表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
半額になるまえに  作者: えんびあゆ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/34

第32話 今日も何とかなる[後編]

午後五時。


売場には、いつも通り商品が並んだ。


会議の結果を、まだ客には大きく知らせていない。


閉店告知が凍結されたと言っても、存続が決まったわけではない。

けれど、従業員の空気は少しだけ違っていた。


内藤くんは、いつもより大きな声で「いらっしゃいませ」と言った。

村田さんは、レジへ向かう途中で京子に親指を立てた。

森下店長は、やたらと売場を歩き回っていた。


ハツエは、唐揚げを揚げながら言った。


「店長、落ち着きないね」


「嬉しいんだと思います」


「泣いたあとだからね」


「ハツエさんも、少し嬉しそうです」


「少しじゃないよ。かなり」


ハツエは笑った。


その笑顔は、久しぶりに無理のないものだった。


午後六時半、乃々花が来た。


制服姿で、今日は晴斗も一緒だった。


「こんばんは」


「こんばんは」


京子が挨拶すると、乃々花は少し不安そうに聞いた。


「お店、どうなりましたか」


京子は、言葉を選んだ。


「すぐに閉まる話は、いったん止まりました」


乃々花の目が少し大きくなった。


「本当ですか」


「はい。ただ、三か月がんばって、ちゃんと結果を出す必要があります」


「じゃあ、まだ来られるんですね」


「来られます」


乃々花は、ほっとしたように息を吐いた。


晴斗が言った。


「さけ、ある?」


「ありますよ」


京子が小さめ鮭弁を指さすと、晴斗はうなずいた。


「かわ、たべる」


乃々花が笑った。


「本当に食べてよ」


「たべる」


京子は、そのやり取りを見ながら思った。


この光景を、三か月後にも見たい。


そのために、また明日から記録する。

作る数を考える。

休憩を取る。

無理しすぎない。

でも諦めない。


午後七時半には、真帆と美羽が来た。


美羽は今日も元気に言った。


「からあげ!」


「今日はちょこっと唐揚げあるよ」


京子が言うと、美羽は嬉しそうに笑った。


真帆は、少し緊張した顔で聞いた。


「お店、閉まらないんですか」


「すぐに閉まる話は止まりました。まだ正式に残ると決まったわけではありませんが、三か月、続けられるように試していきます」


真帆は、胸に手を当てた。


「よかった……」


その声は、小さかったが、本物だった。


美羽が首をかしげる。


「おみせ、ある?」


「あるよ」


真帆が言った。


「まだ、あるって」


美羽は京子を見た。


「がんばった?」


京子は少し笑った。


「みんなで頑張ったよ」


「からあげだいじんも?」


「もちろん。からあげ大臣の応援も効いたと思う」


美羽は満足そうにうなずいた。


「じゃあ、からあげかう」


「はい。ありがとうございます」


京子は、ちょこっと唐揚げを美羽の前に置いた。


その小さなパックが、今日は少し特別に見えた。



金曜日には、石動がいつも通り来た。


閉店告知が凍結されたことを、京子は簡単に伝えた。


「すぐに閉まることは、いったん止まりました」


石動は塩サバ弁当を手に取り、静かにうなずいた。


「そうか」


それだけだった。


でも、口元が少しだけゆるんだ。


「それは、よかった」


「はい」


「今日は半額まで待とうと思っていたが」


石動は塩サバ弁当の値札を見た。


「定価で買うよ」


「無理なさらなくて大丈夫です」


「無理ではないよ」


石動は静かに言った。


「続いてほしいものには、たまには定価を払わないとね」


その言葉は、冗談のようでいて、とても重かった。


京子は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「こちらこそ。来週も、塩サバを頼むよ」


「はい」


取り置きはしない。

でも、金曜日に塩サバを並べる。


それが、この店の約束だった。



三か月の猶予が決まった日の夜、京子はアパートでノートを開いた。


今日のページには、書くことがたくさんあった。


閉店告知、凍結。

三か月の追加検証。

地域惣菜モデル店舗として存続検討。

現場負担も検証対象。

神崎さん、本部資料担当。

店長、店舗全体数字。

ハツエさん、運用と休憩管理。

内藤くん、残数メモ。

村田さん、昼間の声。

私、売場の言葉と数字をつなぐ。


そこまで書いて、京子はペンを止めた。


泣きそうになった。


でも、泣くより先に、もう一行を書いた。


今日のところは、負けなかった。


ハツエの言葉。


勝ったわけではない。

まだ三か月後はわからない。

数字が出なければ、また閉店案は戻ってくる。

厳しい日もあるだろう。

廃棄が出る日も、売れない日も、疲れる日もある。


それでも、今日のところは負けなかった。


閉店告知は貼られなかった。


店は明日も開く。


京子は、母のレシートをノートから取り出した。


薄れた印字。

唐揚げ弁当。

半額。

母の字。


――半額でも、この子にはごちそうに見えますように。


京子は、レシートにそっと触れた。


「お母さん」


小さく声に出した。


「今日、少しだけ守れたよ」


何を守れたのかは、うまく言えない。


店を完全に守れたわけではない。

過去をやり直せたわけでもない。

母に直接ありがとうを言えたわけでもない。


でも、母があの夜買ってくれた半額弁当と同じように、誰かの今日を温める場所を、少しだけ先へつなげた。


それだけは、確かだった。


スマホが震えた。


前職の同僚からだった。


『今日は何の日でした?』


京子は、しばらく画面を見つめた。


そして、打った。


『今日は、閉店告知が貼られなかった日でした』


すぐに返信が来た。


『よかった。本当に』


そのあと、もう一通。


『でも、無理しすぎないでくださいね』


京子は少し笑った。


みんな、それを言う。


ハツエも。

同僚も。

そして、京子自身も。


無理しすぎない。

でも、手は動かす。


それが今の京子の答えだった。


京子は返信した。


『はい。一人で抱えないで、店として続けます』


送信して、スマホを伏せた。



翌朝。


マルヨシ成田台店の入口には、新しい紙が貼られた。


閉店告知ではない。


ハツエの丸い字と、店長が印刷した文章が並んだ、小さなお知らせだった。


――いつもご利用ありがとうございます。

――成田台店では、地域の皆さまの毎日の食卓に合わせて、

――小さめ弁当・ちょこっと惣菜・ほしいものメモを試験的に続けています。

――「こんなのがあると助かる」という声を、ぜひお聞かせください。


その下に、ハツエが赤いペンで一言書き足していた。


――今日も何とかなる売場、作ってます。


京子はその紙を見て、少しだけ笑った。


「ハツエさん、これ、少しくだけすぎでは」


「いいの。うちの店っぽいでしょ」


「はい」


「閉店告知より、ずっといい顔してる」


京子はうなずいた。


その紙の前を、客が通る。


年配の女性が立ち止まり、「あら、いいわね」と言った。

学生が「ちょこっと惣菜だって」と友人と笑った。

真帆が美羽に読んで聞かせた。

乃々花が少しだけ笑って、イートインへ向かった。

作業服の男性が、紙を見て小さくうなずいた。


店は今日も開いている。


それは当たり前のようで、当たり前ではない。


京子は白衣の袖を整え、惣菜売場へ向かった。


棚には、まだ何も並んでいない。


だから、これから並べる。


小さめ鮭弁。

ちょこっと唐揚げ。

ローストビーフ小皿。

塩サバ弁当。

煮物小鉢。

焼きそば。

今日の誰かの晩ごはん。


ハツエが油の温度を見ながら言った。


「篠宮さん、唐揚げいくよ」


「はい」


「今日も手を動かす」


「はい」


「無理しすぎない」


「はい」


「でも、ちゃんと売る」


「はい」


ハツエは、鶏肉を油に入れた。


じゅわっ、と音が立つ。


その音は、今日の店が始まる音だった。


京子は記録表を開いた。


日付を書く。

天気を書く。

製造数を書く。


そして、余白に小さく書いた。


閉店告知は貼られなかった。

でも、本当の勝負は今日から。

今日も何とかなる店を、今日も作る。


ペンを置く。


売場の向こうで、自動ドアが開いた。


朝の光と一緒に、最初のお客が入ってくる。


マルヨシ成田台店の一日が、また始まった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ