記憶喪失から始まる異世界独房生活
-1-
目を覚ました。倒れた経緯もここがどこなのかもわからない。
ただ、気が付いて一秒で「あ、これはいわゆる異世界転生だな」と言うことはわかった。
だって現代日本の刑務所はこんないかにも『牢獄』って感じの石壁じゃないだろうし、いかにも『虜囚』って感じのごっつい鉄製の足枷なんてしないだろうし。そもそも光源がろうそくなんだもんね。窓もないし。
身を起こそうとして、めまいがして倒れた。
ツンと不快な刺激臭が鼻をつく。
目の前の床に嫌なにおいがするシミが広がっていた。位置的に俺の吐瀉物。
こういうのも掃除してもらえないのか。
というか、この独房にはトイレ代わりと思しきバケツ以外何もない。ベッドも椅子も。
「人権って概念のない世界なのかな?」
ま、ファンタジー世界って中世~近世ヨーロッパっぽいイメージだし、そういう王様がめっちゃ強い感じの国で人権が発明されてないことは大して意外とは言えない。
なんてスカしたことを考えているが、正直…超困っている。
オイオイ。異世界転生のシード値として牢獄は最悪すぎるだろ。親の顔より見たスカイリムのオープニングムービーとどっこいレベルだよ(いや、アレは処刑直前だし、俺の方がまだマシ…か?)。
「え、どうすんのこれ?」
俺が一体何をやらかしたって言うんだよ。
「誰か~!誰かいませんか~?看守さ~ん?たぶん冤罪です~!身に覚えないです~」
身に覚えどころか記憶も一切ないんだけどな!
こういうのは転生先の異世界人が『あ、そういや俺の前世は現代日本人だった!』みたいに『俺』だった頃の記憶を後天的に思い出すのが普通じゃないのか?それかアレか。犬夜叉的な異世界転移の方か?
まあ、なんでもいい。とりあえずこの牢獄から出られたら何でも。
「この際、隣の独房の極悪人とかでいいから返事してくれませんか~?」
俺の声が反響する。
ダメか。
諦めて吐瀉物のない方に寝返りを打った。
コツコツコツ。
足音が聞こえた気がして跳ね起きた。
「誰かいるのか~?」
聞き間違いじゃなかったようだ。
足音が近づいてくる。
鉄格子まで這う。
薄暗い廊下をカンテラの明かりが照らした。
そしてふさふさとしたシルエットの陰が見えてきた。
こ、これはーーー!
つやつやした灰色の毛並みのマズルが見えた。
獣人だ!
狼獣人の男がゆっくりと俺の独房の前で立ち止まった。
彼を守るようにぞろぞろと2人の獣人もそれに続く。
「やっと起きたか。ペーター・シュリーク」
怒りの混じった低い声で独房の中の気温がひんやりとする。
「やらかしてくれたな、貴様。俺は今、猛烈にしきたりに従ったことを後悔しているよ。お前がナディアに求婚した日に池に叩き込んでおけばよかった!」
「は?何?池?」
ビックリした。
開口一番もっと言うことがあるだろ。
俺のやらかしとか現状に関する説明とかさぁ。
俺の心の声が聞こえたのか、狼獣人は嫌そうに眉をしかめながら続けた。
「お前は明日死ぬ。せいぜい最後の時を噛みしめろ。なんて言ってもお前はもう何も覚えていないだろうけどな!!」
残念ながら説明はなかった。
男はそう吐き捨てるともう用はないとばかりに元来た道を戻っていった。
「おい!せめて罪状を教えろ!こんなの納得いかないぞ!」
鉄格子を掴んで抗議したが、男の足音は一度も止まることなく消えていった。
おいおいおいおい。
獣人ってのはもっとこう、あの見た目で文明的なのがいいんじゃないか。
なんだか色々ガッカリだ。ケモナー辞めそう。
-2-
ワンチャン格子が外れたりしないかと強く揺さぶったり蹴ったりしてみたが、鍵を持たない人間が鉄格子にできることはそんなに多くない。
せいぜい何時間か動物園の猿ヨロシク格子を掴んで暴れて疲れ切ってふて寝することくらいだ。
どれくらい時間が経ったかはわからない。何時間と言ったが、実際は何分かだったかもしれない。
足音が聞こえて俺は飛び上がった。
ついに処刑か!?意味がないのは重々承知だが、独房の隅で息をひそめて様子をうかがう。
足音の主は一人か?
暗い廊下の床にまたしてもふさふさした感じの影が浮かぶ。心なしかさっきの男より小さめだ。
鉄格子の前でその人物は一度立ち止まった。
そして恐る恐るといった具合で格子の中を覗き込んできたのはーー
息が詰まった。
「あの…お夕飯を持ってきました…」
メスケモだ!
さっき来た獣人と全体的に似通ってるからおそらく兄妹か何かだろう。
その灰色の毛並みの狼獣人は持っていたお盆を鉄格子の下から独房へと差し込んできた。
緊張したように床をパタパタと打ち付けるその様子からは敵意を感じられない。
俺はゆっくりと鉄格子に近づいた。
「もしかして……君がナディア?」
アイスブルーの瞳が大きく見開かれる。
「ーーど、どうしてそう思うんですか?」
「すごく好みだからそうだったらいいなって」
メスケモは何も言わなかった。
つまりは肯定だ。たぶん。
「俺が君に求婚したって聞いたんだけど、結果はどうだったの?」
ナディアは俯き、その耳に赤い石のついた耳輪が揺れた。
「私はただあなたにお食事を持っていくように命じられただけなので……不必要な会話はするなと言われてます……」
ナディアが独房から離れようとする。
「待って!」
鉄格子越しに俺は彼女の前足を掴んだ。
ナディアはギョッと身をこわばらせた。
「暗くて読めなかったけど、これたぶん君宛の手紙だと思うんだ」
俺は胸ポケットから殴り書きされた原稿用紙20枚を取り出した。
「私、宛…?」
ナディアはその原稿用紙を手に取った。
そして明かりの下で1枚目を見て、再び目を見開く。
「あのさ、せめて状況を教えてほしいんだけど……」
「すいません。これ以上長居すると怪しまれます」
ナディアは俺の手を振り払った。
「……お手紙、全部読んでおきますね」
そう言うとそのまま行ってしまった。
その背中に俺は声を掛けずにはいられなかった。
「ナディアーーごめん!」
なんで謝るのか、何を謝っているのか。自分でもわからなかった。
ただ、言わずにはいられなかった。
ナディアは少し歩を緩めたが、結局振り返らずに出て行った。




