理不尽にも訪れた突然の死と狼のアップリケ
-1-
隠し扉の先の真っ暗なドアの先を覗き込み、マイケルと顔を見合わせる。
「えっ、どうする?どっちから行く?」
「とりあえずじゃんけんでもしましょっか」
ギシッ。
俺はパッと振り返った。
この空き部屋のドアがかすかに揺れているだけで何もない。
「どうしました?」
「いや、物音が…」
「そう言って時間稼ぎしたって駄目ですよ!」
本当なんだけどなぁ。床板が軋む音がした気がしたんだけども。
ま、古い家なら家鳴りくらいするか。
「じゃ、勝った方が先に行くってことで!」
マイケルが拳を見せる。
「行きますよ~!さ~いしょは、グー!」
ヒュッ。
俺たちの間を一陣の風が通り抜け、前髪を揺らす。
グーを出したのは俺だけだった。
マイケルには手首から先がなかった。
ねじれた肉の断面が本来拳があるべき場所から覗いている。
「なぁっ!?」
「はっ…?」
ビチャっ。
その断面から噴き出した血が床を濡らす。
なんだこれ。
トンッ。
すぐ真横から聞こえた軽やかな足音。
「とんだ悪たれ共め」
この声は…。一気に冷や汗が噴き出す。
隠し扉の暗闇の中でクリスがゆっくりと振り返った。
ドッとまた汗が噴き出す。
今の旋風はまさかクリスが横切っただけ…?
そしてその前足が握っているモノを見て凍り付いた。
まだ血が滴る人間の手首だ。
「へぁっ…それ、俺の…?」
マイケルは間抜けな声を上げた。
状況を理解し、ようやく痛みが彼の認知に追いついたようだ。
「ギャァアア…!俺の手がぁあ!」
血が垂れ流された手首を抑えて絶叫する。
「痛ぁああい!」
マイケルは脇目も振らず、部屋の出口へと向かって全速で駆け出した。
クリスの目が獲物を見つけた野生動物のようにギラつく。
ダンッ。
力強い後ろ脚が床を蹴る。
凶悪なまでに隆起した上半身から繰り出された鋭い爪が容赦なくマイケルの背を切り裂いた。
「ギャァアア!」
裂ける肉と飛び散る鮮血。
それ以上は見ていられなかった。
俺は弾かれたように隠し扉へと向かった。
暗くて足元が見えず、そのまま文字通り階段を転がり落ちた。一番底で止まり、そこからもたつく足を動かしてがむしゃらに走った。
暗くて何も見えない。だが、立ち止まるわけにはいかなかった。
いつの間にやら部屋から聞こえていたマイケルの悲痛な悲鳴は止まっていた。
代わりに。
ベッタン。ベッタン。
力強く規則正しい跳躍音が追いかけてくる。
「ああああ…」
唇の震えが止まらない。
頭の中の疑問符の嵐が止まらない。
何でクリスはこんなことを?家探しがそんなにまずいことだったのか?
だからってその場で殺すなんてどうかしてるだろ。
俺、殺されるのか?
「死にたくない…」
こんな訳の分からない死に方なんて無理。
無理無理無理。死にたくない。
「死にたくない…ヘブッ!」
顔面に衝撃を受ける。
攻撃かと思ったが、違った。壁だ。
「おい、おいおいおい」
ありえないって。行き止まりかよ!
「嫌だ!嫌だ!」
壁を叩いた。
手ごたえでわかった。これは壁じゃない。扉になっている。
助かった。まだ希望がある。
ベッタン。ベッタン。
ゆっくりとこちらを焦らすような足音が迫ってくる。
俺は手探りで戸をまさぐった。
ようやく探り当てた引き手を引く。
おい、開かないぞ。
何度も引くが、途中で止まってしまう。
あ、違う。コレ鍵がかかっているんだ。
「牧師さん!暗がりで人間が獣人にかなうとでも~?」
遠くからクリスの声がした。
もう声がこんなに聞こえる距離まで来ているんだ。
「あああああ!開けよ!開けよぉおお!」
扉に体当たりする。
半狂乱になって何度も何度も引き戸にぶつかった。
不意にドアが内側に傾ぎ、俺もそのまま前のめりに倒れた。
視界が慣れない光で一瞬くらむ。
しめた!ドアを破ったんだ!
早く逃げよう!
俺は立ちあがろうとした。だが、膝から下から動かなかった。
いや、動かせなかった。
「捕まえた!」
カンガルー獣人の強靭な腕が俺の足を掴んでいた。
「あぎゃぁっ!!」
一瞬で片足を捩じられた。
痛い?熱い?
この感覚を表す言葉なんてないくらい痛みの閾値を越えて、もう呼吸すらできない。
地面でのたうち回る俺の背中に鋭い痛みが突き刺さる。爪か?牙か?わからない。痛い。
「アガッ…アッ…」
逃げなきゃ。とにかく逃げなきゃ。
俺はほふく前進の要領で右腕を前に出した。
視界にナディアにつけてもらったアップリケが目に入る。
ダァンッ!
その上にカンガルー獣人のかかとが落ちてきて、腕を踏み砕かれる。
「~~~!?」
もうこんなのめちゃくちゃだろ。
「ちょっと!汚さないでおくれ!」
頭上から聞いたことのある声が聞こえた気がした。
誰でもいい、助けてくれ!
痛すぎて呼吸もままならないのに言葉なんて出るわけもなく。
「ハァッ…ハッ…」
「クリス、獲物をいたぶって殺すのはお前の悪い癖だぞ!」
「普段は大人しく監視しているんだしこれくらいの道楽は許せよ」
クリスがのんびりと答える。
「牧師は相変わらず無能だが、こっちはどうする?スキルを二つも持っていたぞ」
ドスンッ。何かを投げる音がした。
視界に入ってきたのは見覚えのある頭髪。
くるりと半回転して目が合った。
マイケルだ。
その目にはすっかり生気がなく、首から下もなかった。
悪夢だ。
いや、夢の中がこんなに痛いわけがない。
「オエッ」
嘔吐する俺の頭上ではのんびりとした会話が繰り広げられていく。
「看護師の方はどうする?」
「村に引き入れていいよ」
「あいよ~」
クリスの後ろ脚がマイケルの頭部を踏みつける。
ミシッと頭蓋が軋み、そのまま力を込めて一息にぺしゃんこに踏みつぶした。
俺の顔に血だか脳漿だかよくわからない臭い飛沫が飛び散る。
コンクリートの床に残ったのは、タイヤに轢かれた死骸よろしく地面にこびりついていた人体の残骸。
「牧師の方はどうする?」
「あぁ、そっちは…」
なんだよこれ、もうわけわかんねえよ。
「オエッ…コフッ」
ああ、震えが止まらない。
気持ち悪い。
寒い。寒い…。
-2-
「あなた、起きて…」
「んー…」
温かく柔らかい感触が俺を揺さぶる。
「起きてってば!」
「フゴッ!」
鼻をつままれて覚醒する。
目の前にはあきれ顔のナディアがいた。
「ん~?ナディア?なんでここに?学校は?」
「とっくに終業ですよ!」
ナディアは申し訳なさそうな表情で横を向いた。
「すいません、師匠。うちの主人が…」
「ははは。構わんよ!」
ソファに深々と腰掛けたクリスがにこやかに応じる。その前足の爪が間接照明の光を受けて白く光った。ゾクリっ。なんだ今の寒気。
窓から薄暗くなった外を見る。夕方だからって肌寒いわけじゃないはずなんだけども。
というかここはどこだ?ああ、クリスの屋敷か。
俺は記憶の糸を手繰り寄せる。
そうだ。俺はルークから茶菓子を買ってクリスの家に来たんだ。
昨日マイケルに『クリスさんが怪しいから明日も来てください』とかなんとか言われて。
壁掛け時計をチェックする。
おかしいな。俺の見間違いじゃなければ訪問してから5時間くらい経過してる。
「というか、俺はなんで寝てたんだ?」
ポフッ。隣に座るナディアが俺の頭に肉球を置いた。
アイスブルーの瞳がじっと俺を見つめる。
なんだ?一瞬気づかわしげな色が混じったのは気のせいか?
「…師匠に粗相しないでください」
「な~に、構わんさ!久々に、私も楽しめたよ!」
クリスの尻尾が上機嫌に揺れる。
楽しめた?ああ、老人って思い出話が好きだもんな。いい話し相手になれたっていうなら光栄だ。俺もいっぱいロリ時代のナディアの話を聞い…あれ、聞いたよな?聞いたと思うんだけども思い出せないな。
「あの、そういえばマイケルは?」
「行商人のところに買い物に行ってもらっているよ」
「そうでしたか…」
ヤバいな。今日、クリスと何の話をしたか覚えてないぞ。
クリスから情報を引き出す作戦は上手く行ったんだろうか?
「じゃあ、師匠。私たちはそろそろ」
「ああ、またいつでもおいで」
「ほら、帰りますよ、あなた!」
ナディアに腕を引かれて俺は立ち上がる。
「ああ、お邪魔しました…」
なんとなくすっきりしないけど、まぁいいか…?
-3-
その晩。
俺は書斎の机の整理をした。
朝に開けた引き出しがお宝ボックスになっていたようだ。
同じ引き出しに置かれていたもう1冊の聖典はダミーでバインダーになっており、そこに『メスケモ看守』の原稿があった。ルークの語っていたスピンオフも3割くらい書きかけの物が挟まっていた。
とりあえず昼間はイチモツの不安から往来では読めなかった『メスケモ看守』の続きを読んだ。
「はぁ~、これはこれは。非常に叡智」
ペーターはマニュアルは全然残さない割に、無駄に文才はあった。
もちろんこれはペーターをより深く理解するために仕方なく読むのである。創作物ってなんか書き手の考えていることとか価値観とかが色濃く出るだろうし。
…少々ハードな調教が始まった時はハラハラしたが、まさかの実は両想いの子沢山ハッピーエンドとはね。やるじゃないか、ペーター。
「…ふぅ」
俺は右手をチリ紙で拭った。
非常に実りの多い時間だったな。ペーターへの理解も深まった。
「さてさて」
原稿を元の位置に戻し、俺は風呂場に向かった。
さっきナディアが風呂を沸かしておいてくれたのだ。
ナディアはいつも俺に一番風呂を譲ってくれる。自分が入ると毛がいっぱい浮くからと気を遣ってくれているのだ。
むしろナディアのエキスを抽出したお湯に入りたいし、なんなら一緒に入るのも吝かではないというのに。
脱衣所で牧師服を脱いだ。
今日は朝から色々あって疲れたな。
牧師服を畳もうとして、違和感に気づいた。
「あれ、アップリケがない?」
牧師服を広げ直してくまなく全体を見直す。
おかしいな。朝に右腕の部分が破けちゃってナディアに直してもらったはずなのに。
「一度帰って着替えたんだっけ?」
そうだっけ?薬草農園から真っすぐクリスの家に向かったと思うんだけど。
「ナディア~」
牧師服を持ってリビングに戻る。
「どうしました?」
テーブルで宿題の採点をしていたナディアが目を上げる。
「あのさ、朝に俺が牧師服破いちゃったの覚えてる?アップリケつけてもらったと思うんだけどさぁ。この牧師服についてないんだよね。ほら、狼の可愛い奴」
アイスブルーの虹彩が一瞬ぎゅんと細まった。
「さ、さぁ、そうでしたっけ?」
垂れた尻尾が落ち着きなくバサバサと床を擦っている。
「明日、うちの実家に行くのに子供っぽいアップリケなんてつけてなんていけませんよ」
「えー?でも俺、確かに見た覚えが…」
ん?ちょっと待った。
今アップリケより引っかかるワードがあったような気が。
「ナディア、今なんて?」
「え?だから、明日はうちの実家に行くって…」
「JIKKA?」
それってあのナディアのご家族が住んでいる場所というリアルガチのご実家の話をしてる?
「な…なんで!?」
「なんでって…祭りの打ち合わせにあなたも参加するんですよ!その会場が村長の家…つまり私の実家なんです」
おお、神よ!
避けては通れないイベントだがこんな不意打ちで来るなんて。
ゴクリ。生唾を飲み込む。
大丈夫なのか、義実家訪問ーー!




