からじゃ見えないんだ。
「いいから止まれ!柵に触るな!」
怒鳴るが、パニック状態の男を止める力はなかった。男の泥にまみれた腕が金網を両手で掴んだ。
「ガッ…!」
男は喉の奥で小さく叫び、金網を掴んだまま体をこわばらせる。
「おい、あんた!」
「ダメっ!」
手を伸ばしかけた俺をナディアが後ろに引っ張る。
ドサッ。
俺は尻もちをついた。
「あっ…あがっ…」
男は体を小刻みに痙攣させていたが、やがて変な体勢のまま背中から地面にひっくり返った。
そしてそのままピクリとも動かなかった。
-3-
その一部始終を俺は見ていた。
あの男は死んだのか?
確認するべき…なのか?
「あなた!あなた…!」
ナディアの前足が俺を揺さぶる。
「はっ…」
現実感が、体に追いついてきた。夜風が嫌な汗を冷やしていく。
「た、助けを呼びに行きましょう!」
「助け…?」
「研究所に高圧電流を止めてもらって…それから…」
「あ、ああ!そうだな!」
ナディアが俺を助け起こした。
「研究所はこっちです!」
ナディアに引っ張られて俺は夜の森を走った。
研究所は存外近かった。
白い壁の瀟洒な洋館といった見た目で、看板がなければ金持ちの住居にしか見えない。
玄関前につけられたベルの紐を引く。
ものすごい控えめな音だ。
「おーい、起きてくれ!誰かいないか!」
ドアを拳で叩いて大声で呼びかけた。
「高圧電流で人が倒れた!誰か!」
ガチャ。
ほどなくして眠たげな眼を擦りながらメラニーがドアを開けた。
昼間と同じ格好をしているということは徹夜で泊っているんだろう。
「今何時だと思ってんの~」
この俺たちの慌てぶりに全然動じていない。
その様子に俺も少しばかり冷静さを取り戻す。
「池の柵の中に人が入っていて、感電してしまったんだ。死んだかもしれない」
「ああ、それは大変だ。今すぐ見に行こう」
俺たちは小走りに来た道を戻った。
「あー、あれかい?」
メラニーが指さす先には仰向けに男が倒れていた。
当然だけど見間違いや夢なんかじゃない。
柵のギリギリの近くまで行き、メラニーが呪文を唱えながらお札のようなものを振るうと白熱電灯のように明るい光の玉が空中に浮かび、金網の内側を照らした。
倒れているのは人間の男だ。
カッと目を見開いて微動だにしない。
泥にまみれた顔や体は思いのほか若く見える。イーゴンと同世代だろう。
するとこいつがイーゴンの言っていたミゲルなんだろうか?それとも別の労働者?
とはいえ今この場では、誰なんだとか、どうして柵の内側にいるのか、というのはプライオリティの低い疑問だ。
「なあ、この人死んでるのか?」
「そりゃそうでしょ。高圧電流流れてんだから」
メラニーはこともなげに言ってのける。
「どうしたもんかなー」
「村長に連絡するしかないよね」
メラニーとナディアは倒れた男を指さしながら早口で話している。
「というか、彼はなんでここに?」
「今はそんなこといいでしょ」
メラニーの視線が俺に向く。
「あっ」
ボケっと立ってないで話に参加したほうがよかったか。唯一の男手なのに情けない。
「お、俺、なんかしたほうがいいかな?村から人を呼んでこようか?」
誰を呼べばいいのかわからないけど。明かりがついてる家の一つや二つあるだろう。
メラニーはヤレヤレと首を振った。
「ペーター。君が気にすることじゃない」
「えっ、でも…」
気にするなとか無理だろ。目の前で人が死んだのを見たんだから。
ゆっくりとメラニーが近づいてくる。
やや肉厚な肉球が俺の肩を掴む。
「いいんだよ」
肩を掴む力が強まる。痛いほどに。
メラニーの虹彩がキュッと縦に長く細まった。
「君は何も見ていないんだから」
「ハァッ?」
何を言ってるんだ?
聞き返したはずなのに、声が出なかった。
「カヒュッ」
喉から空気が溢れる。
熱い。痛い。
なんだコレ。
喉を押さえる。
俺の脈に合わせて喉から体液と空気が噴き出す。
びちゃびちゃびちゃ。
生々しい水音と共に生暖かい血が体にかかる。足に掛かる。地面を汚す。
何だこれ、何が起きた?
「さて、アレも何とかしなきゃだな」
メラニーが返り血のついた手を振るい、血が飛び散った。
ああ、そうか。あいつに首を切られたのか。
だからこんな風に…。
理解した時にはすでに遅かった。
俺は地面に膝をついた。視界がどんどん霞んでいく。
傷の深さはわからない。ただもう助からないほどの重傷だってことはわかった。
震えが止まらない。
なんなんだこれ。なんで俺はメラニーにこんなことされたんだ?
「あなた!しっかりして!」
銀色の毛皮が俺の血で汚れる。
首にあてられた肉球の温度を感じられたのも一瞬。
「逃げろ…」
そう言いたかったが、もう唇も満足に動いていないんだろう。
「ねぇ、ナディア~」
メラニーの声がした。
そしてその足がナディアの横に立つのも見えた。
やめろ。ナディアに触るな。
その思考を最後に何も感じなくなった。




