暗く冷たい池の底での邂逅。
-1-
池の底へと引き込まれる途中で。
目が合った。
白く濁った腐乱死体と。
ぶよぶよ膨れておよそ人型もおぼつかないそれは。
あの女転生者にどこか似ていた。
それだけではない。
淀んだ汚い水面の下は当然汚い泥のような水が広がり、俺を引きずり込んだ勢いでかき混ぜられたからか、池の底に沈殿していたであろう有象無象が、泥と共に水中をふよふよと不気味に漂っていた。
骨だの。
肉だの。
遺品だの。
ランタンのほのかな明かりではよく見えない。
見えなくてよかった。
見えなくてもわかった。
この池は死体がぎっしりだ。
そして俺をその仲間に加えようとしている。
何が?わからん。この泥が土地神様なのか?
不死者が池の底で溺死したらどうなるんだろう。エリザの様子を見るに、死んだ死体が生き返るってことは、永遠に池の底でリスポーンし続けて死に続けるのかな?死亡できる回数に制限とかあってエネルギーが切れたらもう復活しなくなったりするのかな?
どっちにしても、ナディアに知られることなく死ぬのは嫌だな。
ごぷっ。
最後の気泡が口から洩れる。
もう限界だ。
視界がホワイトアウトする。
死んだから…というわけじゃなさそうだ。
足首を掴んでいる力がふっと緩み、体が浮いた。
上方に明るい点が見えた。
俺はその白い光に向かってがむしゃらに手足をばたつかせた。
「ごはっ」
水面に顔を出して大きく息を吸い込む。
池の水が染みて目が痛い。それでも光の方向は感じられる。
むせそうなのを必死にこらえながらなおも岸を目指そうとした。
しかし、俺の足に汚泥が追いついてきた。
「クッソ、しつこいんだよ!」
また沖へ向かう引力が発生しかけた。
しかし、岸からも俺の命綱を引く力があった。
その力も借りて何とか岸にたどり着くと、誰かが俺の手をグイっと引っ張り上げた。
「早く池から出て!」
「グエッ!」
俺は漁船のマグロよろしく腹ばいに引き上げられた。
池の外に出てもしばらく汚泥が俺の足首に執念深くまとわりついていたが、やがて諦めたのか池の中に戻っていった。
「大丈夫か?」
肉球が俺の背中を殴打する。
生臭い臭いとともに俺は茶色く濁った水を吐き出した。
「ゴホッ。オエッ……メ、メラニー?」
キジトラ猫獣人の細い2つの瞳孔が俺を見下ろしていた。
-2-
俺はメラニーの研究所でタオルにくるまっていた。
出されたミルクを飲んでようやく人心地がつく。
「今風呂を用意してるから」
メラニーは俺の隣に座った。
「…なあ」
なんで助けてくれたんだ?
俺は喉まででかかった言葉を少しためらった。
そもそも、メラニーは俺を助けてくれた……んだよな?村中がグルになって俺を殺そうとしてる中で。彼女のことは信じてもいいんだろうか。
現に、こうして殺されずに喋れているわけだが。
「君はあんなところで何をしていたんだい?不用意に近づいちゃダメって言ったと思うんだけど、忘れちゃったのかい?」
迷っていたら先手を取られた。
「…あいにく忘れっぽいタチでね。メラニーが警告してたのはアレのせい?」
「アレってのは君を池に引き込んできた奴かい?」
「そうだ。俺の足を掴んできた泥みたいなアレだ。アレが君らのいう土地神様なんだな?」
メラニーは肉球をパッと開いてゆっくりと握りこんだ。
「いかにもアレがいわゆる土地神様さ。もっとも、神なんて大層なもんじゃないけど」
「池の底にあった死体は…?」
言ってからハッとした。
メラニーはにんまりと目を細めている。
「なんだ。そこまで見ちゃったのか」
背筋が冷える。
余計な事まで言ったか。
俺は腰を浮かせかけた。
「おいおい、心外だな。私は味方だぞ!村人連中と一緒にしてもらっては困る」
メラニーは呆れたようにその撫で肩をすくめた。
「味方…?」
「ああ、そうとも。私はあくまで研究者。手垢のついた伝統を断ち切るために秘密裏に動いてるんだよ。君を助けたのもその一環さ」
メラニーの細い瞳孔が俺を覗き込む。
「ねえ、ペーター。君は知らないと思うけど、このままここにいたら君もあの池の底に沈められるんだ」
実は知ってるんだけども。まあ、知っているというかやっぱりというか。
でも、ここでメラニーに手の内を明かすこともないだろう。
俺はスッと息を吸った。
「ええええっ!なんだってぇ~!」
ちょっとオーバーすぎたかな?
しかし、メラニーは疑う様子もなくうなずいている。
「そうだろう、そうだろう。ビックリだろう。この村は本当に陰湿なところなんだ。君自体がいわば村の都合で生まれたようなもんなのに、要らないからってポイするんだから」
「俺が…なんだって?」
メラニーはにやりと口の端を上げた。
その毛並みがぐっと近づいてくる。
「この話、長くなるけどいい?」
俺は壁にかけられた時計を見た。時刻は午前3時頃。
ナディアの起床時間までまだ時間はたっぷりあった。
-3-
こうしてメラニーは語りだした。
…この状況にそこはかとない既視感があるような気がしたが、まあ、強制的に記憶をポーンされる前に、メラニーから何かしら聞いたことがあったりしたんだろうな。勿論記憶にないけどさ。
最初のトピックは例大祭の起源となったケモナーおじさんという怪談?だった。
俺が池に放り込まれるのはそのケモナーおじさん伝説をオマージュした儀式のため、というのが表向きの理由だ。
「メラニー。あのさ、解説してくれるのはありがたいんだけどさ」
ガチで長話になりそうだったので途中で遮る。
「祭りの話より池の話をしてくれよ」
あと『不死者』の話もな。こんなんじゃ、あっという間に朝になる。
メラニーは愉快そうに尻尾をくねらせた。
「君は文系じゃなくて理系の話の方が好きなのかい?じゃあ、紅涙石の生成過程と池の関係に関する私の書いた論文の話の方がわかりいいかな?」
「メラニー…」
「ふふふ。冗談さ。いや、あながち冗談じゃないんだけれども」
メラニーは立ち上がり、戸棚から紙をひとつかみ取り出した。俺の膝上に置かれた表紙には難しそうな論文のタイトルが書かれている。著者はメラニーだ。
俺はそっとそれを突き返した。
「牧師くんには難しかったかな」
メラニーは嘆息しつつ、ペラペラと論文をめくった。
「詳しいメカニズムについてはまだ仮説の段階なんだが、土地神は転生者の死体を養分にして紅涙石を生成してるんだ」
「死体を養分に…」
ケモナーおじさん怪談の顛末を聞いた時からなんとなく、予想はついていたが……。
現代日本でもあるあるだからな。
綺麗な桜を咲かせるために木の下に美人の死体を埋める的な。それと似たような…というかもっとシビアな営利目的でよそ者を池ポチャさせるってのが、異世界クオリティか。
イーゴンには嫌な報告になっちゃうな。
君のお友達のマイケルはたぶんもう池の底に沈んでいるって。
「で、面白いのは獣人の死体じゃダメってところでさぁ~」
メラニーの専門分野だからか、転生者の死体と獣人の死体の養分としての違いについて長広舌を振るい始めた。
「わかった(全然わからん。わかる気もない)。その話ももうわかったから!」
トピックごとに脱線しないと会話を進められないのは何なんだ?職業病か?
10分は我慢した俺を誰か褒めてほしいもんだ。
メラニーは忘れてるかもしれないけど俺は全裸にタオルにくるまった状態なんだ。それでこんな小難しい話をされても困る。
「で、俺は何なんだ?」
ついでにエリザも含めて不死者についても口を滑らせてくれ。
「ふふっ。君らの存在こそ私が最も研究したいテーマなんだけど、いかんせん君らの身柄はしきたりに守られているし、パトロンも紅涙石とそれがもたらす利益にしか金を出してくれないものでねぇ」
前口上はいいから早く教えてくれ。
「転生者の死体ってのは土地神にとってかなりコスパのいい養分だってのはさっき解説したとおりだけど(そうだったんだ…)、100%消化してエネルギーにできるわけじゃない」
「ああ、骨とか?確かに残ってたな」
「骨もそうだね。あとはスキルとか人格とかがそうだね」
「あっそう…」
そんな概念みたいなものは元々消化するもんじゃないと思うけどな。
「そのいわば老廃物を池は不定期に排出してるんだ」
「ふーん…」
「それが君なのさ」
「……ふーん?」
もしかして何か聞き洩らした?まったく話が繋がってないぞ。
「つまり、俺は池のう〇こ…ってこと?」
「いや、そのたとえは正確じゃないな。わざわざ人型を再構成して、それに池は消化しきれなかった老廃物を乗せて池から排出している。だから…うーん、まあう〇こでいいか」
おい、自分で言いだしたことだけど人をう〇こ呼ばわりするなよ。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「池は何だってそんなまどろっこしいことを?」
メラニーは肩をすくめた。
「もっと資金があればその研究もできるんだがね。ただ、村にとっては君らも紅涙石と同様に土地神様からのプレゼントってことは確かさ。とはいえ、君らは長らく生きるもんだから村のリソースが少ない時代は返品もしてたようでね。その慣習が今も残ってるんだ」
「というと?」
「1年間村人として扱って村のウチに取り込む価値を吟味して、その基準に達しなかったら、間引いてたのさ。ヒュー、ポチャっとね」
メラニーは手で池に放り込むジェスチャーをした。
「…俺みたいなのを池に返納するのが例大祭のメインイベントってことか」
「そういうこと」
なるほどな。
…返品。
村に取り込む価値がない…か。
「うーん。地味にショックだな」
まあでも俺はエリザみたいな超すごいスキルがあるわけじゃないし、村人採用面接でアピールできる強みがあるわけでもないし、妥当な判断かもしれない…。
「ん?俺はその池が消化できなかったスキルだのを入れる器なわけだよな?ならなんで俺にはこれといったスキルがないんだ?」
「さてね。入れ忘れちゃったんじゃないか?」
「そんなアバウトな…」
メラニーの耳がピクリと動いた。
「風呂の準備ができたみたいだ」
メラニーからのよくわかる解説はこれで終わりだった。
促されるままに風呂を借り、浴槽の中で色々考えた。
結局俺は、池の老廃物って理解でいいんだよな?
死んでも生き返るのは、あくまでスキルを運ぶ器だから?
そして俺はエリザと違って村の仲間にする価値がないから池に返品されようとしている。
そういう因習だから、と。
「うーん」
これは水泳をちょっと練習したくらいでどうにかなるもんじゃないな。
風呂からあがったところで脱衣所のドアが開いた。
「ひょえっ!」
慌ててタオルで局部を隠した。かなり焦ったが、メラニーが脱衣所に入ってくるわけもなく、ドアの隙間からずいっと黒い布を差し入れただけだった。
「牧師くん、お洋服だよ。ちょうど前の牧師が置いていった服があるんだ。全裸にガウンを羽織っただけの変態みたいな姿で返すわけにはいかないからね」
「あ、ああ。ありがとう…」
俺は大人しく差し出された牧師服を受け取ると、嗅ぎなれない柔軟剤の匂いが鼻を掠める。
渡された服を着て脱衣所を出ると、廊下でメラニーが待っていた。
「さて、話も終わったことだし、入口まで案内するよ」
連れ立って薄暗い廊下を歩きながら、斜め前で揺れる尻尾を目で追う。
「…なあ、メラニー。君は味方だと思っていいんだよな?」
メラニーは視線だけを俺に送って笑った。
「勿論。君を助けるのは私にとっても危ない橋なんだ」
「なんでそこまでしてくれるの?」
メラニーは立ち止まった。
「君のため、と言ったらさすがに嘘になる」
力強い猫目がじっと俺を見つめ返す。
「この村のやり口が気に入らないんだ。君も同意してくれると思うんだけど」
メラニーは俺に肉球を差し出してきた。
「私なら君を助けられる。だから今後も私の指示に従って動いてくれるかな?今日のところはこのまま帰って池で見たことは誰にも言っちゃいけない。勿論ナディアにも」
「…ああ、わかった」
俺はその肉球を握った。
その右手の裾につけられた見覚えのある狼のアップリケが視界の端で揺れる。
味方ねぇ。
じゃあなんで『俺の』牧師服がこの研究所にあるんだろうな。
このアップリケはナディアがつけてくれたものだろう?
『メラニー、君も俺のことを殺したことがあるんじゃないか?』
なんて、敵に聞いても仕方ないか。




