戦うメスケモ嫁
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ナディアだった。
「健気な奥さんだね。旦那の『晴れ舞台』を見に来たのかい?」
メラニーの嫌味ったらしいねっちょりした言い方。
ナディアは大股でずんずんと歩き進める。
その鬼気迫る様子に周囲の村人たちも気圧されて自然と道を開ける。
ナディアが壇上に上がる。
その前足には紙束と黒い布。
「メラニー。あなたの企みはすべてここに書かれています!」
ナディアはやたら分厚い紙束を見せた。
「…なんだそれは?」
「ペーターから私への手紙です」
村中がどよめく。
「ここにあなたの悪行のすべてが記されています」
「悪行だと~?ハッタリだろう?彼が何を知っているって言うんだ?」
メラニーは余裕の表情を崩さない。
「彼らは殺せば全部忘れるからって彼らを見くびりすぎましたね。彼は私を信じてこの手紙を残してくれたんです」
「ナディア。一体何が書いてあるんだ?」
村長が尋ねる。
ナディアは付箋のついたページをめくる。
「『くくく、俺を繋いでいた首輪に自分が繋がれてどんな気持ちだ?』『くっ!こんな辱めを受けたのは初めてだ!人間風情が…』『くくく、その割に尻尾は嬉しそうだけどなぁ?』…間違えました。こっちは彼が書き貯めていた変な小説の方でした」
何だろうこの、体全体がむず痒くていたたまれない感じ。
記憶喪失でよかった。村人全員の前で自作小説の朗読とか、記憶があったら耐えきれない恥ずかしさだ。ちょっと気になる内容なのはさておき。
ナディアがページをめくり、改めて読み上げる。
「『池の中で死体を見た。昼間に紅涙石を盗んだ犯人だったように思う。他にもいっぱいいた。池の底の汚泥が土地神だとメラニーが言っていた。これが君の信仰なら止めないが…』『俺は所詮池の老廃物。村にとっては取り込む価値のない存在だけど…』取り込む予定のない不死者に情報を与えるのはしきたりに反します」
「ふん!だから何だって言うんだ?」
「研究しか頭にないあなたがなんだってこんなまだるっこしい真似をしたのか…すでに形代になる予定だった彼をスケープゴートとして利用するつもりだったのでしょう」
ナディアはページをさらにめくる。
「『夜に研究所に呼ばれた』こんなことも書いてありますよ。『メラニーは俺を救うと言ったが、信じられない』あなたはうちの夫を呼び出して何をさせる気だったんですか?」
「ハッタリだね、ナディア!大体、その紙切れに何が書かれていようと私が何かした証拠にはならないよ!」
「あの…」
人混みの中で白い前足が垂直に伸びる。
垂れ耳の犬獣人だ。
「ずっと変だと思ってたんだ。牧師さんは変態だけど、イヌ科のメスに厳しくされた後に両想いになる展開のエロ本ばっか書いてるような変態だ。だから有袋類のオスを襲うなんて彼らしくないと思うんだが」
妙な方向からの援護射撃(…援護でいいんだよな?フレンドリーファイアとか追い打ちとかじゃなくて)。
群衆の中でまた声が上がる。
「私も同意見です。彼はナディア先生の小学生時代の写真を舐めるように見ていましたし、特定の児童を贔屓にするような行動は一切ありませんでした」
「牧師さんは毎朝ナディアさんを学校まで送っているほどの愛妻家だった。何度リセットしてもそうだったんだから筋金入りだよ」
「そうだそうだ。彼がナディアの大事な教え子に手を出してナディアに嫌われるようなことをするなんて記憶がなくてもあり得ない」
まったく身に覚えのない俺の行動への証言の数々。
覚えはないけどなんとなく俺ならやりそうだと思った。
「皆さん…」
ナディアの目が潤む。
次々にあがる声にメラニーがたじろぐ。
「だからって、そんなの…」
「メラニー。あなたは証拠がないと言ってましたが、あなたの陰謀の証拠ならここにありますよ」
ナディアは手に持っていた黒い布を広げた。
それは服だった。
ピンと張った布地にはかわいらしくデフォルメされた狼のアップリケが笑っている。
「師匠の家と研究所の隠し通路にペーターたちが侵入した時に着ていた服です。あなたはペーターをリセットした際に処分したと言いましたね。なのになぜ我が家のクローゼットにこれが?あなたが秘密裏にペーターに接触して着替えさせた証拠じゃないですか?」
メラニーは言葉に詰まる。
弱った獲物を前にギュンと縦に細まるアイスブルーの虹彩。
ナディアが一歩踏み出す。
「お義母様の『マインドスキャン』はモノにも有効って知ってました?すごく疲れるからってあまりやりたがらないんですが。この狼ちゃんは一体何を語ってくれるでしょうね?」
睨みあう二匹のメスケモ。
先に動いたのはメラニーだった。
ポケットからお札のようなものを取り出し、呪文を唱える。
「まずい!」
村長が飛びついてメラニーに体当たりしたが、もう手遅れだった。
お札から発生した光の玉が池に飛び込む。
風もないのに池の水面が大きく波打ち、まるで触手のように飛沫がうねる。
いや、アレは。
汚く濁った泥は。
地面に倒れこんだメラニーを飲み込むとそのまま池の中に引きずり込んだ。
一瞬の出来事。
一瞬の静寂。
「みんな、逃げろ!!!」
村長の怒声でこの一連が現実だと皆が思い出す。
「キャーー!」
甲高い悲鳴。
会場にいた獣人たちは我先にとダッシュで池から遠ざかっていく。
「わわっ!」
俺を押さえつけていたゴリラ獣人は櫓から飛び降り、木を伝ってさっさと逃げて行った。
「あっ!おい!!」
階下ではあの汚泥が大暴れして屋台も舞台もなぎ倒していく。
ここから降りろってのかよ!?
「あなた~~!」
大混乱の中ナディアが前足を大きく広げて俺を見上げていた。
「受け止めるから飛び降りて!」
「この高さから!?」
ナディアの返事は来なかった。
「キャアーーッ!」
代わりに返ってきたのは悲鳴。
ナディアの体は汚泥に飲まれていた。
あっと思う間もなく池へと引きずられていく。
「あなた、逃げてっ!」
池のふちを掴んで抵抗するが、それも空しく、その銀色の毛並みは水面へと没した。
なぎ倒された明かりではもう小さなあぶくも見えない。
「ナディアーーー!」
迷いなんて物はなかった。
儀式用の服を脱ぎ捨て、パンツ一丁で櫓から池へと俺は飛び込んだ。
飛び込みの心得なんてもちろんなく、水面に叩きつけられた瞬間、痛みで肺の中の空気を一気に持っていかれた。
しかし一刻の猶予もない。
ナディアを助けなくては!
うねる汚泥の中、銀色の毛並みは月光のように光って見えた。
俺は水をかき分け、ナディアに手を伸ばした。
ぐったりしたナディアの腰を掴み、水面へと死に物狂いで泳ぐ。
これが火事場の馬鹿力って奴だろう。
どうすればいいのか全く分からないのに。
この人を絶対に死なせてはいけないという気持ちだけで体が動いた。
行く手を阻む汚泥を振り切ってなんとか水面にナディアを押し上げる。
「牧師さん!」
垂れ耳の犬系獣人が俺に向かって救命用浮き輪を投げた。
「助かる!」
ナディアと共に浮き輪を掴む。
犬系獣人たちがそれを岸へと引っ張る。
不意に足に鈍い痛みを感じ、岸に向かう速度が鈍化した。
なにかと思えば俺の足に何かが巻き付いていた。
「ぐぉっ!」
沖に向かって浮き輪が後退する。
「土地神様だ!」
岸にいる誰かが言った。
「形代を受け取りに来たんだ」
形代、つまりは俺か。
俺がこの浮き輪を掴んだままではナディアも道連れにされてしまう。
ならばやるべきことは一つ。
俺は浮き輪を掴む力を緩めた。
さようなら、ナディア。
短い間だったが、君を救えただけでも俺は……。
パシッ。
ナディアの前足が俺の手を弱々しく握る。
「あなた、行かないで」
そのアイスブルーのまなじりから水滴が流れた。
それは池の水だったのか、涙だったのか。
確認する間もなく俺は池の中へと引きずり込まれた。




