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半額になるまえに  作者: えんびあゆ


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第25話 閉店告知、迫る店舗再編[前編]

月曜日の朝、マルヨシ成田台店には、いつもより少し早く本部からのメールが届いた。


件名は、淡々としていた。


――店舗再編に伴う今後の運営方針について


その文面を最初に開いたのは、店長の森下だった。


京子がそのことを知ったのは、午後三時四十分。

いつもより少し早く出勤し、従業員入口からバックヤードへ入ったときだった。


事務所のドアが少しだけ開いていた。

中から、森下店長の声が聞こえる。


「……はい。ですが、まだ改善トライアルの途中で……」


相手は電話の向こうにいるらしい。

声は聞こえない。


森下店長の声は、いつもより低かった。


「はい。数字が必要なのは理解しています。ただ、現場ではすでに取り組みを始めています。小容量惣菜、予約メモ、廃棄削減、イートイン利用の記録も……はい、はい」


京子は足を止めた。


聞いてはいけない。

そう思った。


けれど、体が動かなかった。


「閉店告知の準備、ですか」


その言葉が、事務所の中からこぼれた。


京子の胸が、どくんと鳴った。


閉店告知。


冷たい四文字だった。


森下店長は、少し間を置いて言った。


「まだ店頭掲示はしませんよね。はい。従業員向けの説明用……はい。わかりました。神崎さんが夕方に来られるんですね。はい。大森にも共有します」


京子は、そっと一歩下がった。


そのとき、背中が何かにぶつかった。


「篠宮さん」


振り向くと、ハツエが立っていた。


白衣ではなく、私服のままだった。

いつもより早く出てきたのだろう。手には通勤用のトートバッグを持っている。


「お疲れさまです」


京子の声は、自分でも少し硬かった。


ハツエは事務所の方を一瞬見た。

それだけで、何かを察したようだった。


「聞こえた?」


小さな声だった。


京子は迷ったが、うなずいた。


「……閉店告知、と」


ハツエの表情は変わらなかった。


ただ、持っていたトートバッグの持ち手を握る指に、少し力が入った。


「そう」


「まだ、決まったわけではないんですよね」


京子は、自分に言い聞かせるように言った。


ハツエはすぐには答えなかった。


「決まってないことにも、告知の文面は作れるからね。本部ってそういうところでしょ」


その声には、怒りよりも疲れが混じっていた。


京子は何も言えなかった。


本部ってそういうところ。


反論できなかった。

京子は、そういう文面を作る側にいたことがある。


決定ではありません。

検討中です。

現時点での案です。

関係者限りです。

準備のための事前共有です。


けれど、文字になった瞬間、それはもう半分だけ現実になる。


閉店のお知らせ。

閉店予定日。

長年のご愛顧に感謝申し上げます。


そんな言葉が並ぶ紙を、京子は想像してしまった。


店内の入口に貼られる。

青果売場の前で、客が立ち止まる。

惣菜売場の前で、真帆が読む。

イートインの窓際で、乃々花が読む。

石動が塩サバ弁当を持ったまま読む。


その光景が頭に浮かび、京子は息が苦しくなった。


「着替えよう」


ハツエが言った。


「今は、売場開ける時間だから」


「はい」


「紙が来ても、唐揚げは揚げる。閉店って言われても、晩ごはんは今日もいる」


ハツエはそう言って、更衣室へ向かった。


その背中は、いつもより少し小さく見えた。



午後四時。


京子は白衣に着替え、惣菜バックヤードに立った。


作業台には、いつものように弁当容器が並んでいる。


月曜日なので、週末ほど多くはない。

小さめ鮭弁は四つ。

ちょこっと唐揚げは八つ。

ローストビーフ小皿は二つ。

チキン南蛮弁当、のり弁、焼きそば、白身魚フライ、煮物。


昨日うまくいった「半額になる前に、ちょうどいい晩ごはん」コーナーも、今日は少し控えめに作ることになっていた。


京子は記録表を準備した。

商品名、製造数、定価販売数、値引き販売数、廃棄数、気づいたこと。


いつも通りの表。

いつも通りのペン。

いつも通りの作業。


けれど、胸の奥には「閉店告知」という言葉が刺さったままだった。


「篠宮さん」


ハツエが声をかける。


「はい」


「手、止まってる」


「すみません」


「謝るより、手を動かす」


いつもの言葉だった。


けれど今日は、少しだけ響きが違った。


手を動かしていないと、立っていられない。

そういう日もあるのだと思った。


京子は小さめ鮭弁に鮭を乗せた。


ごはんは少なめ。

鮭も通常弁当より少し小さい。

きんぴら、卵焼き、漬物。


税込三百二十八円。


最初に考えたときは、真帆のような親に届けばいいと思っていた。

けれど今では、高齢者、作業服の男性、乃々花の弟、軽く食べたい人にも届いている。


商品は、売場に出てから意味を増やしていく。


店も、そうだろうか。


京子は思った。


マルヨシ成田台店は、本部から見れば、売上の伸びない老朽店舗かもしれない。

設備更新費のかかる店。

人件費率の高い店。

廃棄率に課題のある店。


でも、ここで暮らす人たちにとっては違う。


火曜日の唐揚げの日。

金曜日の塩サバ。

イートインの窓際。

半額になる前の小さな晩ごはん。

番号シールを持って戻ってくる予約メモ。


同じ店でも、見る人によって意味が違う。


その意味を、どうやって本部に見せればいいのだろう。


数字だけでは足りない。

でも、言葉だけでも届かない。


「今日、神崎さんが来るんですよね」


京子が言うと、ハツエは唐揚げ用の粉をまぶしながら答えた。


「らしいね」


「店長から聞きましたか」


「今朝、電話来た。夕方に説明するって」


「閉店告知の準備について?」


「そう言ってた」


ハツエの手は止まらない。


鶏肉に粉をまぶし、余分な粉を落とし、バットに並べる。

その動きはいつも通りなのに、京子には少しだけ荒く見えた。


「ハツエさん」


「何」


「怒っていますか」


「怒ってるよ」


即答だった。


「怒ってるし、呆れてるし、ちょっと怖い」


京子は、手を止めそうになった。


「怖い、ですか」


「そりゃ怖いよ。店がなくなるってことは、あたしの行く場所がなくなるってことだからね」


ハツエは、粉のついた手を軽く払った。


「でも、怖いからって泣いてても、チキン南蛮は売れない」


「はい」


「だから今日は、いつもよりちゃんと売る」


「いつもより」


「そう。閉店告知なんて紙に負けてたまるかって気持ちで」


ハツエはにやりと笑った。


その笑顔はいつもより少し無理をしているようにも見えた。

でも、確かに強かった。



午後五時半。


売場は静かに動き始めた。


月曜日だから、客足は重い。

けれど、昨日のポップを見て足を止める人はいた。


半額になる前に、ちょうどいい晩ごはん。


小さめ鮭弁とちょこっと唐揚げを一緒に買う若い男性。

煮物小鉢とお茶を買う年配女性。

のり弁では少し重いからと、小さめ鮭弁を選ぶ作業服姿の人。


京子は一つひとつ記録した。


五時三十八分。小さめ鮭弁+お茶。年配女性。

五時五十二分。ちょこっと唐揚げ二。学生。

六時十七分。小さめ鮭弁+煮物。男性。「軽いのでいい」


記録を取る手は、いつもより少し速かった。


今日の数字は、ただの数字ではない。


閉店告知に対抗する材料だ。


そう思うと、ペンを持つ指に力が入った。


午後六時半、乃々花が来た。


制服姿で、今日は一人だった。

表情は少し疲れている。


「こんばんは」


「こんばんは」


京子が挨拶すると、乃々花はイートインの方をちらりと見た。


「今日、混んでますか」


「今は空いていますよ」


「よかった」


乃々花は、売場の小さめ鮭弁を見た。


「今日はこれにします」


「家に持って帰る用ですか?」


「いえ、今日はここで食べます」


その声には、少しだけ硬さがあった。


京子は深入りしないように、うなずいた。


「温めますか」


「はい」


乃々花は小さめ鮭弁と紙パックのお茶を買い、イートインへ向かった。


その背中を見ながら、京子は胸の奥が少し沈むのを感じた。


もしこの店がなくなったら。


乃々花はどこで、こうして一人でごはんを食べるのだろう。


図書館は閉まるのが早い。

塾には行っていない。

家では弟の面倒がある。


スーパーのイートインは、勉強場所としては完璧ではない。

椅子も硬いし、周りは騒がしいし、閉店時間もある。


でも、乃々花にとっては「ちょうどいい」場所だった。


そのちょうどよさは、閉店告知の文面には書かれない。


京子は、記録表の余白に書いた。


イートイン利用。乃々花さん。小さめ鮭弁+お茶。

「ここで食べる」

居場所としての利用。


居場所。


その言葉は少し主観的すぎる。

でも、消したくなかった。



午後七時過ぎ、神崎修が来店した。


今日はスーツではなく、少しだけカジュアルなジャケット姿だった。

しかし、手にはいつものタブレットがある。


店に入ると、まず入口近くで店全体を見回した。

それから、事務所へ向かう前に惣菜売場へ来た。


「お疲れさまです」


神崎が言った。


「お疲れさまです」


京子とハツエは同時に返した。


神崎は売場を見た。


小さめ鮭弁は残り一つ。

ちょこっと唐揚げは残り三つ。

ローストビーフ小皿は一つ売れ、残り一つ。

月曜日にしては悪くない動きだ。


「新しいコーナーですか」


神崎がポップを見る。


半額になる前に、ちょうどいい晩ごはん。


「昨日からです」


京子が答えた。


「小容量商品を組み合わせて、半額前の購入につなげる狙いです。セット割引ではなく、並べ方とポップで選びやすくしています」


「定価販売率は?」


「昨日は対象商品の多くが値引き前に売れました。今日は月曜なので昨日ほどではありませんが、小さめ鮭弁はすでに四つ中三つが定価販売です」


「廃棄は?」


「昨日はゼロ。今日はまだわかりません」


神崎はうなずき、タブレットに入力した。


「ほしいものメモは継続していますか」


「はい。今日は現時点で二件です」


「内容は?」


「小さめ鮭弁一つ、十九時半受け取り。ちょこっと唐揚げ二つ、二十時受け取り」


「個人情報は取っていない?」


「番号管理のみです」


「いいですね」


神崎の声は淡々としていた。

けれど、京子には少しだけ真剣さが増しているように聞こえた。


ハツエが口を開いた。


「神崎さん」


「はい」


「閉店告知の紙、持ってきたんですよね」


京子の胸が、ぎゅっと縮まった。


神崎は一瞬だけ沈黙した。


「従業員説明用の資料はあります」


「見せてください」


「店長を交えて、閉店後に説明するつもりです」


「今、見せてください」


ハツエの声は静かだった。


売場には客がいる。

声を荒げるわけにはいかない。

それでも、その静けさの中に強いものがあった。


神崎は少し迷ったように、バッグからクリアファイルを取り出した。


「正式決定ではありません」


「その前置き、聞き飽きました」


ハツエは紙を受け取った。


京子は、横から見るつもりはなかった。


けれど、見えてしまった。


資料の表題。


――マルヨシ成田台店営業終了に関するご説明


営業終了。


閉店よりも少し柔らかい言葉。

でも、意味は同じだった。


その下に、小さく「案」と書かれている。


案。


その一文字が、逆に痛かった。


まだ決定ではない。

だから案。

でも案として存在している。


ハツエは紙を一枚めくった。


予定日。

従業員配置転換。

近隣店舗への誘導。

顧客告知時期。

最終営業日イベント案。


そこまで見たところで、ハツエは紙を閉じた。


「最終営業日イベント案、ですって」


声は笑っていた。

でも、目は笑っていなかった。


「長年のご愛顧に感謝して、最後に惣菜詰め合わせでも売るんですか」


「大森さん」


「最後の売上まで計画するんですね、本部は」


神崎は黙っていた。


京子は、胸が苦しかった。


本部の人間は、悪意で資料を作っているわけではない。

閉店するなら、従業員の配置も、客への告知も、最終日の運営も必要だ。

誰かが考えなければならない。


それはわかる。


わかるからこそ、苦しかった。


ハツエは紙を神崎に返した。


「まだ貼らせませんよ」


「現時点で店頭掲示の予定はありません」


「そうじゃない」


ハツエは売場を見た。


小さめ鮭弁を手に取る客。

イートインで弁当を食べる乃々花。

ちょこっと唐揚げを選ぶ学生。


「この店に、勝手に閉店の顔をさせないでください」


神崎は、静かにハツエを見た。


京子は、その言葉を胸に刻んだ。


閉店の顔。


店にも顔があるのだ。


明るい顔。

疲れた顔。

半額を待つ少し切実な顔。

ごほうびを選ぶ顔。

雨の日に売れ残る顔。

そして、閉店を告げられた顔。


今、この店にその顔をさせたくない。


「神崎さん」


京子は口を開いた。


自分でも、声が出たことに驚いた。


「私たち、まだ三か月の改善トライアル中ですよね」


「はい」


「それなら、閉店告知の準備資料だけではなく、存続のための説明資料も同じだけ具体的に作ってください」


神崎の表情が少し変わった。


「存続のための説明資料」


「閉店する場合の従業員配置や顧客告知を考えるのと同じように、残す場合の業態案、売場改善案、地域利用価値、数字の改善見込みも必要だと思います」


言いながら、京子の心臓は早くなっていた。


でも、止まらなかった。


「今の成田台店をそのまま残すのが難しいなら、小型惣菜強化店舗として残す案もあるはずです。小容量惣菜、予約メモ、イートイン、地域の高齢者や学生、仕事帰りの人向けの夕食需要。まだ検証途中ですが、閉店以外の資料も作るべきです」


ハツエが、少し驚いたように京子を見た。


神崎は黙って聞いていた。


「篠宮さん」


「はい」


「その資料を、作れますか」


一瞬、体が固まった。


まただ。


資料。

説明。

本部。

責任。


前職の記憶が、喉元まで上がってくる。


けれど今度は、京子はすぐに飲み込まれなかった。


深く息を吸う。


「私一人では作りません」


はっきり言った。


「店長、ハツエさん、内藤くん、村田さん、売場の記録。みんなで集めた材料を、私が整理することはできます」


ハツエが、口元だけで笑った。


「言えたね」


京子はうなずいた。


「言えました」


神崎は、しばらく京子を見ていた。


それから、静かに言った。


「わかりました。閉店案と並行して、存続案も作ります。篠宮さんたちの記録を、私にも共有してください」


「はい」


「ただし、本部を説得するには、感情だけでは足りません」


「わかっています」


「数字が必要です」


「数字は出します」


京子は、売場を見た。


乃々花が弁当を食べ終え、英単語帳を開いている。

ちょこっと唐揚げを買った学生が、レジへ向かう。

作業服の男性が、予約番号のシールを手に入ってくる。


「でも、数字だけにはしません」


京子は続けた。


「数字の横に、なぜその商品が買われたのかを書きます。誰かの名前ではなく、生活の理由を書きます。それがこの店の価値だと思うので」


神崎は、ゆっくりとうなずいた。


「期待しています」


その言葉に、京子は少しだけ身構えた。


期待。


怖い言葉だ。


でも、今日の京子はただ怖がるだけではなかった。


「期待されすぎると困ります」


京子は言った。


「ただ、やれることはやります」


神崎は、ほんの少しだけ笑った。


「わかりました」




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